#2 思い出を花火にするお仕事です

 車の行き交う大通りから少し離れた繁華街に目的のビルはあった。一階は駐車場になっており、隅にある鉄の重い扉を押し開けると階段が現れる。2階まで上がりオフィスの扉の前に立ってから、もう一度自分の服装をチェックした。


 服装はなんでもいいということだったので黒いジーンズに白いパーカーを羽織ってきたのだが、どうにも嫌な予感がした。扉に手をかける。どうか全員私服でありますようにと願いながら扉を開けた。


 全員スーツだった。


 入り口付近に数名の集団がある。緊張した面持ちでいるのを見るに、おそらくバイトの集団だろう。彼らの向こうには机の列とパソコンが大量に並んでおり、そこへ観葉植物が小さな彩りを与えている。社員と思しき人たちの列がそばにあった。


「遠山さん?」バインダーを持った女性が近づいてくる。

「遠山明日です」僕は名乗りながら、写真も渡していないのになぜ名前がわかったのだろうと考え、「もしかして遅刻ですか?」


「いいや。オンザタイムだ」


 奥から金髪の男がずいと出てきた。身長は百八十センチくらいでやや色黒だった。軟派な外見をしてはいるがスーツ姿がそれなりに様になっている。


「社長」バインダーを持った女性が言った。

「あれが?」思わず僕は言ってしまう。

「気持ちはわかるよ」苦笑混じりのフォローが入る。「志麻です。よろしく」

「朝礼を始めよう」


 社長が手を叩きながらホワイトボードの前に移動する。社員もそれに倣い歩き始めた。僕もバイトの集団に紛れてそこに進む。


「まずバイトの諸君。合格おめでとう。数十人の応募があった中、君たち七人は選ばれ勝ち残った優秀な人間だ。誇っていい」


 社長の言葉に耳を傾けながらバイトとおぼしきスーツの姿を数えた。どう数えても五人しかいない。僕を入れて六人だ。あと一人はどこへ行ったのだろう。


「あの」バイトの一人が手を挙げた。「そろそろ業務内容について教えていただいてもいいのではないでしょうか」

「今から話す。しゃしゃり出るな」


 ピリッとした空気が張り詰める。


「記憶銀行が社会に浸透してしばらくたったころ、ある変わった数学者が趣味で記憶から色の配色を抽出するプログラムを作った」


 社長はホワイトボードに書き込みながら話を進める。


「そのプログラムによって作られた色の組み合わせと配置には、元となった記憶の中で提供者が経験した感情と記憶を、鑑賞者にそのまま伝達するという不思議なアルゴリズムを有している。色を見ると記憶が頭の中に思い浮かぶんだ。感受性が豊かな人間は音楽を聴いただけで思い思いの風景を頭に描くというが、このアルゴリズムはそれを強制的に発生させる。しかも百人が百人同じ風景を想起する。作った当の数学者はその原理についてなんら説明もしないまま病気で急逝してしまったが、なんにせよこれを利用しない手はない。そこで」


 社長がホワイトボードを叩いた。そこには『思い出を花火にするお仕事です』とギリギリ判読可能な字で書かれていた。「我々はその技術を花火に転用することにした」


 機を見計らったように社員の一人が社長に近づき、ヒモのようなものをわたした。


「これはその技術を使用した手持ち花火だ。記憶銀行に保存されている記憶を流用して作った。まずは実際にどういうものなのか、君たちに見てもらおう。したの駐車場に移動してくれ」社長は歩き出そうとして「ああその前に社員と一人ずつペアを作れ。知り合い同士でだまになるなよ。俺はそういうのが一番嫌いなんだ」


 傍若無人の一言が頭に思い浮かんだ。


 バイトの男女が困惑まじりに相談しながら社員の方へ歩いていく。僕が周囲を見渡していると、さっき話した志麻さんと目があい微笑まれた。


「私とくる?」

「お願いします」


 彼女は頷いてから一度部屋を見まわし、「そこの子も一緒においでよ。社員が一人足りないからさ」と言った。


 視線の先には女の子がいた。部屋の隅に縮こまっていたので今まで気が付かなかった。僕と同じ私服だった。ベージュのズボンに白いセーターを着ている。多分年齢も同じくらいだ。


