第23話 洗脳魔法

 グラフィの瞳は、蝋燭の黄色い炎に充てられて、沈みかけた太陽のように虹彩を燦然と揺蕩わせている。永遠に続くかと思われる天鵞絨の夜空に、瞳の輝きだけがぽっかりと浮かぶ。不安定に揺らめく虹彩の輝きを見つめていると、彼女の目線はより遠くを見据えてるように思えた。


「セシリアはよく隠し事をしていたなぁ」


 彼女は頬杖をつきながらため息のように呟いた。彼女は夜空を見上げ、潤沢な夜の画材に自身を写しているように眺めている。その表情は幾数にも連なる星々に彼女の遠い過去を重ねているようであった。そこから煌々と輝く追憶を摘まみ上げては、冷然たる表情から呟きとなって零れていく。彼女は白い息を弾ませては冴えた空気に霧散させた。


「突然セシリアが俺の前に現れたときも、何かを隠しているような感じだった。前回は見逃してやったが今回ばかりはそんな状況じゃない。魔力がほとんどないセシリアが兵士の洗脳を見破れたことにも釈然としない。アイツは一体、何を隠してるっていうんだ?」


「セシリアさんには魔力がほとんどないのですか?」


 いつの間にか私の心には魔力という言葉のしこりを残してしまっていた。セシリアという名前が突唐に表れたのも要因だろう。だから私は彼女の独り言に流されてつい聞き返すしてしまう。ずうっと黙ったまま膝を抱えていた私が何の脈絡もなく言葉を零したことに驚きを隠しきれない様子の彼女は、上の空だった視線をこちらへ移した。そして「あっ、あぁ」と虚を衝かれたように舌を詰まらせては、吐く息と共に悄然さを取り繕った。


「魔力量が異常なまでに少ない者はごく僅かだが存在する。その稀有な一例がセシリアなんだ」


 セシリアという名前を聞いてから、それまでは緩やかな灯りに思えた蝋燭の、揺れと共に明滅するさまにおどろおどろしさを感じてしまい、思わず私は言葉の続きへ身構えた。


「その特質はおしなべて先天的なもので、セシリア以外にも昔から存在していた。ただ、同時代に二つとして現れたことがないくらいには稀な存在だ。俺はそこそこ生きちゃいるが、セシリアのような奴は滅多にお目にかかれないな」


 話に耳を傾けていると、“魔力が少ない”という彼女の言葉に触発されて、心の底に深く閉じ込めていたあの日の光景が、匂いごと甦ってきた。魔力について尋ねたときからそうなることは予想していた。ある言葉を待ち遠しにしていたが、切望とは往々にして相反する結末を引き起こすもので、願わくばそうならないことを期待していた。

 

 忘れもしないあの日の光景が、脳裏をいとまもなく過った。私が自身の特異性を知った場面がひときわ明滅していた。雑然とした場面に視点を合わせるようにまぶたを眇めた。すると、魔力量が異常な程に少ない者がいると、そうグラフィが口にする情景が曖昧然と浮かび上がる。

 

 その者こそセシリアだった。


 “魔力がない”という私の特異性と似ているようで、全く異なる現実を突きつけられた。セシリアの特質――常人と比べて魔力量が異常な程に少ないという稀有な特質であっても、それが唯一彼女にのみ発現するのではなく、過去に存在した例がある。その点、私の特異性は前例がない。セシリアも私と同じような例外であれば、これほどのもの淋しさを感じなかったのだろうか。まるで世界から取り残されたような疎外感が、私に魔力がない異質さを助長するようで、腹の底から嫌な感じが登ってくる。


「一般人でも魔力を感知するのは難しいのに、当のセシリアがそれをできるはずがない」


「相手の魔力を感知するといった道具はないのですか」


「あるにはあるが、それで洗脳を判別できる訳ではない。俺のように魔力干渉を行える者、もしくは対象の魔力特質を視認できる何らかの能力を所有する者くらいにしか分からないだろうな。だから普通は外見的に残る印というもので判別するんだが、それが兵士にない以上セシリアが洗脳を知る術はなくなってしまう」


 ダンテも洗脳の判別には困難を要する程で、そもそも魔力干渉はそれを実行する者の潜在能力に左右されやすいのだそう。「触れるだけで判別できるグラフィさんは異常っすよ」とダンテは言った。


