第2話 社会的死を迎えても、俺は女子高生を拾う

 俺はドキドキしながら、アパートへの帰り道を急いだ。




 お金を下ろしたわけじゃない。

 手元に現金はないんだが、100万円の振り込まれた通帳を持っているだけで落ち着かない。


 とりあえずアパートに戻って、もういちど通帳を確認しよう。

 コーヒーでも飲んで、気持ちを落ち着けたあとだ。


 俺の部屋は、ボロアパートの2階。

 階段を昇って、1番奥だ。




「あ……。かなおいさん、こんにちは。この前はおすそ分けの肉じゃが、ありがとう。お父さんも美味しいって、すごく喜んでたよ」


「お隣のゆめちゃんか……。その恰好は、どうしたんだ? ずぶ濡れじゃないか」


 階段を昇ってみて驚いた。


 俺の部屋の1つ手前。

 お隣さん宅のドアに寄りかかり、女の子が座り込んでいたんだ。


 彼女の名はえんどう夢花。


 県下で最高の偏差値を誇る公立高校の制服を着ている。

 だがその制服が、ずぶ濡れなんだ。


 普段はふわふわした巻き髪を左右に垂らしているんだが、今は水分を含んでべっとりと制服に張り付いてしまっている。

 ロシア人のお父さんと日本人のお母さんの間に生まれたそうで、髪色は色素の薄いストロベリーブロンド。

 容姿端麗でもあり、とても目立つ子だ。




「何があったんだ?」


「えへへ……。ちょっとドジっちゃって……」


 口元は笑っているけど、目は笑っていない。


 これはひょっとして、いじめに遭ったとかじゃないのか?


 この子は確か、親父さんと2人暮らし。

 親子仲は良かったみたいだから、虐待とかじゃないはずだ。




「家の鍵が、開いてないのかい?」


「お父さん、どこか出掛けちゃってるみたいで……。今日はあたし、家の鍵忘れて学校行っちゃったの」


「そりゃいけない。すぐに体を拭かないと、風邪ひいてしまう。――ちょっと待っていてくれ」


 俺は自室から、バスタオルを持ってきた。

 洗濯はきちんとしているから、臭くはないはずだ。


 まあオッサンの差し出したタオルなんて、使いたくはないかもしれないが。




「ありがとう。助かるわ」


 夢花ちゃんはそう言ってバスタオルを受け取り、髪から拭き始めた。


 ふう、受け取ってもらえて良かった。

 なんせ季節はもう、11月だからな。




 粗方拭き終わったみたいだけど、完全に乾かせたわけじゃない。


 廊下を吹き抜ける冷たい風を受けて、少女はカタカタと震え始めた。


 うーん。

 こいつは不味い。




「お父さんに、電話してみたら? スマホぐらい、持って行ってるだろう?」


「それがお父さんも私も、スマホを止められてて……」


 何でだ?

 料金を支払ってないとかか? 


 そうなると、連絡の取りようがない。

 濡れた体のままで、何時間も廊下に座り続けるなんて……。


 かと言って、俺の部屋に上がらせるわけにはいかない。


 女子高生に向かって、「部屋に来るかい?」なんて聞こうものなら事案だ。

 社会的に即死だ。


 少女はくしゃみをした。


 くそ……。顔が真っ青じゃないか。




 いいのか? かなおいじゅんいち


 このままでは、本当に風邪を引かせてしまうぞ?


 肺炎にでもなろうものなら、命にかかわるぞ?


 お前と違って若く、未来ある若者だぞ?




 俺は頭の癖っ毛を掻きむしった。


 ええい!

 なるようになれ!


 逮捕された時は、その時だ。




「ええっと……、夢花ちゃん。お父さんが帰ってくるまで、ウチで寒さを凌ぐかい?」






■□■□■□■□■□■□■□■□■






 夢花ちゃんを連れて部屋に戻った俺は、すぐに部屋の暖房を全開にした。


 普段は節約のため、なるべく使わないようにしている。

 だが今は、緊急事態だ。


 それに俺は女神のログインボーナスで、100万円手に入れた男。

 今日ぐらい、電気代をケチらなくてもいいだろう。


 すぐにお湯も沸かし始めた。


 コーヒーでも飲ませて、体の中から温めないとな。




「ねえ……金生さん。図々しいお願いだけど、何か服を貸してくれると助かるな。濡れた制服、脱ぎたいから……」


 脳内で、危険信号アラートがガンガン鳴り響く。


 俺の部屋で、制服を脱ぐだと!?


 それはダメだ!

 絶対にアウトだ!




「えっと……。それはさすがに、色々まずいと思うよ」


「ちゃんと洗って返すからさ。……お願い」


 そういう問題じゃないんだけどな。


 まあ部屋に上げてしまった時点で、もうアウトなんだ。

 ツーアウトでもスリーアウトでも、同じようなもんだろう。


 俺はタンスの中から、着替えを取り出した。


 シンプルなトレーナーとシャツ、カーゴパンツ。


 俺はわりと背が高い方だから、サイズは合わないだろう。

 それは仕方ない。


 夢花ちゃんは着替えを受け取ると、お礼を言いながらバスルームに消えた。


 布ズレの音がして、気分が落ち着かない。

 落ち着かないけど落ち着けよ、俺。


 ……夢花ちゃん。

 脱衣所じゃなくて、バスルームの中で着替えてくれ。


 コーヒーの香りで精神の安定を図っていると、着替え終わった夢花ちゃんが出てきた。




「なっ……!」


「ごめんなさい。カーゴパンツは、どうしてもサイズが合わなくて」


 夢花ちゃんは、カーゴパンツを履いていなかった。

 トレーナーの裾が太股辺りに来ているから、セーフと言えばセーフか?


 彼女のおみ足が、コタツ布団の中に収まってくれてホッとする。

 早めにコタツを出しておいてよかった。


 俺がコーヒーを差し出すと、フーフーと息を吹きかけ始める。


 カップを握る両手は、長すぎるトレーナーの裾に隠れてしまっていた。

 袖は長すぎるのに、胸元はキツキツだ。




「それで夢花ちゃんは、どうしてずぶ濡れになっていたんだい?」


「スカイフィッシュを追いかけていたら、用水路に落ちちゃった」


 はあ?

 スカイフィッシュって、未確認動物のあれ?

 空中を、超高速で飛行するっていう。


 この子、オカルト好きなのか?


「スカイフィッシュは、肉眼で捉えられないぐらい超高速で飛行するって聞いたけど……」


「あたし、目はいいの。野球部エースの速球を、3打席連続ホームランにしたことがあるぐらい」


 それは凄い!

 ……っていうか夢花ちゃんとこの野球部エース、大丈夫か?

 女の子からめった打ちにされて、トラウマになっていないか?




「スカイフィッシュなんて、そんな生物……」


「この目でハッキリと見たの!」


 夢花ちゃんはずいっと顔を近づけ、自分の目を指差した。

 凄く大きな瞳だ。


 そして……少し充血している。

 たぶん、泣いたあとなんだろう。






「スカイフィッシュ……なんだから……」


 消え入りそうな彼女の声を聞いて、俺はそれ以上追求するのをやめた。





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