十八

 どんよりとした曇り空。外に出るのも億劫な天気の中、アメリアは数名のお供を連れて王城へと向かう。

 馬車から降りると、そこにはアルミンが待っていた。副団長直々の出迎えに各々気になるところはあったが、黙ってアルミンの後をついて歩く。


 着いた先は、騎士団が使用している訓練場。中に入ってすぐに、なぜアルミンが案内係として駆り出されたのかがわかった。

 訓練場では、ほとんどの団員達が地面に倒れていた。立っているのは勇気と第一部隊の者達のみ。他の部隊は団長ですら地面に伏している。


 さすがマンフレート率いる第一だ。……と、言いたいところだが、その第一部隊もかなり疲弊しているようだった。

 それに比べ、彼らを一人で相手しているはずの勇気は息すら上がっていない。第一部隊のメンバーはすでに満身創痍だというのに。一応団長のマンフレートは余力があるようだが、周りの団員達を守ることを優先して守りに徹しているようだ。


「こちらです」


 アルミンに促され、我に返ったアメリア達は足を進めた。その先には、バルドゥルやクリスティーヌと、ギュンターやベンノといったいつものメンバーが揃っている。


 アメリアの顔を見た瞬間、バルドゥルがホッとしたように息を吐く。


「よくきてくれた」

「本当にいいのですか?」


 バルドゥルではなくクリスティーヌに確認するアメリア。クリスティーヌとアメリアの身長差は十センチ程。どうしてもクリスティーヌが上からアメリアを見下すような形になるのだが、今日はそれに加えて明らかな苛立ちが含まれていた。


「くだらない質問をしていないでさっさとどうにかしてちょうだい! はやく、元のユウキ様に戻しなさいよ!」  


 よっぽど精神的にこたえているのだろう。言葉を繕う余裕もないようだ。

 クリスティーヌのメリハリボディは未だ健在だが、その顔色は悪く、やつれているように見える。


 勇気の色恋沙汰についてはアメリアも知っている。クリスティーヌが可哀相だとも思う。

 ただ、だからといって八つ当たりを甘んじて受け入れるつもりはない。アメリアは聖女であり、その聖女にお願いしているのはクリスティーヌ達だ。

 それに……形だけとはいえアメリアは王妃でもある。クリスティーヌが吠えていい相手ではないのだ。とはいえ、腹立たしいことにここにクリスティーヌを諫めてくれる者はいない。


 結局黙ってやりすごそうとした時、アメリアの後ろで控えていた女神官が一歩前に出ようとした。慌ててアメリアは片手で押し止める。アメリアはちらりと視線をやり、苦笑して首を横に振った。

 目深に被った神官用の帽子の影から悔し気な眼差しがのぞいている。アメリアはその眼差し一つで心が凪ぐのがわかった。


 ――――理解者がいるだけでこんなにも心穏やかになれるのね。


 妙な感動に浸っていたからだろうか、護衛としてついてきた聖騎士がもの言いたげにじっとアメリアを見つめた。


 思考の邪魔をされたアメリアは仕方なく、バルドゥルに視線を戻す。


「そうですか……なら、まずはもう一度あの剣を確認しましょうか」

「じゃあ、さっそく合図を送るね!」


 そう言って口を挟んだのはギュンターだ。ワクワクした様子のギュンターの視線はすでに勇気へと向いている。


 ギュンターが何かを小声で呟いた後、戦闘中のはずのマンフレートがこちらをちらりと見た。

 ギュンターがニコニコと微笑みながら頷くと、マンフレートは一気に勇気との距離を詰める。

 第一部隊の者達も心得ているように、一気に別の方向から剣を振るった。


 勇気の瞳がドロリと濁る。その瞬間、勇気に刃を向けた人々が一気に四方に弾かれた。壁に直撃すれば大怪我は免れなかっただろうが、そこには予期していたのかギュンターが展開した水魔法で造ったクッションがあった。おかげで皆何とか無事なようだ。


 ホッとしたようにバルドゥルが息を吐く、そしてアメリアを見た。アメリアはじっと勇気と聖剣を見つめたままはっきりと告げた。


「あれはもう手遅れね。無理矢理にでも取り上げて浄化するしかないわ」


 誰かが息を呑んだ音がした。全員の顔色が悪い。

 バルドゥルが困ったように呟く。


「手遅れ、か。なら、残念だけどやっぱり仕方ない……ね。もっとユウキ様には頑張ってほしかったんだけどなあ。これ以上はクリスティーヌもマルクスも限界だし……マルクスなんてユウキ様がこのままだと自分好みの子達まで全員盗られちゃうからって他国に行ったきり帰ってこないし」


 溜息交じりの呟きが聞こえたベンノは怒りを露わに拳を振り上げ、バルドゥルの頭に拳骨を落とした。

 頭を抱え込みしゃがむバルドゥル。ここまで冷静さを失っているベンノは珍しい。

 戸惑っている様子のバルドゥルにベンノの怒りのボルテージはさらに上がっていく。


「あなたはまだそんなこと言っているのですか! あなたが欲をかかなければこんな事態にはならなかったというのにっ。今や王家の威信は失墜してしまっているのですよ! わかっているのですか?!」

