第10話 刀の所有者

 戸口の壁に片肘ついてこめかみを支えた姿勢にて二人を迎えてくれたのは、露出の多い女人だった。


 すらりと伸びやかな腕にはなにも纏っておらず、指入れ部分を切り落とし手の甲と掌だけを覆う妙な手套を嵌めている。


 胴に着るのは真っ赤な袖無し羽織。


 その生地を大きく膨らます胸だけは、さらしによってキツく巻きあげていたが、ほかはなにも纏っていない。


 秋口だというのにたたら場のムっとした暑さのためだろう、鎖骨から谷間へ汗が垂れ落ち、ぐっしょりとさらしは濡れていた。順三はあわてて視線を下に向ける。


 彼女はへそから下を覆うように、膝丈の袴のようなものを穿いていた。そこからまた二本歯の下駄までも、素肌を晒している。よほど暑いのだろう。


「なんだ? アタシの着物に文句でもあんのか」


 すごまれて顔を上げると、不機嫌そうにこちらをにらみあげる焦げ茶の瞳と視線がぶつかった。


 赤みがかる、ばさばさした髪を後ろで組み紐によってまとめている。


 勝気そうな眉と尖らせた口許、そこにくわえられた紙巻き煙草が印象的な女人である。背丈は順三より低いが表情にあどけなさがないので、齢は上だろうか。


 でもモニカが年下で驚いたばかりなので。


「着物に文句とかは、ないんですけど」


「じゃ、なんだ」


「失礼ですが、お歳は?」


「おいモニカ。こいつ本当に失礼だぞ」


「少し緊張していらっしゃるのかと」


「緊張って、それだとまるでアタシが威圧的みたいじゃないか」


「その態度は威圧的以外の何物でもないと存じ上げますよ?」


「んじゃアンタも威圧的に感じるのか?」


「妾は慣れましたので」


 ひどく、軽口のやり取り。しかもモニカの前だというのに、煙草を喫むのもやめない。


 どうやら知人というのは本当らしい。あまりにも無遠慮すぎる。


「そうかいそうかい。姫様に慣れていただけるほど通ってもらえたのは、光栄だね」


「ちなみに彼女は数えで二十八です、順三様」


「齢をバラすな」


「それで本題ですが」


「流すな」


「刀を一振り、お譲りいただけませんか」


 モニカがそう口にした途端、熱気こもるたたら場を前にしているのに気温が急に下がったように感じた。


 煙草をくわえた彼女の目から温度が消えていた。


 にらむ、というのではない。


 見定める、とでも言おうか。


 真剣になるがゆえの、冴え冴えとした冷ややかさ。それが宿っていた。


 紙巻のほとんどが灰になって落ちるだけの時が経ってから、彼女は吸い殻を足元に落として、大きく口を開く。


「この刀匠佐々木助真ささきすけさねの一振りを? 包丁じゃなく? 刀を、くれってのかい?」


「ええ。あなたの刀をいただきたいのです」


「所持すら罰則の超ご禁制の時代だってのをわかって言ってんだよな」


「それでもあなたが持ちつづけていらっしゃるということもね」


 視線で切りあうような、モニカと刀匠の女・助真。


 ややあってから助真は、視線を順三に向けてくる。


「使うのはこの坊主か」


「ええ。遅くなりましたが……順三様。こちらは佐々木助真、おそらくは当代きっての刀匠です。助真さん、こちらは須川順三様。妾の婿です」


 相互に紹介を済ませる。


 途端に挨拶もなく、助真はがっと順三の手をつかんだ。


 掌を返し、天に向ける。指の付け根を硬く覆う、順三のまめをしげしげと見つめた。


「農具や道具で出来るまめじゃないな。つっても、アタシもまともな剣客の手なんざ見るのは数年、いや十年ぶりだがよ」


「助真さん。順三様は、」


「いや、御託は要らん。見りゃわかる」


 手から離れ際、つぅとまめを撫でた指先とそこを見る目つきに、穏やかなやさしさを感じた。


 助真は戸口から離れると、奥を指さした。


「入りな。こんなところで立ち話するもんでもないだろ」


 促されるまま、二人は戸口をくぐった。


 中に入ると左手がたたら場で、金床かなどこややっとこ、槌が綺麗に並べられている。じりぢりと熾る火は組まれた石塊の奥で熱を放っており、離れたここまで暑い風を届けていた。


 鍛冶場であろうここを抜けた先が居住区になっているらしく、上がり框を踏んだ先は、囲炉裏を囲む普通の民家だった。


 湧いていた湯で茶を淹れつつ、助真は薄い座布団を二人に勧めた。腰かけると、助真は煙草盆に囲炉裏から焼けた炭を拝借してきてそこにくわえた紙巻き煙草を近づける。ふうっと煙を吐く。


