草原の武人~異説三国志高順伝~

惟宗正史

第1話

 風が吹いている。

 高順は馬に乗りながら草原を駆ける。供は連れず、服装も戦直前とは思えない平服だ。武器は愛用の大刀を持ってきているが使うことはないと高順は考えている。

 丘の上で高順は愛馬を止める。遠くには并州に侵入してきた和連を総大将にした鮮卑の軍勢がいた。その実数は偵察ではわかっていないが、少なくとも五万はいると言うのが高順の主君である丁原の考えだ。

 勇猛果敢なのが鮮卑の戦士。高順の血にも半分は匈奴、すなわち鮮卑の血が流れている。だからこそ戦争に奮い立つことはするが臆することはない。まだ高順達が現在の主に仕えていない時、故郷の部落が匈奴に襲撃され物資が奪われるという事件が起きた。その時に高順は親友と二人だけで匈奴の襲撃軍に逆襲し、奪われていた物資を奪い返したのだ。それを知った現并州刺史丁原が高順の親友を属僚に取り立て、その親友の推挙で高順も丁原に仕えることとなった。

 高順にとって戦とは生まれた時からあるものだった。生まれた地が匈奴との最前線のために常に匈奴の脅威に晒されていた。親友と共に初めて匈奴を斬ったのは十になる前だっただろう。それから二人で怖いものなどない、とばかりに匈奴や鮮卑との戦いに明け暮れた。それは丁原に仕えてからも変わらない。襲いかかってくる匈奴達を撃退する日々だ。変わったのは親友と二人だけではなく、部隊を連れて戦うようになったことだろうか。高順は七百の部下を従えていた。部隊の鎧兜を黒で統一していたために『黒騎兵』として名前を高めている。

 高順は匈奴や鮮卑のような異民族が憎いわけではない。故郷には異民族からやってくる人物達もいたからだ。中には高順や親友の両親のように漢民族との間に子を設ける者だっている。だから匈奴や鮮卑も自分達と同じ人間だと言うことを知っている。それゆえに高順の黒騎兵と親友の赤騎兵には異民族との混血は当然として純粋な鮮卑や匈奴の人間もいる。

 強い者が偉い。それが異民族の認識だ。だから高順と親友は強くなった。誰よりも強くあろうとしている。

 高順は自分の気持ちが高揚してくるのを感じる。闘争本能を抑えるために敵陣の偵察に来たと言うのに、むしろ気分が高揚してしまっている。

 高順は一度大きく深呼吸をすると、手をかけていた大刀から手を離す。

「なんだ、兄弟。行かないのか?」

「呂布殿か」

 高順に話しかけてきたのは、高順と同じく平服を纏い、身長は一丈を超える偉丈夫。高順と共に数多くの戦陣を駆け抜けている呂布。字を奉先と言った。

 高順と呂布の付き合いは長い。同じ故郷で生まれ、年も一つしか違わなかったのでよく一緒に行動をした。寡黙で清廉潔白な高順と、陽気な性質を持つ呂布は正反対の性格であったが、不思議と気が合い何をするにも一緒だった。匈奴に奪われた物資を奪い返しに行ったのも呂布と二人である。人生の大半を一緒に過ごした二人は早くに失った両親以上の絆があった。

「黒騎兵のところに行ったら曹性が兄弟は偵察に行ったと聞いてな。てっきり単騎で斬り込むのかと思ったから俺も混ぜてもらおうと思ったんだが」

 呂布はそう言いながら愛用している戟を振り回す。大力の呂布だからこその芸当である。

「冗談がきついな。私は無茶をしないし、無理もしない」

「おう、そうだな。よく知っている。戦が始まるまでは慎重なくせに、いざ開戦すると真っ先に敵陣に斬り込むこともな」

 呂布の言葉に高順は不機嫌そうに黙り込む。自覚があるからだ。呂布と違い規律というものを遵守する主義の高順だが、戦が始まると血が騒いでしまって先頭で敵陣に斬り込んでしまうのだ。

 呂布は面白そうに笑うと持ってきていた酒を呑む。相変わらずの酒豪だ。高順が知る限りで呂布は給金の大半は酒に使っている。

「兄弟も呑むか?」

「私は呑めん」

「それも知っている」

 呂布の揶揄いながらの言葉に高順が不機嫌そうに返すと呂布は益々楽しそうに笑う。ここで常人だったら嫌な気分になるのかもしれないが、呂布の気質のせいか、言葉に嫌味の成分が含まれていないので嫌うこともできない。

「しかし、集まったものだな。壇石槐を斬ったのがいつだ?」

「三年前になる。その時に私も散々に追撃して数を減らしたと思ったのだがな」

「よくぞここまで数を戻したもんだな。敵の大将は……誰だったか?」

「和連。壇石槐の倅だ」

 高順の言葉に呂布は少し考える。

「聞いたことのない名前だ。兄弟は何か知っているか?」

「知らない。だが、あれだけの鮮卑を従えている」

「なら期待してもいいのかもな。壇石槐ほど楽しませてくれるといいんだがな」

「あんなのが何度も出てくるものか」

 呂布の言葉に高順は思わず吐き捨てる。

 壇石槐。鮮卑や匈奴を始めとした異民族を従え、漢帝国を脅かし続けた異民族達の王。三年前、壇石槐率いる鮮卑軍を最前線で迎撃したのが呂布と高順であった。高順はそこで人の域では到達できない一騎討ちを見た。呂布と壇石槐の一騎討ちだ。高順はそれまで呂布を超える武人など存在しないと思っていたが、その呂布を超えたのが壇石槐だった。最終的に呂布が壇石槐を斬ったが、高順の瞼には今でもあの一騎討ちが思い浮かぶ。お互いに一振り全てが必殺の一撃。あの風景を思い出すだけでも己の中にある武人の魂が震える。その後の追撃戦で魂が震えるがままに大刀を振るった結果が部下と共に積み上げた万に近い死体の山だった。