「えっ、いや、そこまではないだろう?」

「ワグナー王国が認めた勇者が各地で災害級の被害を出しているんですよ。確かに全体的に見ればプラスですが、周りをかえりみない戦闘のせいで被害も確実に増えています。そして、ユウキ様の評価はワグナー王国王家への評価とも直結しています。ユウキ様がクリスティーヌ様の婚約者だということは国外にも知れ渡っていますからね。幸か不幸か、今はまだユウキ様を恐れて反王家派に大きな動きはないようですが、それも時間の問題かもしれませんよ」


 バルドゥルは叱られた子犬のような顔で黙り込んだ。自分の都合が悪くなるとバルドゥルはこういう顔をよくする。そうすればベンノは強く出られないと知っているからだ。

 代わりに口を開いたのはクリスティーヌ。


「ユウキ様が災害扱い?! 反王家派?! 不敬極まりないわ! ユウキ様は勇者よ? 何をしても許されるに決まっているでしょう!」


 今まで被っていた猫はとっくの昔に逃げてしまっていたらしい。最近ではおなじみとなったヒステリッククリスティーヌへ皆が厳しい視線を向ける。

 今までは何かと蝶よ花よと育てられたクリスティーヌとしてはそんな視線すら忌々しいと苛立ちを募らせている。


 そんな時、女神官が口を開いた。


「何をしても許されるのならこのままでいいのでは?」


 その言葉にクリスティーヌは目を吊り上げる。


「は? 何を言っているのかしら。いいわけないでしょう? あのユウキ様は本当のユウキ様じゃないんだから」

「本当のユウキ様ですか……。えーと、まず……あの剣をとりあげたらクリスティーヌ様が言うは勇者じゃなくなるんですけど……」

「あなたは先程から何を言っているの? ユウキ様は王家に認められた正式な勇者よ。一度剣を手放したくらいでそんなっ」

「誰だ……俺からコイツを奪おうとしているやつは……この剣は俺のものだ誰にも渡さない!」

「危ないっ!」


 二人の会話が耳に入ったのだろう。憤怒の表情を浮かべた勇気は一瞬で間合いを詰め、剣で二人を薙ぎ払おうとした。抜き身の魔剣を手にしている勇気の速度に追いつけるものはいない。

 女神官は咄嗟の判断で、クリスティーヌを突き飛ばした。


 勇気の剣が女神官を切る瞬間、「サオリ!」という叫び声が響いた。

 女神官の帽子が外れ、髪の毛がふわりと揺れる。勇気の目がめいいっぱい開いた。

 沙織のしていた黒バラのネックレスが切れ、神官服が切れ、その下の皮膚が切れ……る前に服の下から出てきたもう一つのネックレス……の雫型のトップが虹色に光り沙織の身体を包みこんだ。それは以前、ギュンターからもらったもの。

 おかげで沙織は無傷で助かった。ただ、発動後は力を使い果たしたようで、ただのネックレスとなっている。


 けれど、それで十分だった。己が切ろうとした相手が沙織だと気付いた勇気は、一気に戦意を喪失したからだ。


「さ、沙織、ちが、俺は、そんなつもりじゃ」


 必死に言い訳を繰り返す勇気を見据えて沙織は一歩一歩近づいていく。その気迫に押されたのか、それとも別のに気づいたのか勇気はその分後ろに下がっていく。

 沙織は未だかつてない程の怒りに震えていた。それは自分が切られそうになったからではない。


 ワグナー王国に帰ってきてそんなに経ってないというのに沙織の耳には勇気がしでかしたあれやこれやがしっかりと届いていた。

 日本にいた頃の勇気も確かに嫌いだった。それでも、尊敬できるところもあったのだ。けれど、今の勇気はそれすらもない。


 ――――勇気コイツは私がやらないと。


 元はといえば、自分のせいでレンは勇気に聖剣を渡したのだ。そのせいでこんなヤツを世に放ってしまった。

 罪悪感と、勇気と同郷で幼馴染の自分がどうにかしなければならないという使命感に襲われる。


 その瞬間、血が沸騰した。身体が熱い。


「な、に、コレっ」

「サオリっ! め、目が……金に……ダメっそのままだと覚醒するわよ!」


 アメリアの叫び声が耳に入る。自然と口角が上がった。すでに心は決まっている。


「上等よ」


 覚醒時にどうすればいいのかなんて知らない。

 けれど、本能に従い沙織は拳を握った。

 そして、目の前で呆然と自分を見つめる勇気を捉える。

 一気に勇気に近づきながらしゃがみ込み、


「こんの、クソ男ぉおおおおおお!」


 地面を力強く蹴り上げて拳を勇気の顎に向かって突き上げた。

 渾身のアッパーカットが見事決まり、後ろにひっくり返る勇気。


 災害扱いをされていた勇気があっけなく倒されたことに全員目を丸くする。

 一番に我に返ったのは聖騎士だ。そそくさと勇気の手から魔剣を取り上げる。

 マンフレート達が慌てて止めようとしたが、聖騎士は平気そうな顔で魔剣を持ってアメリアへと手渡す。


「えっ?! お、おまえ……レンか?!」


 マンフレートの言葉に皆が驚いた様子で一斉にレンを見た。

 注目を集めたレンは片手を上げ、へらりと笑う。その笑みは彼らが知るレンと同じだった。

 信じられないとレンの頭から足の先まで繰り返し見る一同の横で、アメリアと沙織は二人がかりで魔剣を浄化していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る