「遠山明日です」僕は名乗った。


 彼女は怯えたように僕を見てから「東雲楓です」と呟いた。



「社長はさ、演出家なんだよね」


 駐車場に降りてライターを取り出しながら志麻さんが言った。


「電話のテストの時もなんか意味不明だったでしょ。あれは社長の趣味。全然業務とは関係ないから気にしないで」

「質問にキレたのも演出ですか?」僕は訊く。

「あれは素」志麻さんは苦笑する。「良くも悪くも歪な人間が好きなんだよね。あの人。ズレてる方が面白いってさ。だから遠山くんや東雲さんのことは気に入ったと思うよ」


「ズレてますかね」「ズレてません」

 僕と東雲が同時に言った。気まずい沈黙が数秒流れる。


 志麻さんが目を丸くしたあと笑いながら「私服で来る時点でズレてる。それに見てるだけで異質な人間ってのはわかるものなの。特に社長みたいな人間にしてみればね。狂気と狂気は惹かれ合う」


 狂ってるのがわかるなら雇わないべきでは、と思ったがその質問も野暮なのだろう。ああいうタイプの人間は面白いかどうかで全てを決めてしまう。


 志麻さんがライターを取り出して火をつけ、手持ち花火に近づける。


「じゃあ花火行くよ。瞬きせずに見るように」


 くすくすと笑いながら彼女は点火した。


 ぷすりと燻ってから花火は勢いよく火花を噴射し始める。その色の配色は僕が子供の頃見たようなものとは全く異なっており、見ていると酩酊したような気になってくる。突然強烈なイメージが頭の中に流れ込んだ。夜の海で花火を楽しむ男女、防波堤でキスするカップル、浴衣の匂い、ラムネの音、風鈴に涼む猫と祖母。そういう断片的なイメージがいくつも頭の中で湧き上がった。意識的にそれらを無視することはできなかった。まるで目をこじ開けたまま固定されたように、僕はそのイメージに釘付けになった。


 花火が萎れるように終わった。


「どう?」志麻さんが訊いてくる。

「えっと」僕は少しだけ首を傾げてしまった。「こんなの僕ら素人が作れるんですか?」

「大丈夫。私たちはパソコンで記憶にあれよあれよと加工を加えるだけだから。説明を受ければ誰でも操作はできるよ。それで感想は……」志麻さんは僕の顔色を伺い口ごもった。「あんまりだったか」


「コンセプト自体は悪くないと思います」東雲が口を開いた。「でも、何か違う」


 僕は彼女の強い口調に少し驚いた。東雲のように無口そうな人間がはっきりと意思を表示するのはそれだけ強い感情を持ったからだろう。


「はっきり言うね」志麻さんは胸を矢で打たれたような仕草をした。

「すみません」

「いいのいいの。むしろその感覚は大事にした方がいい。アーティスト、って言うのは大仰かも知れないけれど、私たちみたいな職業人に必要なのは欠点を見つける才能だからね。欠点がどこかさえわかればいくらでも作品の質を向上させられる。そういう人は時間さえかければ天才に匹敵する作品を作り出せる。まあその根気がない人がほとんどなわけだけれども」


 志麻さんは立ち上がり膝のほこりを払った。「じゃあ上にあがろうか」


 僕と東雲も立ち上がり彼女について行こうとする。


 偶然手と手が触れ合った。


「ごめん」

「いえ」


 志麻さんが肩越しに振り返る。「うちは社内恋愛推奨派だからね。安心しなよ」


 そういうんじゃないです、と言おうとしてやめた。東雲に対して失礼に当たるかも知れなかったからだ。


「そういうんじゃないです」だが東雲は言った。


 少し惨めな気分だった。




 それから僕と東雲は志麻さんに花火の作り方について一日かけて教わった。


 と言っても大半はケースワークだけで、記憶に加工をするシステムはGUIでできていため、覚えることは基本的に三つだけだった。


 配列、組み込み、寸断だ。


 配列は記憶を順番に並べるというオーソドックスな加工だ。例えばAとBと言う記憶があったとして、A-Bという配列にすれば、Aという記憶がまず再生され、それが終わると次いでBが再生される。


