第5話 交渉する

「気持ちは落ち着いたか?」


 彼女はそう言う。


 心の微熱はまだ収まらないが、これ以上ないくらい気持ちは穏やかであった。まるでティーカップには魔法がかかっていたかのように。


「自己紹介が遅くなった。俺の名前はバレッタ・グラフィ。しがない医者だ。」


 彼女の名前が外国人のようであったことは、何となく想像はついていた。


 彼女の冴えた顔立ちは凛として刺す美しさであった。褐色の肌から浮き出すきりりと映えたあでやかさは、竜胆りんどうを想像させ、誰にも侵すことのできない絶対的な雰囲気がある。しかし、首筋には数多あまたの傷跡が覗く。それでも、彼女の美しさは決して損なわれることはない。よりいっそう彼女の力強さが際立つのだ。


 日本女性とはまた違った種類の美しさであった。


「私の名前は黒野薊です。」


 彼女は私の名前を確認するや否や、目に見えて嫌そうな顔をする。しかし、私にはその表情の意図するものが分からない。


「クロノアザミか…。変なことを聞くが、どういった字を書くんだ?顔立ちから想像するに、お前はここの生まれではないと思うが。」


 すると彼女は、茶けた羊皮紙ようひしの切れ端と羽ペンを手渡す。


 彼女をちらりと見る。


 彼女の片手には金属ペンを、もう一方はバインダーを持っていた。さながら医者のように、いや多分医者なのだろうが。しかし、服の上からでも分かる強靭な肉体や、強面な顔立ちからは医者だとは想像できない。白い服装や持ち物で、ようやく医者なのであろうと想像できた。


 医者よりも格闘家だと言われたほうがしっくりくるなぁ。


「あぁ、なんだよその顔は。さっさと手に取れ。」


 私の内なる声を読み取ったのか、不服そうな顔で催促する。


 ドキリとした。しかし、平静さを装うような顔で受け取った。


 手を下敷きに名前を書く。しかし、ミミズのようになった。


 彼女は私の持つ、その名前を覗き込むようにしてまじまじと見る。


 より一層顔色が悪くなった。


「やはり、か。いやしかし、まだ…。」


 誰に言うでもないぼそぼそとした呟きが、呪詛のようで、これから指し示す未来が暗いものであると暗示しているようであった。


「おい、お前はどこの出身なんだ?」


「えっ?」


 想定していない質問であった。


「どうしてこのような事を聞くのですか?」


 彼女の質問は明らかに唐突で、あまりにも不自然であった。


「いいから俺の質問に答えろよ。」


「幌馬車の彼女、セシリアさんもそうでしたが、あなた達はなにを隠しているのですか?ダンテさんが仰っていましたが、この世界のことが分からない以上、あまり不用意に自分の情報を言わない方がいいと…。」


「…。」


 彼女の顔に沸々と怒りが込み上げてくるのを感じる。しかし怒りの矛先は私ではなく、先ほど私が言った彼らにあるように思えた。イラつきを抑えるように親指をこめかみに押し当て、ぐりぐりする。


「はぁぁぁ。セシリアもそうだがアイツも隠し事かよ。あいつ次あったら頸椎けいついをへし折ってやる。」


 医者らしからぬ言葉が聞こえたが、聞いてない振りをする。


「アイツの言っていることは気にしなくていい。信用できない奴にはべらべら喋るなってことだろう。」


「けど…。」


「なんでお前はダンテの指示に従うんだ。」


 そういえばそうだ。なぜ無条件に初めて会った人の指示に従っているのだろうか。


 人の指示に無条件に従う。一番簡単で考える必要のない愚かなそれに、私はたぶらかされていたのだ。自分で選択することや、考えを放棄して、流れに身を任せることに甘んじていた。


 これでは中学生の頃の二の舞ではないか。


「アイツと俺。どちらが信用できると思う。」


 正直、誰を信用していいか分からない。


 だから、だからこそ、自分の頭で考え、行動しなければならないじゃないか。しっかりしろ。彼の言葉を思い出せ。



――お前の長所は考える能力だ。


 なんの長所のないと思っていた私に投げかけてくれた彼の言葉。


 なんの変哲もない言葉だと思うだろうが、私はその言葉に救われた。


 目を閉じ、深く嘆息する。


 枝から水滴を搔き集め、でっぷりと実った紺碧こんぺきの露が煌めき、滴り落ちた。しんと静まり返った凪を乱すようにそれは、ぽちゃんとソプラノを奏で、波紋を形成する。うねうねと斑模様を描きながら、波は緩やかに減衰し、最後には耳鳴りが聞こえる程の静寂さに引き戻された。