「そうですか……」


 まるで遠い過去のように思い出されるつい先日の光景を連鎖的に思い出していた。

 

 この世界に転移して初めて出会ったのがセシリアだった。彼女は決して不愛想といったわけでなく、話しかけたらそれに応じてくれた。だけれども私も同じような性格であったから、幌馬車の中ではお互い黙ったまま距離感を掴めず膠着していた。私と同じように状況が読み込めないようで、その様子もどこか私と似ているような気さえした。しかし、グラフィやダンテの話を聞いていると、彼女の定まらぬ考えを反映するような瞳すらも私を騙すための演技に思えて仕方がなかった。ただ、洗脳魔法をセシリアが使えないことは判明した。ならばなぜ、私の心にさざ波を打つような漠然とした得体の知れなさが、これほどまでの恐怖を掻き立てるのだろう。


 私の視線は悄然と下を向いていた。彼女に私の情けない顔を見せたくはなかった。闇の気配が息づく森の底では、蝋燭の炎だけが仄かに荷台を照らしている。吐く息の白さもおしなべて闇夜に溶け込んでしまった。こんな夜では、彼女の顔が遠くに思えて疑心暗鬼を生じてしまった。心に巣くう洞が、次第に大きくなって、しまいには誰も信用できなくなるのではと思った。


 私の気持ちを彼女は察していたようで、女性にしては太い腕で首を羽交い絞めにされた。


「そんなくよくよすんじゃねぇよ」

 

 彼女の脇に抱えられて私の首を締め上げた。とてもじゃないくらいの腕力で憂鬱なことなんぞ考える余地は消え去った。本当に命の危険を感じて、彼女の魔の手から逃れようと身をよじるも、そんなことはさせまいと締め上げる力は殊更に強くなる。


 この人は手加減というものを知らないのか!?


「うりゃうりゃ~」

 

 頭の血がキューッと引いていくと同時に、気の緩むような口調が耳元から遠のいてゆく。こんなこと前にもあったなぁって走馬燈らしきものが浮かんでくると、意識が落ちるすんでのところでダンテに引きはがされた。


「この人は手加減というものを知らないんですから!」


 私の心の声と全く同じことを発するダンテの叱声が徐々に鮮明になっていき、それにつれて視界が明るくなっていった。「あぁ、すまん」と申し訳なさそうに謝ってみせるが、表情の端に楽しそうな雰囲気を残している。そんな彼女を視界に捉えては、あの行動は私の陰鬱な気持ちを晴らすための彼女なりの励まし方ではないのかと思った。多少やりすぎではあったが、それくらいないと私の堂々めぐりな考えはなくならなかっただろう。そんなことを思っては胸に詰まる熱い塊をどうにかして下らせようと空気を呑み込んでは吐き出した。


 目頭が熱くなっていくのを感じた。涙が目じりに浮かぶのを、咳き込むことで誤魔化す。こんなことを考えてしまっては彼女の行動を無碍にしてしまうだろうが、二人に頼りっぱなしの私が心底情けなかった。


 私の顔には何が映っているのだろうか。彼女は私の顔をじっと覗き込んでは露骨に眉をひそめていた。彼女の瞳は夜の底のようで、じっと見入っていると吸い込まれてしまうのではないかと思わせるのはあの兵士と似ているが、それとは明らかに違った、心配の色を匂わせていた。


 私は目をぎゅっと閉じた。目じりに溜まった涙を飛ばした。私のふがいなさで、これ以上自分のことを嫌いにはなりたくなかった。そんな私を誰にも見せたくなかった。私なんかで落ち込んで欲しくなかった。だから、どれだけ憐れでも気丈にふるまった。


「突然で申し訳ないのですが、前々からお聞きしたかったことがあるんです。グラフィさんたちが洗脳されていない理由って魔力量が関係していたりしますか?」


 私の疑問を耳にした彼女は眇めていた瞳を見張った。私の疑問が核心をついていたのか、言葉を失った様子で私をまじまじと見据えていたが、そのあとはどこか嬉しそうな笑みを口角に漂わせて腕を組んだ。


「なぜそう思うんだ?その仮定を導き出した理由があると思うが」


「まだ推測の域を超えるものではないのですが」


「あぁ、別にお前の考えが正解かどうかなんて気にしちゃいないさ。俺が知りたいのは、お前の答えに整合性と論理的思考があるかどうかだ」


 まるで見定めるかのような視線が私を穿つ。私はまぶたを閉じて世界が減速していくような感覚に身をゆだねた。高鳴る鼓動が緩やかに収まっていき、最終的には音すらも私に届かないくらいに集中していた。まぶたを閉じたまま私は話す。


