第11話 花の夢守り

 朝日の花びらが舞う芝生の庭を、大理石の荘厳な柱廊が取り囲む。オズクレイドを主神とする修道士とザッハトッシュ家の一族にのみゆるされたその通路を、黒衣のシスターたちを引きつれて、純白の花嫁が渡っていく。


 歩くたび揺れるペンダントに、冷えた指先が添えられた。コツ、と爪がノックする。


(コクヨウ、私ちゃんと、オズクレイドさまに失礼のない見た目になっていますか……?)

『知らねーよ。つか俺にシツレイ』


 コクヨウの不機嫌はあからさまだった。


『ウワキモノ』

(浮気じゃありません)

『まー、そうだよな。あんたからすりゃ、もともとあっちのほうが本命だったわけだし。そこを俺が横からかっさらったってだけで』


 ペンダントが両手で握られる。

 いまは触れられない彼の身体を、そっと抱きしめるように。


(あなたにさらわれたのではなく、私があなたを選んだのです。コクヨウ、私は私のしたことに責任を持ちます。オズクレイドさまにはご慈悲を願いに参るだけです。不安かもしれませんが、どうか私を信じてくださいませんか)


 真摯な訴えに、コクヨウはしばらく黙りこんだ。

 誰よりもそばで過ごしてきた二人である。コクヨウはクラリスの誠実さを理解していたし、クラリスは彼が理屈でほぐせない嫉妬に苛まれていることを察していた。悪魔としての独占欲か、きょうだいとしての情か——まだ夫婦という関係性に実感のない彼女は、嫉妬の原因はその二つまでしか思い当たらなかったが、真っ直ぐに想いを伝えることが彼には効果的であることを知っていた。


 やがて、クラリスの耳もとにため息が落とされる。


 コクヨウはさきほどよりもいくらか落ち着いた声で言った。


『なんか腹立つ』

(な、なぜですか……)

『バーカ』


 やはり彼のことなどこれっぽっちもわからないと肩を落としかけたところで、先導していたシスターたちがふいに足を止めた。


 目前に、二人がかりで開けなくてはならないような立派な扉がそびえていた。装飾的だった花嫁の間とは逆に、装飾の一切が排されたシンプルな造りであったが、ひと目見てこの城のどこよりも神聖な場所だとわかる。


 背筋を伸ばすクラリスの前で、これも儀式の一環とばかりに丁寧に扉が開かれた。


「こちらがオズさまの私室。奥にある扉の向こうが寝室——『ゆりかご』です」


 やはり白を基調とした一室だった。

 だが明るい花びらの入りこむ窓ガラスには藍のカーテンが飾られ、壁も純白というほどではなく、淡い花模様があしらわれてあった。繊細な装飾のほどこされたテーブルと椅子、壁際に絵皿の飾られる飴色の暖炉、床を覆う絨毯には巨大な鷲が翼を広げている。


 貴族の屋敷——しかも国を三分する支配者の居城などこれまで立ち入ったことのなかったクラリスにしてみれば、『私室』のかたちを模した壮大な芸術品かなにかに見えた。清掃が行き届いているのにもかかわらず、生活感がまったく感じられないのもその印象を後押しした。


「私たちは扉の前に控えています。ここから先はクラリス、あなた一人で行くのです」


 マーロウが、クラリスの背に手を添えた。

 うながされて足を踏み入れると、深々と礼をしたシスターたちがゆっくり扉を閉めた。


「オズクレイドさま……」


 生まれたときからずっと、千年ものあいだ眠ったままだという花の夢守り。絵画では、赤子の姿であったり、若者の姿であったり、杖をついた老人の姿で描かれることもある。実際に目の当たりにした者が、神聖なその御姿を触れまわることはゆるされていない。


(いったいどんな方なのかしら……)

『ミイラになってたりしてな』


 コクヨウの悪態を無視して、クラリスは意を決して奥の扉に近づいた。


 手順はそう難しいものではない。寝台に眠るオズクレイドの手に触れて、婚姻の誓いを口にすれば、おのずと衣服に変化が現れるという。クラリスは婚姻の誓いの代わりに、懺悔と祈りを捧げようと考えていた。


 ノックを三度。手が震えていた。


「夢添いの儀に参りました。クラリスと申します」


 当然、返事はない。

 金のドアノブに手をかける。

 片手でペンダントを握りながら、おそるおそる開くと、隙間から翡翠の瞳がのぞいた。


『見てたよ』

「わああああ!」

『おっと、転ばないように、後ろには戸棚の角があるよ。残念ながらぼくはきみの手をつかむことができないからね。落ち着いて、深呼吸をしよう。ほら、ひっ、ひっ、ふー』

「ひ、ひ、ふう……」


 まくしたてるような早口に圧倒され、扉をすり抜けて間近に迫った男の美貌に驚愕して、わけもわからず言われた通りにする。


 愛嬌たっぷりに彼は微笑んだ。タンポポの花に似たふわふわとした髪が、首を傾げる仕草に揺れる。見るからに上等そうなリネンの寝巻きにガウンを重ねた格好は、彼こそがこの部屋の主人であることを表していた。


「お、おず、おずおずおず……」

『そう。オズクレイドだよ。おずおずしちゃってるのはきみのほうだね、かーわいい』

『クラリス、帰るぞ』


 冷ややかな仏頂面が、クラリスとオズクレイドとのあいだに割り込んだ。


「コクヨウ⁉︎」

『あ? 俺のこと見えてんのか?』

『そりゃあ間男の姿はちゃんと見ておきたいじゃない? ふうん、ずいぶんとエキゾチックなんだね。でも野蛮だなぁ』


 彼がつかみかかる予感がして、クラリスは慌ててコクヨウの服をつかもうとした。だが指先はすり抜ける。姿が見えるだけで、夜のように触れることはできないようだった。


 幸いにも、コクヨウは落ち着いているように見えた。

 腰もとに垂れた手は指先まで力が抜かれていて、獣のように威嚇することもない。


 鷹揚に神をふり返ると、彼は静かに問う。


『なんでこいつの祈りに応えなかった』

「なっ……やめなさいコクヨウ! 申し訳ございませんオズクレイドさま! コクヨウあなた、花の夢守りさまに向かってなんてことを——」


 コクヨウの前に回りこんだクラリスは、凍てつくような金の目を見て言葉をのみこむ。


 いつもがなるように怒りをあらわにする彼が、これまでただの一度も本気で怒ったことがなかったことを、このときはじめて知る。


 沈黙は鋭く、殺気をおびて室内を支配する。


 苛烈さに隠されていた彼の本性は理性的で、荒れ狂うばかりの獣よりずっと獰猛だった。

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