撮り続ける人

 カシャッ。カシャッ。

 今私の世界にあるのは、フィルター越しに見える景色と、シャッター音だけだ。

 走る電車を撮り、私はカメラから顔を離した。

 何だか、今になっても全く実感がわかない。

 明日、この路線は廃止されるなんて。


 そして翌日。

 私は、始発の駅に立っていた。

 駅には、ラストランを見送ろうとたくさんの人が詰めかけていた。

 いつも思う。この人たちが毎日乗ってくれていたら、廃線にならなかっただろう。

 だが、そんなことを思ってももうどうしようもない。

 この人たちも、来るのは今日だけで、毎日使うのは難しいのだから。

 そう言う私も、毎日使うというのは難しかった。

 途中の大学がある駅までは二十~三十分に一本来る本数なのだが、その先の終点まで、私の生れ故郷である町にある駅まで来るものは、一日に四本ほどとなっていた。

 そうなると、もはや日常生活で使うのは難しかった。

 皆自家用車を持ち、車で出かけることが多くなった。

 バスも、そこまで多い本数ではないものの、少し遠出をする時には必要な時間帯には出ていたので、皆これに頼るようになっていった。

 そうして、ますます鉄道を使う者はいなくなり、駅から人は離れていった。

 これは必然だったのだろう。

 私は、ラストランの汽車に乗ることは、最後まで迷っていた。

 私はいつも外側から写真を撮っていたから。

 正直、ここに立った今も迷っているが、ここまで来たら乗らないと逆に後悔するだろう。

 私は覚悟を決めて、改札を通った。

 電車が、もうすでにホームに停まっていた。


 私が乗り込んだ時にも人がすでにいたし、また乗り込んだ後も次々と人が乗り込んできた。

 電車の中も、外の駅も人でごったがえしていた。

 気分が盛り上がっているのか、写真をあちこちで撮っている人がいた。

 これなら、私が中で写真を撮っていても特に気にする人がいないかもしれない。

 私の写真は、特に誰に見せるでもなく、私が個人的に写真をとっておいているだけだし。

 最後に、この電車の中を撮るのも、記録としては良いのではないだろうかと思えた。

 私は、ついカメラを手に取って、車内の様子を一枚撮っていた。

「すみません」

 すると、横から声をかけられた。

 声を聞いて、やはりやめれば良かったと、急に恐ろしくなった。

 私は恐々声の方を向く。

 すると、ボックスシートに座る四人が私を笑顔で見上げていた。

「写真撮ってるんですか? 良かったら、私たちのことを撮ってもらえませんか?」

 四人は笑顔で、ピースをした。

「いいですよ。いきますね」

 私は、その姿が微笑ましくて、つい笑みを浮かべながら彼らにカメラを向けた。

 カシャっと音がしてから、私は顔を上げた。

 OKです、と言って親指と人差し指をくっつけて合図を出した。

 四人は口々にありがとー!と言った。

「写真をお送りしますか?」

 一応親切心で聞いてみたが、彼らはいらないと言った。

 その写真を大事にとっておいてくれれば良い、ということだった。

 世の中にはそういう人もいるのだな。

 こちらもありがたかった。

 すると、周りでも見ていた人がいたのか、次々に声をかけられた。

 電車が動いていることに気づいたのは、ファインダー越しに車窓が動いているのが見えたからだった。

 写真を撮るのが落ち着いた頃には、次の駅に着いていた。

 一つの駅に着く間を逃してしまったな、と私は少し後悔した。

 この後は、おとなしくしていよう。

 私はそう思い、ごった返す車内の隅に体をおさめた。

 車内の揺れと、通り過ぎていく車窓の景色がとても心地良かった。

 だが、そう時間も経たないうちに、手持無沙汰になってきた。

 そして、その手は自然とカメラを触っていた。

 やはり、何か撮らないと落ち着かないようだ。

 私は、車窓の風景をファインダーに入れて、静かにシャッターを押した。

 次は、くるりと背を向けていた方に体を動かした。

