第35話:壊れた後も

 空いたほうの手で、キバドラのサインペンを取り出す。包帯に思える青いマスキングテープ。痛々しい姿を彼に見えるように捧げた。


「ごめんなさい。貰ったばかりなのに壊してしまって」

「ああ、思ったより――」


 言いかけた出島さんは、すうっと音を立てて息を吸った。


「人にあげた物なんてさ、どういう扱いをされても、とやかく言う筋合いは無いんだよ」


 そんな寂しいことを言うなんて。

 思わず、握られた手に力が入る。


「だけど大切にしてもらえるほうが、あげて良かったなって思っちゃうよね。ありがとう、端居さん」


 ニカッと笑う出島さんの手も、さっきより締めつけてくる。力任せにということもなく、あたしの指を解くのに必要なだけ。

 大きな手の中で、あたしの指が一纏めになる。それを一本ずつバラバラになるよう、ゆっくりと揉みほぐしてくれた。


「え、ええと……」


 興が乗ったのか、出島さんは両手を使ってのマッサージを始めた。普通に気持ちいいけれど、手以外の身体をどうしていればいいやら。

 一部分をじっと見られるのも、何だか恥ずかしい。


「き、キバドラは弟がプレゼントしてくれて」

「うん。小学生の時だよね」

「そうです。それから父と母も、スーパーの景品とか仕事先で貰ったとかでくれるようになって」


 だから両親がくれる物というとパケモングッズばかりになったが、そこに不満はなかった。


「壊れたり失くしたりで、少なくなっちゃったんですけど。残った物は大事にしてます」

「うん、ありがとう。ペンも壊れたのは残念だったけど、修理してまで持っててくれて嬉しいよ」


 責めるつもりが無いと分かっていても、ハッとする。反射的に謝ろうとすると、その前に彼の手が離れた。

 まま、あたしの手からキバドラのペンを取る。そっと蓋を外し、もう一度嵌めて「うん」と頷く。


「どうにかして新しいのを、とも思ったけど。たぶん端居さんは、そんなの要らないって言うよね」


 同じく、小さく頷いた。


「だからまあ、インクがどれくらい持つか分からないけど。使えなくなるまで持っててくれたら嬉しいよ」

「インクが切れても持ってます」

「ええ?」


 困った風に、彼は笑う。お願いだから、ゴミになるだろうなんて言わないでほしい。


「インク切れのペンかあ。俺には思いつかないけど、端居さんなら凄い使い道を知ってそうだよね」


 要望通りだった。代わりに与えられた注文は、かなりの高難易度だけど。


「すみません、たぶんそのまま記念に持っておくだけだと思います……」

「えっ、あっ、そうだよね。ごめん、気負わなくていいからね」


 慌てた声。落ち着きを失くし、顔や頭を掻く手。あたしに言われたくらいで、どうしてそんなに?

 歳上の男性にこう言っては褒め言葉にならないだろうけど、可愛いと思う。


「あのぅ、出島さん」

「はいはい」

「スーツも普段と違って驚いたんですけど、どうしたんですか? その、頭」


 今度は彼のことを。

 特別なことなんか無くていい。髪はどこで切ったのか、スーツは前から持っていたのか。


「俺のせいで嫌な目に遭わせたんだったら、申しわけなくて」

「出島さんは何も悪くないです。行きつけのお店とかあるんです?」

「うん、うちの近所の」


 お店の名前、スーツは借り物ということ。一つ問うと一つ答えてくれた。会話の練習みたいになるのは、あたしが話下手だからかなと心配になる。

 だけど誰かの日常を知るのが、こんなに楽しいとは知らなかった。


 明け方近くまで、お話は続いた。いつの間にか着信のあった、明さんからのメッセージにも気づかず。

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