第2話 大きなカメ



 まぶしい日差しが降り注ぐ午後。

トンボたちはあやめ池の中ほどの、大きな岩で羽を休めた。

田んぼを流れる水の行方を見届けて来たところだった。

田んぼの水は、道のわきを流れる用水路に流れ込んでいた。

「これでもう、あやめの谷戸は究めたな」

サキグロが胸を張った。


 用水路の水がその先どこへ流れて行くのか、トンボたちには興味がなかった。

自分たちのあやめ池の水が、いくつもの田んぼを巡り用水路に流れ込んでいる。

それだけわかれば満足だったのだ。



 ぽちゃ!

足元のあやめ池で音がした。

驚いたトンボたちがいっせいに水音のした方を振り向いた。

池の中から大きなカメが、トンボたちのいる岩に手をかけて、よじ登って来るところだった。

「うわっ!」

ギョッとしたトンボたちが一斉に声をあげた。

だってそのカメは、トンボたちの何倍も大きかったから・・・



 いざとなったら逃げればいい。

自分たちには翼があるんだ!

トンボたちは油断なくカメの動きを見守っていた。


「こんにちは」

と、大きなカメが声をかけた。

「話がしたいだけなんじゃ」

ようやく水から這い上がったカメは、ぺったりと岩にお腹をつけると首を伸ばしてトンボたちを見た。

「なぁんだ。ああ、びっくりした!」

顔を見合わせてトンボたちは笑った。



「すまんのぉ。驚かせるつもりはなかったんじゃよ」

大きなカメはのんびりと言った。

「で、いきなり現れたあんたは誰だい?」

サキグロがカメに言った。

「わしはこの池にすむカメじゃ。もうずいぶんと長いことここに住んでおる。じゃがの、この池の外のことは知らんのじゃ。だからキミらに教えてもらおうと思っての」

そう言ってカメは笑った。




「そっか、その体じゃ飛べそうにないもんね」

トンボたちは笑った。

「あたしはハゴロモ、こっちはサキグロ。あっちがクロスジで、彼がクロモンよ」

ハゴロモがうれしそうに仲間たちを紹介した。



「おや、キミらには名前があるのか?」

カメは驚いた顔をした。

「そうよ」

ハゴロモが得意そうに胸を張る。

「うむ、それはいい」

大きなカメは目を細めて笑った。



「どれ。ほう、みなよい顔をしておるの」

カメは長い首を伸ばしてトンボたちを見回した。

「名前には物語がある。自分の名前は大切にしなされ」

厳かにカメは言った。

「え?」

ハゴロモは、キョトンと首をかしげていた。



「わからんかの」

カメがニコニコと続ける。

「名前が生まれる時には、物語があるということじゃよ」

「あぁ!」


 ハゴロモはサキグロが自分に名前を付けてくれた時のことを思い出した。

小さな小さな物語。

でも、胸の奥が温かくなる。


「うん、その通りだわ!」

ハゴロモはうれしそうに頷いた。




 トンボたちは、あやめの谷戸についていろいろなことを話した。

「池の水は小さな流れになって、あっちから最初の田んぼに流れ込んでいるんだ」

「あぁ、あそこからならカメさんも田んぼに行かれるかもしれないよ」

「いやいや、田んぼの入り口には板が刺してあったじゃないか」

「そっか、やっぱりカメさんは行かれないかもなぁ・・・」

「ほっほっほ」

口々に話し始めたトンボたちの様子に、大きなカメは目を細めた。



「ずっと続いているこの田んぼのおしまいは、石垣になってるんだぜ」

「ここは大きな三角形になっているんだ」

「池があって、田んぼがあって、両側には林があって、下のほうには川があるんだ」

「ほうほう」

うれしそうに耳を傾けるカメ。

トンボたちは次から次へとあやめ池の外の世界について話した。



「では、あの山の向こうはどうなっているのかの?」

しばらく話を聞いていたカメは、トンボたちにこう尋ねた。

田んぼの先には、ずっと平地が続いていた。

でも、あやめ池の側は大きな山が空を切り取り、山の向こうは見えなかった。



「あー、あの山は、世界の果てさ」

サキグロは、どうにもならないといった様子で答えた。

「この世界は、あの山から始まっているんだよ」

しかつめらしく頷いた。

「うん、あの山の向こうには何もないね」

クロスジも首を振りながら答えた。

「なにもない?」

大きなカメは素っ頓狂な声をあげた。

「うん、なんにもない。まっ白!」

「まっ白!?」

サキグロの言葉にカメはひっくり返りそうになるほど驚いた。




「いいかい、世界はあの山からこの田んぼを通って、向こうの平地に続く大きな三角形で出来ているんだ」

「なるほど」

サキグロの言葉をかみ締めるように、カメは何度も頷いた。

「山の向こうにも世界があるなら、この池の水が向こう側へも流れて行かなきゃおかしいだろ?」

「ふむ・・・」

「だから向こうに世界はないんだ!」

サキグロは自信満々にこう言った。



「だから、あの山の頂が世界のはじまり。つまり、世界の果てってことなのさ」

言い放つサキグロの言葉に、大きく首をかしげたカメの頬が、いまにも水面にくっつきそうだ。


 世界は本当に三角形なのだろうか?

もしもそうなら、その三角形の外側には何があるのか?


 何もない?

 まっ白!?


 カメにはとても信じられなかった。



「もう一度聞くが、あの山の向こうはどうなっているのかの? まっ白とは思えんが・・・」

ぱちくりと瞬きを繰り返しながらカメは尋ねた。



「まっ白でなけりゃ、崖になって奈落の底まで落っこちているんだよ」

「なんと! うーむ、頭が痛くなってきたわい」

トンボたちは自信たっぷりに言い募るが、カメにはとても信じられなかった。



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