 組み込みは記憶の中に記憶を入れるという加工だ。入れ子構造にする加工といってもいい。これを用いれば物語でいうところの所謂回想のような演出を行うこともできるし、あえて無関係な記憶を入れることによって言外のメッセージを表現することもできる。扱いが難しいが、上手く使うことができれば花火の質を大幅に向上させられる。


 最後の寸断は複数の記憶をごちゃごちゃに切り裂いて混ぜるという加工だ。駐車場で見せてもらった手持ち花火はこの加工を主にして作られたらしい。多くの記憶を粉々にして一緒くたにしてしまうというのが少し悲しくも感じられるが、しかしこれを行うことでコンセプトを全面的に押し出した花火が作成可能になる。確かに志麻さんに見せてもらった花火には夏という一貫したコンセプトが如実に現れていた。


「できそう?」とワークを終えた後で志麻さんが訊いてきた。

「一応は」僕は答える。

「東雲さんは?」


 東雲は少し考え込み「私たちはなんの花火を作るんですか?」と訊いた。


「もちろん打ち上げ花火だよ」

「そうですか」東雲は息を呑む。

「責任重大ですね」

「そうだよ。しかも夏祭りは2ヶ月後だけど花火の発注には時間がかかるから、締め切りはあと1ヶ月。私たちがしくじったら花火大会はおじゃん。責任超重大」

「ひとつの花火には」東雲が上擦った声で手をあげる。「記憶をいくつまで使って大丈夫なんでしょう」

「原理的にはいくらでもいいんだけどね。花火の持続時間的に十個が限界かな」


 と、そこで入り口の扉が開いて社長が入ってきた。


「あ社長。お疲れ様です」

「おう」社長が手を上げて答える。


 彼はそのままホワイトボードの前までフラフラ歩いて行くと、皆の方に向き直った。


 朝の一件があったので、バイトはみな緊張の面持ちで社長の方へ視線を投げる。その様子を見て社員の皆は微笑んでいる。


「――ました」


 社長が言う。


「決まりましたああああああああああああああああああああ‼︎」


 部屋全体がビリビリと震えた。


 社長がホワイトボードにまた何かを殴り書きする。今回は三秒程度で彼は『大勝利』と書き終えた。


「何が決まったんすか社長」


 と社員の一人がニヤニヤしながら問う。その口調は何が起こったか全て知っているふうだった。


「決まってるだろ」社長はホワイトボードをばんと叩いて「運命の人の記憶の優先使用権だよ」


 思いがけないところでその名前が出たことに僕は動揺する。唾液が一瞬で蒸発したように口の中が乾いた。


「当然ながら運命の人の記憶は今回の夏祭りに向けて作る花火にも使用する。だがこいつは思いがけない大事業だ。この俺とて迂闊な判断はできない。そこでだ。社内コンペを開催する。今から1週間、お前ら各々総出で花火のための記憶アソートを作れ。それを一つずつ評価して、最も高い評価を得たものにこの運命の人の記憶の加工を任せることにする。異論のあるものは?」


 バイトの一人がおずおずと手を挙げた。朝に手を挙げたのとは違う人だった。


「僕らみたいな素人も参加するんですか?」声が震えている。

「俺らはプロだ。だから実力至上主義を採用している。それにこの仕事はどちらかといえば素質の方が重要だ。まだ作ってないお前らにはわからんだろうがな。いずれわかるだろ。まそういうわけだ。わかったか」

「はい」小さな声が答える。

「わかったかあ⁈」

 

 はいいいいいいいいいいいい、とバイトが叫んだ。


「よし。では今日は解散。お疲れ」


 お疲れっしたーという声と共に空気が弛緩した。


「あの」


 皆が帰宅の準備に取り掛かる中、東雲が声をかけてくる。


「何?」僕は思わず怪訝な顔で振り向く。

「あのその、今日の朝のあれ。すみませんでした」


 朝の、とは多分志麻さんに揶揄われた時のことを言っているのだろう。


「気にしてないよ。大丈夫」僕はなれない笑顔を作った。


「……ふふっ」東雲は手を口に当てて微笑んだ。「あ、ごめんなさい」そして目を一度伏せてから「なんだか下手くそな笑い顔だったので」


「下手くそね」そんな気はしていた。「いいけど」

「じゃあ、その。また」

「うん」


 彼女の背を見送った後、僕は自転車で帰った。



 次の日、在宅ワークでも可ということだったので僕はラップトップで会社指定のクラウドに接続し、自室で記憶加工を始めた。


 社長の言葉が頭をリフレインしていた。最も高い評価を得たものには運命の人の記憶の加工を任せることにする。それはすなわち記憶の中身を優先的に見られるということでもある。


