第13話  十二章 多忙の養護教諭に、無茶ぶりは良くない


 週明け、加藤が出勤すると、白根澤は何やらバタバタと動き回っていた。

 健康診断の結果で、要再検の生徒でも出たのかと加藤は思ったが、どうやら違うようだ。


「せいちゃん! 良かった遅刻しなくて」

「いや、遅刻って、俺、たまにしかしないし」


 加藤の「たまに」とは、週一回程度を指す。


「あのね、三月の末くらいに、文科省から養護教諭向けの、動画配信あったでしょ。せいちゃん、観たわよね」


 文科省の動画?

 そんなもん、あったっけ?

 他の省庁のアニメ動画なら、自宅で観たけれど。


 だいたい文科省ってだけで、加藤はなるべく関わりたくはない。

 教育職に就いているなら、全く関わらないでいるということは、ないのであるが。


「観たような、観てないような……」

「今すぐ見て!」


 本日中に、校内全ての教員が、必ず視聴するように、急遽理事会で決定されたという。

 私学ならではの無茶ぶりだ。


 阿修羅像と化した白根澤の迫力に負け、渋々加藤はパソコンを開き、指定されたサイトにアクセスした。


 視聴するのは、文部科学省が厚生労働省と共に、全国の教師向けに出した「若年者の自殺予防マニュアル」の動画である。


『日本における、10歳から39歳の死因トップは自殺です。若年層の死因の1位が、自殺となっているのは、先進国G7の中でも、日本のみなのです』


 冒頭のナレーションを聞いているだけで、鬱々してくる。


 加藤は、次々に表示されるグラフや表を見ながらも、頭の中では別のことを考えていた。


 自宅以外のベッドで寝ると、死んでしまうという音竹伸市。

 加藤の推測では、彼の持つ疾患の一つは、起立性調節障害。


 そして、おそらくもう一つは、『脳脊髄液減少症』である。


 脳脊髄液減少症。


 脳と脊髄は、硬膜に包まれていて、内部は髄液という液体が満たしている。髄液の量と圧力は、普通、一定に保たれているのだが、何らかの原因で、髄液が失われると、頭痛やめまい、吐き気などの症状が現れるようになる。


 音竹は、幼児の頃に、遊具から転落して尻を強打した。

 その時に、髄液が漏れるようになったのではないか。


 だとしても、MRIでも使えば、診断は容易。

 横になって安静にして、点滴でも受ければそのまま落ち着くこともある。

 症状が治まらない場合でも、生食注入やブラッドパッチといった治療法が、広く知られるようになっている。


 何よりも。


 音竹の主治医を兼ねているという、スピリチュアルアドバイザーの篠宮ならば、音竹の疾患を把握しているはずだ。

 昨日、氷沼に確認したが、篠宮は、脳神経系の医師なのだ。

 なぜ、治療を受けさせないのだろう……。


 画面には、月別の自殺者数のグラフが表れていた。

 次いで、自殺の理由が、男女別に示された。


 男子の自殺の理由、一番は「学業」である。

 三番目が「親子関係の不和」となっていた。


 親子関係、か。


 加藤の耳に、ナレーションの音声は既に届いていない。

 だが、この画面は、彼の脳に刻まれた。


 動画が終了した頃、白根澤が保健室に戻って来た。


「はい、せいちゃん」


 白根澤は、加藤に何枚かのプリントを渡す。


「何、これ? 『学習指導案』とか」

「そうよ、これは指導案。見たでしょ? 動画」


「適当にね。それと指導案に、何の関係が?」

「せいちゃんが授業するの、この指導案使って。ココに書いてあるでしょ。『命の大切さについて学ぶ』って」


「はあああ??」


 白根澤はお茶を一口飲むと、ほっと一息ついた。


「何で私が、朝から走り回っていたか、分からない?」

「全然!」


「緊急理事会が開かれたのは、視察が来るからなの」

「視察? 私学財団から? それとも都の生活文化局?」


 白根澤は鼻で笑った。

 加藤はイラっとする。


「そのレベルなら、理事会も、勿論私も、アタフタなんかしないわよ」


 加藤は嫌な予感がした。


「まさか……」

「そうよ、視察に来るのは、文部科学省高等教育局私学行政課のお偉いさん!」


 加藤の口から、ムクドリが集団で騒ぐ時の様な、声が上がった

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