第2話 保健室に妖怪は似合わない

四月。



 入学式のあと、どこの学校でも行われる行事の一つに、対面式、というものがある。

 教師と、児童生徒が顔を合わせるという、アレだ。


 都心部にほど近い、ここ葛城かつらぎ中学校・高等学校においても、入学式の翌日に、担任や教科担当の、教員紹介が行われた。


 中高一貫、進学率の高い男子校である。制服は今どき珍しい学ラン。右を向いても左を見ても、黒服の男子、男子、男子。一学年につき、生徒数は約二百。中高合わせて千人を超える男の世界である。


 教科担当が女性であると、小さなざわめきが起こる。さらに、校内で数えられるほど少ない、若い女性教員の紹介では、小さな拍手が起こる始末。

 生徒たちが、保健室を担当する養護教諭に、ひそかな期待を持っていたとしても、責めることは出来まい。


「続いて、保健室担当の養護教諭は二人です。まずは、白根澤しらねざわ翠子みどりこ先生」


 みどりこ!

 白衣の天使か!

 生徒たちの鼓動が、いよいよ高まる。


 が


 壇上に現れたのは、女性ではあった。

 それは間違いない。


 しかし、その風貌と言えば……。


 男子生徒がイメージする「保健室の先生」の後に続く、音符マークやハートマークを無残にも消し去り、巨大なビックリマークを三つくらい生じさせた。

 宇宙を舞台とする有名映画に出てくる、どこかの異星のボスのような、無限に広がる横幅の体躯に、顎と首が一体化した、栗饅頭のような顔が乗っていた。


「白根澤です。何かあったら、保健室に来てくださいね」

 声は可愛かった。

 声だけは。


「保健室の先生は、もう一人います」


 今度こそ、と期待する童貞の群れ。

 だが、一秒後に、群れは虚空を見上げる。


「わが校は男子校ですので、男性の養護教諭もおります。加藤先生、どうぞ」


 男かよ!

 ていうか、男の保健の先生とか、舐めてんのか、この学校!


 生徒の憤りが会場である体育館に満ちた。


「あー、加藤誠作かとうせいさくです。毛が生えたら一人前。まだ生えてない奴は、速やかに相談……」

 加藤が喋り出した瞬間、横に控えていた白根澤が、マッハの速度で加藤のレバーにスクリューパンチを繰り出した。

 悶絶する加藤の首を掴んで、壇上から去る白根澤に、生徒たちは戦慄し、一部の生徒は憧れの視線を投げたのだった。


 その後、不適切な挨拶をしたということで、加藤養護教諭が、始末書を書いたのは言うまでもない。


 対面式が終わり、生徒も教員も、それぞれクラスに戻る。

 白根澤と加藤も、保健室に戻った。


 自分の椅子に白根澤が座ると、デカい音と共に、ガラスが振動した。

「せいちゃん、またバカなこと言おうとしたよね」


 加藤は寿司屋の湯呑茶碗で緑茶を飲みながら、言った。


「べっつに、間違ったこと言ってないよ、俺。

だいたい思春期の男子なんて、猿だよ猿。

あ、『せいちゃん』やめて」

「せいちゃんの中坊の時と、違うのよ、最近の少年は。繊細なんだから。毛とか股とか乳首とか、禁句よ禁句」


「毛しか言ってないし」



 そうこうしている間に、保健室のドアを叩く音がした。


「はああい、どうぞ!」


 白根澤がメープルシロップよりも甘そうな声を出す。

 声は可愛いのだ。声だけは。


「失礼します」


 入って来たのは、新入生らしき、まだあどけなさの残る男子だった。

 見るからに線が細く、顔だちも女顔だ。


「一年二組の音竹です」


 頭を下げてきちんと挨拶が出来るとは、躾の行き届いた家庭らしい。


「どうした? 毛の悩みか?」


「ちょっと、気持ち悪くて……」

 加藤の戯言にも動じない、見上げた根性も持ち合わせている。


 確かに音竹少年の顔色は悪い。

 加藤は少し真面目な表情で、音竹を座らせて、額で体温を測り、血圧計を巻いた。


「熱は、三十五度八分。低いな」

「はい。平熱はいつも低いです」


「朝飯食ったか?」

「食欲がなかったので、麦茶だけ飲んで来ました」

「血圧は、上が九十。下が五十六。こっちも低いな」


 白根澤は、紙コップに白湯を入れて、音竹に勧めた。

 音竹は素直に何口か飲んだ。


「少し、保健室のベッドで休んでいく?」


 白根澤が尋ねると、音竹は数秒考えて答えた。


「いえ、ここで座って回復したら、教室に戻ります。

僕は、自宅以外のベッドで横になると、死んでしまう病気なので」


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