 その戦の後の三年。高順は常に鍛錬を続けたがいまだに二人の領域にたどり着いたとは思えない。

「……この戦で何か掴めると良いのだが」

「うん? 何か言ったか?」

 呂布の言葉に高順は何でもない、と首を振る。あの戦から三年経っている。高順の気持ちにあるのは呂布に並び立ちたいという気持ちだ。それが友として呂布を孤独にしない方法だと信じているがゆえにだ。

「呂布殿、高順殿」

 高順と呂布が二人で会話をしているところやってきた鎧を纏い愛用の矛を持った青年。名前を張遼。字を文遠と言った。

 張遼も壇石槐との戦の時に参戦していた。この時には高順の黒騎兵の一人として活躍し、呂布の圧倒的な武勇、高順の騎兵の指揮の巧みさと豪勇に惚れ込んだ男であった。そのために二人を兄と慕い、個人の武勇の鍛錬や騎馬隊の運用技術を高順に教え込まれ、今は丁原麾下にあって第三の騎兵隊である青騎兵を任されるに至っている。

 高順と呂布も純粋に二人を慕い、武の高みを目指す張遼を気に入っており、特に目をかけている。

「お二人とも、探しましたぞ」

「おう、張遼も敵陣視察か? 残念ながら奴らは陣内に引っ込んだまま出てくる気配がないところだ。あまりにもつまらないから兄弟と一緒に斬りこもうと思っているんだが、張遼も一緒にどうだ?」

 呂布の言葉に張遼は呆れたようにため息を吐いた。

「無茶を言わないでくだされ。お二人ならまだしも私はあそこに三騎で斬り込んで生き残る自信はありませんよ」

「兄弟と同じでつまらん漢だな」

 呂布はそう言いながらも空になったのか酒の入っていた壺を宙に放り投げて戟で粉々に砕いてしまう。

「それで張遼。何があった?」

 高順の問いに張遼も本来の役割を思い出したのか二人に向き合って口を開く。

「丁原刺史が本隊を率いて着陣しました。それに伴って赤騎兵の呂布殿、黒騎兵の高順殿をお呼びになっております」

 張遼の言葉に呂布は首を一度鳴らす。

「ようやく親父殿が到着されたか」

 呂布は丁原のことを父と呼ぶ。これは自分を引き上げてくれた恩を感じてのことだ。そのために独断専行や自分勝手な行動が多く、高順以外の人物の言葉には反発しがちな呂布も丁原の言う事は素直に聞くことが多い。

「まぁ、兄弟と一緒に連中の偵察部隊を狩るのにも飽きてきたところだ。どれ、親父殿のところに行くとするか」

「残念ながら呂布殿。そうもいかないようだ」

 高順は呂布の言葉を否定しながら敵陣に向かって愛用の大刀を向ける。そこには三人に向かってくる三十人ばかりの鮮卑の兵士達がやってきていた。大方、偵察に出ている兵士を殺して味方の士気を上げるつもりなのだろう。

 鮮卑の兵士達にとって不幸だったのはここにいるのはただの偵察兵ではなく、鮮卑達異民族からも恐れられる赤騎兵の指揮官と黒騎兵の指揮官がいたことであろう。

 呂布は軽い笑みを浮かべながら戟を持つ。高順も無言で大刀を構えた。

「せっかく向こうから来てくれたんだ。少し歓待してから親父殿の所に戻るとしよう」

「張遼はどうする」

「お供させていただきます」

 高順の問いに張遼も愛用している矛を構えながら返答してくる。呂布は張遼の答えに大笑すると愛馬である赤兎馬を向かって来ている鮮卑達に向かってかけ始める。高順と張遼もそれに続く。

 お互いに疾駆しながらの接近である。すぐにお互いにぶつかりあうことになる。高順は叫び声を上げながら斬りかかってくる先頭にいた鮮卑の戦士に大刀を一閃してその首を飛ばし。続いていた鮮卑の戦士も両断する。

 一瞬の交錯。その間に高順は四人の鮮卑の戦士を并州の原野に骸を晒させた

 騎兵の戦いも基本的に駆け抜けながらの戦いだ。そのために何度も馬を駆けながらぶつかりあうことになる。三度ほどそれを繰り返すと鮮卑の兵士で生き残っている者はいなくなっていた。

 高順と呂布はまだ余裕があると言わんばかりに、愛用している武器に付着している鮮卑の血を振り払う。余裕のある二人に引き換え、張遼は息切れを起こしている。

 それを見て呂布は愉快そうに笑う。

「張遼はまだまだだな。晋陽に戻ったら鍛えてやろう」

「呂布殿。その前にこの戦で生き残らねばならないだろう」

 高順の言葉に呂布は楽しそうに笑い声を挙げるのであった。

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