 正直見たくないという気持ちが大きかった。あれ程の高値がついた記憶だ。きっととても美しい記憶がそこには保存されているのだろう。僕がそれと気づかずに失ってしまった美しい記憶が。失って二度と戻らないそれの内容を知ることはきっと苦痛に満ちた作業になるだろうと思った。


 だがもちろん好奇心もある。自分があれだけあっさり捨ててしまった記憶の何にそれほどの値段がついたのか。それは一体どんな内容だったのか。喉から手が出るほど知りたいとも感じていた。知りたくないが知りたい。知りたいが知りたくない。どちらともつかない葛藤は僕の心をかき乱した。


 ともあれまずは記憶アソートを作ることに専念しなければならない。仕事として引き受けた以上は半端なことはできないし、そもそも出来が悪ければ記憶を見る権利を与えられることもないのだ。悩むのはその時になってからでもいいだろう。その時が来ない可能性もあるのだから。


 閲覧を許可された範囲だけでも無数の記憶がクラウド上には存在していた。中にはまるでフィクションから抜き出したような荒唐無稽な記憶も混ざっている。これは本当に人生か、と僕は思った。


 一つ目のアソートが完成した。悪くはない出来だと思う。ところどころにその場しのぎ的な部分があるが、それも味としてみれば良いのではないかと思えた。


 だが一晩経ってからそれを見返してみると、味はどこにも見当たらないように感じられた。どこをどうとっても酷い出来だった。人様に見せられたものではない。恥ずかしくなって僕はそれを消去した。


 この経験から僕は二つのことを学んだ。一つは、作った直後の感性を信用してはならないこと。創作の直後はいわばクリエイターズハイとでも言うべき状態になっているので、何を見ても「これは良いものだ」と錯覚してしまう。もう一つは、作りたいものではなく見たいものを作らなければならないということだ。受け手の視点が欠落していたら良いものなど作れるはずがない。


 創作というのは感性が全てだと思っていた。だが違った。論理性が何よりも重要だ。何がどこにあり、それにどんな意味があるのか、作り手は全て説明できなくてはならなかった。電話でのテストを思い出す。なるほど、確かにあのテストの内容は適切なチョイスだった。先入観にとらわれない論理性。創作において何よりも重要な素質だ。


 反省を胸に僕はもう一度記憶アソートの制作に着手した。今度はまず扱う記憶を無作為に抽出し、それを眺めながら全体の構成を考えた。感情の起伏、文脈、意外性のあるリズム、かといって人間の感性に反しないリズム。それに基づいた配列を行い、ついで省略できる部分は組み込みと寸断を用いて必要最小限の描写に収めた。

今度はまずまずうまくいったと思う。完璧とは言い難いが、しかしこの手の活動において完璧を求めるのは愚策中の愚策だ。及第点。それくらいの出来にはなったのではないかと思う。僕は同様にして三つ目に着手した。


 作っても作っても、その作業に慣れることはなかった。無着手の記憶を前にした時、僕はまるで赤子に戻ったかのように、眼前にひろがる膨大な可能性に困惑した。経験を積めば積むほどむしろ下手になっていっているような感覚に襲われる。だがその感覚とは裏腹に、完成した作品を見比べてみると後に作成したものほど出来が良い傾向にあった。無論むらはあったが、それでも全体的に見ると成長の軌跡が描けた。


 この調子なら一番高い評価を得られるのではないか、とふと思う。いやいやそんなはずはない、自惚れるなと僕が言う。いやまて自分の評価は当てにならないと言っただろう、過度に高く評価してしまうのと同様に、自分の作品の可能性を見誤ることもあるのではないか、だとすればお前の作品はものすごい傑作なのかもしれないぞ、とどこからともなく心の声が聞こえてくる。


 社内コンペの締切直前には十個の記憶アソートが完成していた。満足できずに削除したものも合わせれば合計で三十個ほど作ったのではないだろうか。怠惰な自分にしてはまずまず努力した方だと思う。


 あとは結果を待つだけだった。

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