第40話:本当のこと

 肩を窄めた店長が、お誕生日席へ置かれた事務椅子に座る。


「この人達、何も話したくないみたいなんだけど。蔵人が最初から話して、訂正があれば言ってもらうことにする? 訂正が無かったら、その通りと認めたってことで」


 前置きも説明も無い明さんに、「うん」と店長は頷いた。

 カモは変わらず半笑いだが、トビは強く鼻息を噴いて睨む。


「最初は、ちょうど一年くらい前だったかな。どうしてうちを知ったか、後輩に聞いたって言ってたけど」

「店に来て、蔵人には話しかけたってことね。後輩って、この辺りに居るの? 私らの大学なんか、何百キロ先だっけ」

「さあ、僕も知らない。だけど思えば、鴨下ホテルさんが商店会の理事になったんだよ」

「うん、去年からね。理事になったら、会員名簿を手元に持てる」


 まるで台本のあるような。実際あるのだろう、二人の頭の中に。明さんが事実を聞き出す時、時系列を整理させたはずだ。


「まあでもその時は、別にどうとも思わなかった。久しぶりだし、来てくれたのを追い返す理由も無いし。それから月に何度か、二人で来るようになったし」

「まあそうね。普通にお茶するなら、私も歓迎する」

「でも、どうも明と会えないって言うから、ニャインで僕と二人分のシフトを送ったんだ。僕もいつでも居るわけじゃないから」


 店長自身はともかく、明さんの気分が良くないと思う。相手に悪意が無く、自分にやましいことが無くても。


「そんなの提供しないで、いついつは居るかって確認を取り合うだけで良かったけどね」

「うん、ごめん。喜んでくれるから、それが一番と思い込んでた。しばらくして相談事もされて、連絡が取りやすいっていうのもあって」


 話を進めながらも、店長はうなだれる。よほど絞られたらしいけど「蔵人」と名を呼ばれて姿勢を正した。


「相談って?」

「トビ――鳶河さんが、ホテルのリニューアルをしたいって。うちに近いほうのホテル ダックの図面を見せられて、どうしたらいいかって」

「そんなの設計屋さんに頼むのが普通でしょ?」


 鳶河さんがホテル ダックのリニューアル?

 意味が分からなくて、咄嗟にトビのほうを見てしまった。あちらも気づいてギロッと目を剥いたが、すぐにそっぽを向く。


「ぼ、僕もそう言ったよ。だけどカフェのデザインをしたのが僕って聞いてたみたいで。その、プロに頼む前に自分のイメージを作っておきたいって言うから」

「ふうん。そもそも鳶河さんのホテルじゃないんだけどね」

「ええとそれは、大学で学んだことを生かして株で儲けたとか何とか――」


 段々と、店長がしどろもどろになっていく。打ち合わせ済み、叱られ済みのはずなのに。


「で、最終的にホテルの部屋まで行ったんだ? 二人で」

「……うん」

「それ、目的がもう違ってるよね。夜だし」


 かれこれ二ヶ月近くも前、ラブホ通りの前で店長と出会った。あたしは気づいていなかったのに店長から声をかけてきて、今から帰るのかとか分かりきった会話だった。

 たぶん、あの日だ。思い出すと、砂利を噛んだみたいに口の中が気持ち悪い。


「ちょっと、決めつけないでよ。自分のホテルって見栄張ったのは認めるけど」


 店長の来る前より、トビの威勢が格段に弱い。それでも居丈高に、迷惑そうに、苦情を言う。


「決めつけてるんじゃなくて、決まってるの」

「はあ? だからあんた、どうしてそう何でも知ってるみたいなこと言うの。私も育手先輩も、どう思ってたかなんて分かるわけないじゃない」

「だから、分かるんだってば」


 明さんの持つ湯呑みから、お茶がこぼれた。ほんの少しだけど、応接テーブルから小さな湯気が上がる。

 あたしはハンカチを取り出し、彼女の手を拭いた。ガチガチに固まって、鋼鉄みたいな。


「店のデザインは、私がやってるんだからさ」

「は?」

「外観も内装もメニューも全部、私が考えたの。ああ、厨房だけは蔵人が注文したけど」


 常連さんにも、センスのいい店長として有名だ。あたしも含む店員だって、そうと信じて疑わなかった。では店長か明さんのどちらかから聞いたのか、と言われれば覚えがないけれど。