 よし、いける。


 私の知っていることから、状況を推測する。


 1、ここは私の暮らしていた世界とは異なる世界である可能性が高い。

 2、この世界特有のルールがあり、それを私は犯した。

 3、ダンテは私の情報は隠した方がいいという。

 4、だれも今おこっている状況を教えようとはしてくれない。


 つまりはこうだ。


 私が異なる世界からきたこの状況が、彼らにとっては不都合であるということ。


 ではなぜなのか。


 それが分からない以上、下手に情報を開示するべきではない。


 だから、彼女から情報を得ることにした。


「他のクラス…、いいえ私の仲間はどこにいったのですか。」


「ん、あぁ。俺もよくは知らないが王都だとセシリアから聞いてないのか?というか、俺の質問に答えろよ。」


「なぜ、王都に連れていかれたのですか。」


「おい、どうして俺の質問に答えようとしない。何が目的なんだよ。」


 だから、交換条件を提示する。


「私は今、私の身に置かれている状況を理解できません。だから、状況について教えて頂けないと、私の持つ情報について喋るつもりはありません。」

 

 しかし、これは賭けであり、危ないものであると理解しているのだ。


「おい、今がどういう状況か理解しているのか?お前は今、連行されている身なんだぞ。」


「しかし、誰もその詳細について教えようとはしてくれないではないですか。なんの理由でそのようなことをしているのですか?」


 あぁ、彼女の言うことは理解できる。


 罪人という立場で、彼女と交渉していることを。


 彼女の怒気はより一層強くなる。しかし、その恐怖に気圧されてはいけない。己の生死を分ける重要な情報を、見す見す手放してはいけない。何も分からない状況で弱腰になってしまえば、私の身に起こっていることを知ることはできない。


「どういう状況でこのようなことが起きているのか、私には分かりません。それはあなたも同じでしょう?」


「本当にそうだと思うか?兵士から聞いているかもしれんぞ?」


「であれば私に聞く必要がないじゃないですか。いまこの情報を知る人物は王都へ連行され、ここにいる患者も喋れる状況ではありません。つまり、情報を知るものは私以外いないということ。あなたもその詳細について詳しく知らないからこそ、こうやって私に聞いているのでしょう?」


 彼女の身じろぎ一つもない容赦のない視線が私を責める。


「はぁ…。全くその通りだよ。俺はある程度の情報は知っているが、詳しくは聞かされていない。それはここにいる兵士たちも同じだ。」

 

 彼女は首を捻り溜息を零す。


「ここにいる兵士は遺跡付近に侵入者がいるという情報を受けて、周辺調査のためにここにいる。この国の歴史から、遺跡内に侵入するだけで重罪だ。しかし、そういった表面的なものだけじゃなく、何か裏があると、ここにいる誰しもが思っている。」


 彼女はけだるげな態度を表現するように、丸椅子にどさっと座った。


「セシリア騎士団長の命令だから俺はここにいる。セシリアのことは信用してはいるが、この懐疑的な現状に納得しているわけでは無い。」


 獲物を前にした猛獣のような眼光に恐怖を覚えない私ではなかった。しかし、硬直し、今にも逃げ出してしまいそうな小動物のような怯えた瞳でも、立ち向かう色は見られたのだろう。彼女はその目に感化されて根負けしたのか、嫌みな深いため息をつき、私を見た。


「多分、俺たちが知る情報には嘘、もしくは聞かされていないものがある。それはお前もそうだろう。俺は正しい情報を知りたい。だから教えてやるよ。それは俺が知っている範囲だ。それ以上はどうやっても教えられない。」


「これだけ情報が隠されているんです。あなたはそれを知って問題はないんですか?」


「俺の想像が正しいなら、問題も問題、大問題だろうなぁ。だからって知らない訳にはいかねぇだろうが。こんな風体でもれっきとした医者だ。患者がどうしてこんな状況になってんのか分からねぇのに、治療すんのは俺の信念に反するんだよ。」


「この現状の想像はついているというのですか?」


「伊達に何年も生きちゃいねぇからな。だから答え合わせのためにもお前から聞きたい事はたくさんあるんだ。」


 へへっと、鼻を擦るようにしてはにかむ。明らかに陰鬱な雰囲気が融解するのを感じる。


「あと一番許せねぇのはセシリアとダンテの野郎が俺に隠し事をしている点だ。あいつらが子供の時から世話をしてやってたんだぞ。セシリアの隠し事はこれで二回目だ。そんなの、許せるわけねぇだろう!」


 彼女は髪をくしゃくしゃと掻き乱しながらそう答える。そこには明確な怒りと、薄っすらとした悲しみが表れていた。


 しかし、子供の時から世話をしていた?彼女は若く見えるが実際何歳なんだ?


「あぁ、糞。これ以上の質問攻めはなしだ。お前の条件に乗ってやるよ。だが、お前の持つ情報もちゃんと俺に言えよ。」


「はい、勿論です。」

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