10 私の知らないことばかり


 ダニールはおかしい。とんでもない。

 その評価は正しかった。種からあっという間に花を咲かせるようなこと、普通はできないらしい。


「だって、僕はおまじないの専門家だし」

「おまえのはもうじゃなくての領域だ」


 イグナートに言いきられて、ダニールは渋い顔だった。別に特別なつもりはない。研究に没頭するうちにこうなっただけだ。


 次の町ラーツはそんなに遠くない。余裕があるとみて馬車を停めたついでに休憩にし、五人は乾いた野原に布を広げ腰をおろした。

 自然の中でこんなふうにするのは初めてでマルーシャは深呼吸した。体に力をもらえる気がする。自分は妖精族なのだと血で理解した。


 ダニールが咲かせたオダマキがそこで揺れていた。

 季節外れの花はそれでも強く、喜びに満ちている。このまま種を落とし、命をつなぐのだろうか。

 ファロニアが小国のわりに栄えているのは妖精族の力が豊かな実りをもたらすからだった。

 だがそれも、農民たちが毎日ゆっくりと大地の恵みを引き出すおかげ。小麦を急激に育てて二期、三期と収穫したりはできない。この花はあくまで例外だ。


「みんながダニールみたいだったら、やれるのかもねえ」

「食糧を増産できたら大国に対抗できるだろうな」

「いや」


 ラリサとイグナートの軽口に、ダニールは首を振った。


「そんなに豊かな土地なら、と侵略されるだけだ。だから侯爵閣下もこのおまじないを広めようとはしなかった」

「せちがらいな、おい……」


 妖精の力がなければ、ただの狭い国。平野よりも収量はおとるだろう。期待外れだと打ち捨てられ荒廃するのがオチかもしれない。


「僕の研究は、あまり役に立たないんだよ」


 ダニールは新妻に少し情けない告白をした。夫として見栄は張りたいところだが、正直でもありたい。でもマルーシャは笑顔ではげました。


「国のためとかはわからないけど。お花、私は嬉しい」

「わたしも!」


 ミュシカもご機嫌でダニールの膝に乗る。妻と、仮の娘。家族二人がそう言ってくれるならいいかとダニールは微笑んだ。


「あ、私にもおまじないを教えてね。あの歌の意味を聞きたいんだった」


 マルーシャは思い出してねだった。二人の出会いもおまじないを口ずさんでいた時だった。


「ならマルーシャちゃんも花を咲かせてみなよ。春の愛し子なら、そっちの適性があるんじゃないか」


 ダニールの向こうからイグナートが言う。そのをとんでもないと言ったくせに、勝手なものだ。だがダニールは真面目な顔になった。


「――それもそうか」

「え。だって難しいんでしょ?」

「いや難しい……のか? そうかな」


 この件に関してダニールの見解はあてにならない。研究していたらできるようになっていただけという言い分は、たぶん努力を努力と感じていないだけだ。


「春は育み、ことほぐ。喜びの季節だ。草花は春に芽吹くものが多いし、マルーシャには向いていると思う」


 ダニールはやや期待するような口調だった。


「人の間にあって、しかも石造りの町にいたのに春に愛されたんだよ。マルーシャは強い何かを持っているのかもしれない」

「ええと、それはたぶん気のせいよ?」


 妖精としての力を初めて感じたのは今さっき。そんなことを言われても困る。

 マルーシャが春に愛されているとしたらそれはきっと、母から受け継いだ愛だ。母アレーシャは素晴らしい妖精だったのだろう。


「いいからやってみよう」


 ダニールはミュシカを膝からおろして立ち、マルーシャの手を引いた。とても楽しそうだ。

 実のところダニールの研究に参加できる人材というのは、ほぼいない。細分化し専門化した難しいおまじないは、確かにと呼ぶにふさわしかった。妖精族といえどもそのレベルで力を操る者は少ない。