 数拍、トビもぽかんとした。やがて「だからって」と反論しかけたが、声を萎ませる。


「分かるでしょ? だから蔵人が相談に乗るとかできないの。あんたと同じに、最初は見栄張ってたんだろうけど。二人でホテルの部屋でって、それはあり得ない」


 何か、ミシミシと軋む音。トビの口ごもる間、ずっと聞こえた。


「で、でもさ。育手先輩が私にどう思ってたとしても、私が誘った証拠にはならないでしょ。結局、何もしてないし」

「そうだね」


 捲し立てるトビの声をぴしゃりと塞いで、明さんは微笑んだ。同時にガシャッと鈍い音で、手の中の湯呑みが割れる。


「何もしてないって、どうなの蔵人」

「う、うん、してないよ。部屋に入って、鳶河さんがベッドに寝転んで、急に怖くなった。明を裏切ってると思った時には逃げ出して、外に出てた。そうしたらハシイさんの姿が見えて、声をかけた」

「どうして?」

「自分でもよく分からないけど、たぶん普通を装いたかったんだと思う」


 目を丸くしたトビは、聞いていただろうか。明さんは今さらに「割れちゃった、ごめんね」なんて苦笑して見せる。

 答えない相棒に代わり、「いいよいいよ」と苦笑のカモが腰を上げた。小さなお盆を取り、濡れたテーブルを片付けていく。


「鴨下。関係ないって言ってたけど、あんたもだよ」

「何が?」


 トビの言う証拠の無いまま、矛先が変わった。「八つ当たりなら勘弁してよ」などと、余裕の声でカモは応じる。


「今――五時は過ぎたね。何でこんな時間に来たと思ってんの?」


 ピンクゴールドの細いチェーン。明さんの腕時計が、しゃらしゃらと泣く。自身で時刻をたしかめた後、文字盤がカモに向けられた。


「何でって」


 カモの頭のスケジュール帳は、さほどページが無いらしい。泳いだ視線がすぐに戻り


「理由なんか無いでしょ」


 と少し引き攣って笑む。


「今日、午後五時半から。商店会の定例理事会」

「へ、へえ? だから何?」

「理事さんの緊急連絡先は、うちみたいな一般会員も知ってるの。それもみんな、だいたい携帯番号にしてあるね」


 翻訳するなら、去年から理事になったというカモの父親にすぐ連絡できるということ。

 でも定例理事会がどう関係するのか、あたしは首を捻る。いや、明さん以外の全員だった。


「分からない? 友達だからって、勝手に図面を持ち出させて。それも育手の旦那と不倫する為で。あなたの娘が従業員に好き放題させてます、なんてさ」


 既に理事会の席に居るだろう父親へ伝えたらどうなるか。明さんは自分のスマホに指先を向け、今にも発信するぞという構え。


「やっ、やめてよ!」

「内緒にしてもいいよ。それには、あんた達から言うべきことがあるはずだけどね」


 握っていた布巾を投げ捨て、お盆を床に落とし、カモはつかみかかる。明さんの長い腕が反対へ伸ばされただけで、全くスマホに届かなくなったが。


「ほ、ほんとに勘弁してよ! 私は何もしてないのに、出ていけとか言われたらどうすんの!」

「だから頼むのは私にじゃないでしょ」


 どっと脂汗という様相のカモに、明さんは首を横へ振った。カモもすぐに呑み込んだようで、トビの胸ぐらをつかむ。


「ちょっと、あんたが謝るんでしょ!」

「何でよ。私は別に――」


 この期に及んで、自分は悪くないと強がるのか。それはそれで凄いなと感心する。見習いたくはないし、二度とお近づきになりたくないけれど。


「どうして分かんないの。うちの親にバレたら、あんたもクビだよ!」

「えっ?」

「いいから早く!」


 自分もクビになる。そう聞いた途端、トビの表情に怯えが見えた。カモに頭を押さえつけられても文句を言わず、されるがまま頭を下げた。


「謝るんだ?」


 問う明さんはため息を吐いた。きっと隣に居る、あたしだけが気づけるほど小さな。


「謝るなら、先に説明してほしいな。どうして穂花ちゃんに嫌がらせしたか、これだけは蔵人に聞いても分かんなかったから」

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