「気になったのは私の頬を触れる動作です。ここにいる皆さんがその動作を行いましたが、私の頬には爆発による傷ができていていました。グラフィさんは確かこう話されていたはずです。回復魔法は対象の魔力に干渉して成り立つものだって。触れられている時は気付きませんでしたが、もしかして私を治療しようとしていたのではないですか?」


 頬にできたかさぶたを指先でなぞってはざらざらした感触が残った。硝煙の焦げ臭さと、うざったい雨粒の感触が脳裏に浮かんだ。


「あぁ正解だ。しかしそれと洗脳魔法とは何の関係があるんだ?」


「グラフィさんが兵士の腕を握った時です。その動作は兵士の動きを制限するためもあるでしょうが、兵士の異常に気付いて、洗脳されているかどうかを確認していたのですよね。洗脳を解除するときも、兵士の額に指先を触れていました」


 彼女が兵士を腕を握った際に、兵士の意識を操作している者がいると確信していた。確信できたということは、その考えに至る何かがあったに違いない。それはおそらく……


「グラフィさんは回復魔法の原理と同じように、兵士の魔力に干渉して洗脳を見破ることができたのでしょう?そう判断できたのは兵士の魔力に不自然さを覚えたから。ならば洗脳魔法も回復魔法と同様に、対象の魔力に干渉することで成り立つものではないですか?それとここにいる皆さんは少なからず、回復魔法を使えるようですし、常人よりも魔力が多いのかなって。洗脳魔法の原理と、洗脳されていない人たちの特徴を関連させると、対象の魔力量の多寡で洗脳の難易度が異なるため、魔力の多いグラフィさんたちは洗脳されていないという答えに行き着きました」


 水溶液の容量の違いが染着率にも影響するように、自身の魔力で対象の魔力に干渉するならば、魔力量の多い少ないで洗脳する難易度に違いが発生するのではないかと考えた。ここにいる者たちは皆、私の頬に触れるという行動を取っている。ということは少なからずは対象の魔力に干渉できる程の魔力操作を行えるはずだ。ダンテは実際に魔法を使って見せたし、グラフィは回復魔法が使えると言っていた。レイニーは分からないが私に魔力がないことに気付いたことからも、多分魔法は使えるだろう。私が洗脳されなかったのも、そもそも私には魔力がなかったからできないという理由で納得がつけられる。


 ただ分からないのが一般人の魔力量の多さである。それと彼らの魔力量とを比較できないのが、確信を持てるに至る決定打に欠けていた部分であった


 言い終えた私は過呼吸気味に肩を揺らしてまぶたを開いた。視界に映る彼女は、私が発した言葉を咀嚼するように頷いていた。腕を組んでひたすらに聞いているさまは教師そのもので、肩をすくめる私は生徒。まるで私の意見を彼女が答え合わせをしているような雰囲気であった。


「そこまで分かってるなら俺に聞く必要なかっただろう。ちゃんと自分に自信をもてよ」


「まだ想像の範囲内でしたし、確信が持てなかったんです」


「……うーむ。全然自分から喋らないし、そう思った途端に饒舌になるしで、何を考えているかさっぱり分からない奴だと思っていたが、まさか洗脳について自分なりに考えていたとはな」


 彼女にそんな風に思われていたとは少し気恥ずかしい。そんなことを考えていると、少し火照る頬に彼女の熱い手が添えられた。あの時と同じような仕草で。


「こうやって相手の体に触れることで相手の魔力を感じ取れるんだ」


「回復させるときもそのように?」


 彼女の手が離れることに少しばかりさみしさを覚えた。未だ彼女の熱が頬に残っているような気がする。それから彼女は「ああ」と低く声を落とした。ダンテやレイニーが執拗に私の頬を撫でまわしてきた理由がこれで判然とした。


「俺たちには自身以外の魔力に対する耐性が備わっている。お前の考察と同じ理由でな。だから洗脳しなかったんだろうと、そう思えたらいいんだが……」


 いわくありげに呟いては、彼女の顔には少し影が落ちていた。私の目線を不自然に逸らして、どこか遠い表情を匂わせていた。

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