「んで。だいぶ切羽詰まってるようだな、モニカよぅ……刀を要求して、かつその使い手も用意できてる。つまりは、護衛が尽きたってことだろ?」


「話が早くて助かりますね」


 音を立てずに湯飲みのほうじ茶をすすりながら、モニカは助真の言葉に受け答えした。


 たいしてやり取りもなく現状理解に至った様子の助真を見て、順三は彼女らが単なる知己ではなさそうだと察する。


「モニカさん、助真さんはモニカさんの事情を知ってるんですか?」


「ええ。妾の目的や、それに伴ってどのような動きをこの日ノ本でおこなっているか。そういった点までご存じでいらっしゃいます」


「こいつが腹割って話してきて、その上で『刀について知りたい』って言うから教えてやることにしたんだ。そんでそのときに一度だけ、本身の刀も見せてやったことがある」


「あれが生涯で一度目の、刀をお目にかかった機でしたね。青く醒めたあの刀身は、いまも忘れられません」


「……刀、お好きなんですか?」


 異世界の民なら刀剣を忌避するのでは、と問うたときに「同じにしてもらっては困る」とは言っていたが。いまの言葉に含まれている明らかに好意的な言葉選びからは、たんに嫌いではない、では片づけられない感情が見えた。


 順三の指摘に、モニカは照れた様子を見せる。


「元より、故郷ティルナノゥグでは剣が廃れてひさしく、刀剣を拝見する機会などありません。ですから忌避しようにも伝聞だけで、実像がなくぼんやりとしていたのですが……こちらにわたって美しい日ノ本の品を蒐集する過程で助真さんと出会い、彼女の刀を拝見して、魅せられたというのが本音です」


「つーかモニカ、『一度目の』って言い方だとまた見る機会があったのか? 刀を」


「まじまじと観察することはかないませんでしたが、順三様が妾をお守りくださる際に仕込み刀を振るっておりました」


 あれも、美しい刀でした。そう告げるモニカの惚けた様子と、あの怪人との戦いのあとの彼女の様子が重なる。


 どうやら怯えていたのではなく、刀に見惚れていたということか。


 と、話を聞いていた助真の目が一度大きく見開かれ、次いでじっくりと見定める例の目つきに変わる。


「振るった。ってぇことは、モニカを守るため戦ったわけだ」


「あ、はい。元は警護所務めでしたので、その任の際に」


「斬ったのか?」


「え」


「もういくらも完品は現存してないであろう、貴重なる刀の一振りを。血に汚したのか、って聞いてんだよ」


 据わった目で問われて、どう答えたものかと一瞬迷う。鍛冶をおこなう者が使う、刀への思い入れ強い言葉に気圧けおされかけた、とも言う。


 けれどことここに至って虚言を交えても仕方がない。


「はい。斬りました」


「誰を」


「誰かは結局わからないらしいんですが……とにかく、モニカさんを襲った、魔法士を」


「魔法士を? 魔法で牽制して斬った、とかじゃなく?」


「俺は魔法がほとんど使えません。だからいまがすべき時、斬るべき時と決めて、斬りました」


 決めたならあとは成すだけだ。


 その時の心持ちを思い返しながら言えば、不思議と肚が据わった。


 この、順三の言葉を受けて、助真はくわえていた煙草を煙草盆の上でねじ消した。


 腰を上げると囲炉裏の火に砂をかけて消し、奥へ消える。


 怒らせただろうか、とそわそわしている内に戻ってきた彼女は、懐紙を口にくわえていた。


 左手には、白木の棒が携えられている……いや、持ち方とそこから推察される重心位置からするとあれは、刀だ。


 奇しくも順三が失ったのと同じ、仕込みの刀である。


 彼女が囲炉裏から離れた位置に正座すると、袱紗を広げて正面に一度置き、丁重に両手で持ち上げると刃を天に向けた状態で抜いた。


 鋭い、よく磨かれた刀身が露わになる。


 同時に、はばきに沿うように折りたたまれていた細い笹葉状の鉄片が、前後左右にバシャっ、と展開した。


 鉄の蕾が花開いたかのようなそれは柄の上で十字に握り手を守っており、発条ばね仕掛けの鍔であることがうかがえた。


 そして、鍔の上に伸びる刀身は。刃紋のさざなみ立つ様子といい、月光を水面で写し取ったような刃だと感じた。


 切っ先までの様子をひとしきり見せたあと、元のように鞘に納めた刀を助真はこちらに差し出してきた。


「アタシが打ったなかで助真の銘を入れてる、もっとも斬れる刀はこいつだ。お前にやろう」


「……いいんですか?」


「アタシは刀を刀として扱う奴の方が好きだ。まっとうにこいつを扱いこなせるってんなら是非もないさ。もう、そんな奴には会わないと思ってたからな」


 遠い目をする様に、だれか思い返しているような情感を見た。


 順三は先の彼女の言葉を思い返して尋ねる。


「そういえばさっき、十年ぶりに剣客の手を見たって言ってましたね」


「ああ。そのときも先代が、仕込みを一振りくれてやってたな。もっともそのころはまだアタシも相槌の方であって、渡したのは先代自身が打った刀だがよ……たしかその剣客、阜章末秋ふしょうまつあきって名乗ってた」


「あ」


「どしたよ」


 その名は。


 順三の、師の名であった。




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