第13話:支払いはポイントで

「もう他の人は帰っちゃったんですか? 出島さんの会社の」

「ああ、うん。いつも汗だくで、シャワーしてから帰ってたし。片付けなんかしなくても、のろまなんだよ。だからあっさり帰ってもらったほうが、気兼ねしなくていいかな」


 おかげで会社の鍵も預かっている、と鍵束を見せてくれた。


「のろまってことはない気がしますけど。でも、だからシャンプーの香りなんですね」

「え、そう? 臭う?」

「いい匂いですよ」


 いい匂いと言っているのに、出島さんは自分の腕をクンクン嗅ぐ。髪に手櫛を通し、それも。

 どれどれと、あたしもやってみたくなったがもちろん言わなかった。真面目なお話の最中だ。


「出島さんはいい人だし、そんなことしなくてもいい気がしますけど」

「ええ?」

「真面目にしてたら、誰かが見てくれてるってことじゃないんです? 悪い噂があっても、まさかあの人がって思ってもらえるっていう」


 たしかに気長な話だ。あらためて言われると、他にできることもないと思うけれど。

 まずは出島さんを見習い、見過ごしてきた何かを探すことから。


「その通りだけど、俺はもう少しズルいこと考えてるかな」

「ズルい?」


 分かりやすく気取った風に、肩をすくめて見せる。その仕草も言葉も、彼の眠たそうな眼に似合わない。


「ほんと俺どん臭くてさ。昔、ドジマって呼ばれてたこともあるくらい。だから何かやらかす自信があって、その失敗を精算できるだけのポイントを先に稼いでるってとこ」

「ドジマは酷いです。苗字をもじって、からかってるだけじゃないですか」


 昔がいつか分からないけど、中学生か小学生の悪ふざけみたいだ。自分の名前なんて選べないのに。


「ごめん、ごめん。俺のことはいいんだ、凄い昔のことだから。怒ってくれるのにはお礼を言うけど」


 へへっ。出島さんが笑った。

 あたしが怒ってるって、変な顔をしただろうか。サッと両手で頬を覆う。


「そういう打算でやるのは、って感じると思うし。端居さんの友達からしたら、他人の借金を払わされるようなもんだし。納得いかないかもしれないけど」


 他人の借金という言葉が、とても腑に落ちた。納得しようとすまいと、背負わされた以上は支払わなければならない。その方法が彼の言うポイント稼ぎだ。


「いえ、やってみま――言ってみます。出島さんの言う通り、他にやりようもないですし」

「そう、良かった」


 心底晴れ晴れとはいかないが、たしかに良かった。どうしていいやら、何の糸口もないところからは抜け出せた気がする。


「いえ、こちらこそ良かったです。相談させてもらって」

「全然」


 プラケースから腰を上げた出島さんは、また自動販売機の正面に立つ。立て続けに二本、たぶん同じ飲み物のボタンが押された。

 頭を下げるタイミングを逸し、そんなに缶コーヒーが好きなのかなと。マヌケに眺めるあたし。

 その鼻先へ、彼の手が突き出された。


「これ、良かったら」

「え。アップルティー?」

「もう冷たくなってたから。今日、冷えるし」


 この自動販売機にアップルティーは一つしかない。あたしも買った、ホットの。


「えっ、えっ」

「どうぞどうぞ」


 急にどうした。戸惑うあたしに缶を押し付け、出島さんはさっさとスクーターに跨がった。

 ヘルメットをかぶるのも素早く


「じゃ。風邪ひかないでね」


 そう言い残して走り始める。


「えっ、あっ、ありがとうございました!」


 手を伸ばしても届かなくなってから、ようやく言うべき言葉を見つけた。ヘルメット越し、スクーターのエンジン音にも負けないように叫んだ。

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