「……やってみるだけね」

「せっかくの野原なんだ、外でしかできないことを教えるよ」


 マルーシャが強い力を持つのなら。ダニールの研究を理解してくれたなら。そういう期待がダニールの胸に生まれていた。

 ずっと一人で、変わり者として生きてきたけれど、この仕事を分かち合える人がいるなら嬉しい。それがこの愛したマルーシャならば最高だ。

 そんな思いは知らないマルーシャだが、ダニールが喜ぶのなら付き合ってみるのに異存はなかった。なのでまずは言葉と、その意味を教わる。


ツェラム ジニ ツェトゥ ラスタ命よ進め 花開け


 口の中でつぶやき、繰り返す。不思議な響きだ。


「じゃあさっきの花の近くで。同じように種がこぼれているはずだから感じてごらん」


 なんでもなさそうに言われてマルーシャは夫を振り向いた。


「ダニール……感じてって、そんな」

「無理かな?」


 ダニールの微笑みは静かだが、いきなりその要求は無邪気にすぎる。天才はこれだから誰もついていけないんだよな、と後ろでイグナートはこっそりため息をついた。


「どうすればいいの? 教えて」


 だがマルーシャは素直にダニールを見上げる。するとミュシカが寄ってきた。


「おめめとじて、じめんのなかをみるの」

「ミュシカも教えてくれるの? ありがとう」


 隣でミュシカがするのを真似る。これなら遊びのようなものだからマルーシャも気楽だ。目をつむり意識を地中に向ける。

 マルーシャは何か小さな光をとらえた気がした。


「キラキラいのちがいたらね、いいこいいこ、するのよ」


 楽しげなミュシカの言葉にみちびかれる。

 マルーシャは見つけた何かに心で手を差し伸べた。


「それで、いうの。ツェラム ジニ ツェトゥ ラスタ!」

ツェラム ジニ ツェトゥ ラスタ命よ進め 花開け


 ミュシカの声と同調し、ほとんど無意識につぶやいた。

 ぶわ、とマルーシャから何かがあふれる。

 ハッとなって目を開けた。私、何を――。


「――きゃ!」


 目の前の地面が、ぜた。

 その瞬間グイと後ろに引かれる。ダニールが両手にマルーシャとミュシカを抱いて跳びすさったのだ。

 パラパラと土が舞い落ちる。小さな穴が地面に空いていた。


「――そうきたか」


 二人を抱きしめたままダニールはつぶやいた。ちょっと想定外だ。マルーシャは自分が何をしてしまったのか茫然とする。するとミュシカが妙な声で言った。


「……はえやっひゃ」


 べーっ、と口を開けたまましゃべっている。舌に土がついていた。「食べちゃった」と言ったらしい。


「あらあらあら」


 ラリサが慌てて駆けよってハンカチで拭き取った。口をゆすがせに連れていく。

 だがマルーシャは動けずに、空いた穴を見つめていた。


「マルーシャ」


 ダニールがそっと肩を抱き直した。


「大丈夫、たいしたことじゃない。少し力が大きかったんだと思う」

「ダニール……」


 マルーシャは小さく震えていた。たいしたことじゃないと言われても、十分たいしたことだ。地をえぐるなんて。


「マルーシャだけじゃなく、ミュシカの力も重なってしまったんだろう。あれも強い子だから」

「……そう、なの?」


 顔を上げて、ダニールの腕の中なことにマルーシャは気づいた。だけど動きたくない。目よりも高いところにある肩に甘えてしまいたい。少し、怖かったから。

 するとダニールは遠慮がちに頭を抱きよせてくれた。胸にもたれて、マルーシャはほっと息をついた。

 マルーシャの背をなでながらダニールはささやいた。


「――ミュシカのこと話していなくてごめん。あの子はなかなか君から離れてくれないし、時間がとれなかった。ちゃんと、教えるよ」


 穏やかな黒い瞳を見上げ、マルーシャは首をかしげた。そういえば、ミュシカがダニールの元にいる理由も聞いていないのだった。

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