第17話 十六章 女性も何かと大変だろうが、男性も結構大変なんだよね

「精通が一番多い年齢は、十二歳だ!」


 教頭と文科省の加藤課長が、後ろの入口から一年二組の教室に入った瞬間、教壇から聞こえた科白である。

 その単語が、「精通」とは……。


 教頭は目をひん剥き、ペコペコと米つきバッタのように、加藤課長のご機嫌を伺った。

 課長は眉一つ動かさず、涼しげな表情をしている。


 小声で教頭が「あのう」と話かけると、課長は人差し指を唇にあて、そのまま授業を見続けた。

 教頭は、何度もハンカチで、広くなっている額を拭いた。


「精通がわかんない奴は、あとで保健室に来なさい。ゆっくり教えてもらえるぞ、白根澤先生から。

さて、君たちも、人間の受精や妊娠について、既に勉強しているはずだ。小学一年生で、女性の体の中の卵、すなわち『卵子』と、男性の体にある『精子』が合体して、子どもが出来ると教えることになってるからな」


 生徒は俯いたり、ニヤニヤしたりしながら、授業を聞いている。


「しかし、合体するまでには、苦難の道のりが待っているのだ!」


 黒板の前には、大きなスクリーンが用意されている。

 加藤は教卓に置いたパソコンをカチャカチャ打つ。


 スクリーンには、「旅路~卵子と精子が出会うまで~」という文字が映る。


「さて、思春期真っ只中の諸君。ここで質問です。卵子と精子が出会うまでの距離は、人間がどこまで行くのと同じでしょうかっ!


1番、東京から大阪まで

2番、東京からニューヨークまで

3番、東京から月まで

さあ、どれだ!」


 生徒らは、「1番!」とか「多分、2番」とか、「まさかの3番」とか口々に言い始める。


「答えは――


3番!」


 うおおお、という声。どよめき。

 だんだん生徒らの顔が前を向き、目が輝いてくる。

 それは、「性」に関するエロい興味を越えた、子どもらの知的好奇心が、芽生えてきた表情だ。


「それじゃあ、実際、射精された精子が、どうやって卵子も元へ向かうのか、映像で見てみよう。ちなみにこれから流すのは、ネットからのパクリじゃないぞ。俺が留学した時に、いろんな機材使って撮影したレアもんだ。MCは知り合いに頼んで編集した」


『一回の射精で放出される精子の数は、一億から二億五千万。しかし女性の体内は、精子にとってサバイバルには過酷な環境です。三十分後、九十九パーセントの精子は死滅します』


 生徒たちは徐々に真剣な顔になる。


『子宮の入口付近に到達した時には、精子の数は三千個。更に卵子と出会う場所、すなわち卵管に近づくと、無数の白血球に次々排除されていきます。白血球から無事にエスケープできた、ごく少数の精子たちが、さらに奥へと進みます。

卵管に辿り着いた精子達の数は、100個』


 どうやって撮影したのか、リアルな画像である。柔らかい女性の声が教室に響く。


『卵子が見えてきました。

卵子のまわりには分厚くて固い膜があり、この膜を突破するには、精子の持つ特別な酵素が必要です。でも、精子一匹では、卵子のまわりの膜を破ることはできません。何匹も何匹も、精子がトライし続け、なんとか一匹の精子が卵の中に入り込みます!』


 どこからか、「やったー!」という声が上がる。


 加藤は教壇から、教室の中をゆっくり巡回し、画像終了と同時に、また教壇に戻る。

 後ろに立っている教頭と文科省の課長には、視線を投げることもない。


「俺の時代には、教師がこんなこと言ったよ。『君たちは二億の競争に勝ち残った、エリートなんだ』ってさ。でも、俺はそうは思わない」


 生徒からは「なんで?」という声が出る。


「二億の精子が協力し、一致団結した結果、それが一つの生命いのちの誕生だと思うからだ。生命とは、周りを蹴落として、この世に出てきたものじゃない」


 加藤は次の画像を開く。


 いきなり、生後間もない赤ん坊の写真が映る。


『あーちゃん、あなたが産まれた時、お母さんは大変だったのよ』


 うわっと声を上げる生徒。

 隣の生徒が声をあげた生徒を肘でつつく。


「これ、アキラじゃん!」


 次々と、赤ん坊の写真が映り、その母親からのメッセージが読み上げられていく。

 生徒らは、両手で顔を覆ったり、互いにつつきあったりする。


『しんちゃんへ。ダメダメなママで、ごめんね。あなたが小さい時、構ってやれなくて、本当にごめんなさい!』


 このメッセージを聞いた音竹の目は潤み、一筋、涙をこぼした。

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