 そこには、運転士の背中が見えた。

 またひとつ、カシャリ。

 フラッシュはたかないように設定を変える。

 デジタルカメラなので、撮った写真をその場で見返せるのが良いところでもある。

 毎日乗っているから、運転する運転士の背中はだいたい見覚えがある。

 最後はやはり、ベテランっぽい人がやるんだなぁなどと、カメラにある写真と本物を見比べた。

 彼の運転は安定していて好きだった。

 その背中の安心感は、やはり違うなと思う。

 運転する人にまで愛着を感じるほど、私はこの路線と共にいたんだな、と改めて感じた。

 また一つ駅を過ぎる。

 あぁ、どんどん終点が違づいてくる。

 周りの景色が変わりだした。

 田んぼや森ばかりだった景色に、だんだんと人家が増え、店やビルまで見えてきた。

 この景色の移り変わりが好きだった。

 もうこの景色ともお別れだ。

 近くを走る道路では、少し景色が違うのだ。

――今までありがとうな。

 そう思って、近くの壁をなでていた。

 ひんやりとした感触が伝わる。

 鼻で大きく息を吸いこんだ。

 この独特の匂いも、好きだった。

 今は人でごった返していて、人の匂いが混じっているが、私の知らない全盛期は溢れるほど乗っていたと聞くから、その時はこういうものだったのかもしれない。

 過去と現在に思いを馳せながら、電車は走っていく。

 ついに、終着駅が近づいてきた。

 電車は、スピードを落として駅に滑り込む。

 駅のホームにも、大勢の人が押し寄せていた。

 カメラを向けている人々もいる。

 あの場にいるべきだったかと、ふと考えがよぎったが、それは言っても詮無いことだ。

 こちらにはこちらでしかできない経験があったし、あちらにいても同じことだ。

 今は何より、この空間にいれたことを楽しもうと思う。

 ホームに近づくと、中にいる人々もホームにいる人々に向かって応えていた。

 自分も、その雰囲気につられて、外に手を振る。

 こういうのも、悪くはない。

 駅がホームに完全に止まり、その扉が開いた。

 乗車していた人々が、次々に降りていく。

 降りた後も、ホームにいた人々に紛れ、皆名残惜しそうに電車を見ていた。

 私も、その中に紛れて電車を見る。

 ヘッドマークをつけられた電車は、最後にふさわしく堂々としているように見えた。

 その姿を撮るカメラのシャッター音が、辺りの喧噪と共に聞こえる。

 私も、この姿に無意識にカメラに手を伸ばし、シャッターをきっていた。

 何枚も何枚も、同じ場所からその姿を撮っていた。

 電車の汽笛で、はっと我に返った。

 電車は、ゆっくりとホームを離れていく。

 ありがとうー! さようならー! と、大声で叫ぶ人や手を振る人がいた。

 汽笛が大きく長く鳴らされた。

 私は、カメラを構えて何回もシャッターをきった。

 少しずつ離れていく様が、切り取られていく。

 小さくなっていく電車を見て、私はファインダーから顔を上げた。

 最後はファインダーごしではなく、自分の目で見たくなったのだ。

 汽笛の音が、余韻として耳に残る。

 あぁ、本当にいってしまうんだな……。

 最後という実感が、じわじわと海の穏やかな波のように胸に寄せてくる。

 電車は遠くなり、ついに見えなくなった。

 駅から離れた電車は、一体どこへ行ったのか。

 それは、私にはわからない。

 きっとあの電車は、違う場所で走るのだろう。

 もうこの路線を、電車が走ることはない。

 私はカメラを持ち上げて、電車がいなくなった線路を一枚撮った。

 電車の走らないこの線路でも、私が見ればかつて走っていた面影が蘇る。

 まるでそこに電車がいるような写真を撮ろう。

 そして、未だ残る駅を見守り続けよう。

 私は、この路線を撮り続ける。

 この道が完全になくなるか、私が死ぬその日まで。

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