サンフラワー・イーター

巳波 叶居

第1話



ひまわりが食い荒らされて困ってるんです、助けてください。


そんな奇妙な依頼が舞い込んだのは、夏も盛りの蒸し暑い時期だった。

害虫か、変質者か、それともまさか悪霊の仕業か。思い当たる原因のすべてを列挙しても、それをうちのような人探し専門の探偵事務所が引き受ける理由は見当たらない。

だが、気まぐれな所長はそれを引き受けて、「フジノ、これ、よろしくな」と、私に押し付けたのだった。


「…よろしくと言われればやりますが、どうして私に」

「お前のためにあるような仕事だからさ。そうだ、マリコも連れて行ってくれ」

「一週間前に入った新米を連れて、田舎町で研修旅行でもして来いと?」

「こういう仕事は、体力のある奴がいると何かと便利だからな」


マリコは新人だが、豊満な体つきに似合わず空手だか何だかの格闘技をやっていて、私より10は若い。

確かに、この手の仕事は何があるか分からない。私はそれを承諾した。





「ひまわりが食い荒らされて困ってるんです、助けてください」


車で高速と国道を乗り継いで、片道3時間半の道のりの末にたどり着いた田舎町。

そこで男は依頼の電話と同じことを、涙目になって繰り返した。


確かに、状況はひどいものだった。

広い畑の一角にある、そのひまわり畑。最初に話を聞いた時は、葉が虫にでも食い荒らされているか、あるいは食用になる種だけが持ち去られたのだろうかと、そんな光景を想像していたが。実際はそんな生やさしいものではなかった。


花だ。

高く伸びた茎の上で、大輪のひまわりの花がまさに「食い荒らされて」いる。


ある花は鋭い牙で引き裂かれたかのように、そのかんばせの半分を失い。またある花は幾度も噛み千切られたかのように、複数の歯形のような跡を残している。

傾き始めた太陽の光が逆光となって、変形したひまわり達のシルエットを浮かび上がらせる。

それらはまるで、頭を獣に食い千切られた人間のようにも思えて、ひどく、凄惨だった。


「…ひどいですね」

ハンカチで汗を拭きながら、マリコが溜め息を漏らす。


「ひどいでしょう? 十日ほど前からなんです。ちょうど畑のひまわりが満開になった頃から、夜中の内に花が食い荒らされているようになって… ああ、まったく、なんてひどいことを。いったい誰が、なんのために…」


両手で顔を覆う依頼人の男に、私はいくつかの質問を投げかける。


「大変失礼ですが、誰かから恨まれるような覚えは?」

「とんでもない! ああ、いえ、私もそれなりの年齢ですから、知らない間に誰かを傷つけるようなことはあったかもしれませんが…… 私自身に、覚えはありません」

「害虫や動物の仕業ということは?」

「虫の駆除は欠かさずやっております。見張りもしたことがあります。少なくとも虫や獣のせいではありません」

「ほかのお宅は無事なんですか?」

「はい。うちも、野菜畑の方は無事なんです。どうしてか、ひまわりだけが狙われて…」

「ちなみに今日の朝食は?」

「…え、はい、ごはんと、みそ汁と…あと、煮豆を少し」

「満腹ですか?」

「はい」


回答はすべて誠実だ。この男は、嘘をつくような人間ではない。


死んだ妻が大事にしてたひまわり畑なんです、どうか助けてください、と懇願する男を後にして、私はマリコを連れて周辺の聞き込みへと向かった。





「ご近所の評判、上々でしたね」

「そうだな」


聞き込みを終えた私とマリコは、畑のそばにある崖の上で一息ついていた。

空はすでに紅く染まり始め、じりじりと鳴く蝉の声がどこからともなく響き渡る。

この時間になってもあまり気温は下がらず、雨の気配もあって蒸し暑かったが、ここには多少の風が吹いていた。

真下には川も流れており、いくらかの涼を運んでくる。

上流ではすでに雨でも降ったのだろうか、川は水かさを増して轟々ごうごうと荒れぎみだ。

荒ぶる水音を耳の端で聞きながら、私は近所の人々の言葉を反芻した。


『親切な人ですよ』

『亡くなった奥さんを今でも想ってらっしゃるんです』

『3年前に越してきましたが、すぐにここにも慣れて』

『恨みを買うなんてとんでもない』


虫や動物、変質者の線でも話を聞いてみたが、目撃情報ひとつ出てこない。男のひまわり畑があんな風に荒らされる原因は、さっぱりわからないままだった。


「これがミステリー小説だったらなぁ。意外な犯人が出てきておしまいなのに」


汗まみれになったシャツの前をはだけて、はたはたと胸元に風を送りながら、どこかのんびりした口調でマリコがつぶやく。


「例えば?」

「実はあの人が二重人格者で、自分でひまわりを食べていた! …とか」

「それはサイコホラーだ。しかもB級の」


たしかにぃ、とマリコが体を揺らして笑う。

ゆさゆさと大きく揺れる肉付き豊かな胸元が、視界の端に入る。私は、所長の言葉を思い出していた。


確かに、今夜は体力勝負になるかもしれない。



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