第5話 婿入りの理由


 こうして刀を扱った咎めを受けた順三は、モニカのもとへ来ることとなった……という次第だった。


 が、まさかそこで。


『婿に来い』と言われるなどとは、思ってもみなかった。


 びっくりして固まったまま、順三はあらためてモニカの姿をまじまじと見つめる。


 自分がこの、花の精がごとく美しい人の、婿に?


 ……その暮らしに思いをはせて、茹でダコのように赤くなった順三はうつむき、なにも考えられなくなった。


 剣しか鍛えてこなかったので、当然ながら順三の人生に女人との接点はない。耐性が、まるでなかった。


「……あの。どうしたのかしら。固まっていらっしゃいますが」


「あっ。はいっ。その。急な申し出に、混乱して」


「それもそうでしたね。重ね重ね、不躾なお願いを申しあげたことを謝らなくては……」


「いえっ。全然」


 ぎくしゃくとして、間をつなごうとお茶に伸ばす手が震えそうだった。


 その様を見て順三がどのように『お願い』を受け取ったのか気づいたらしく、やがてモニカから、はっとした気配を感じる。


 おそるおそる顔を上げると、彼女もこちらから目をそらしている。


 ソファの座面を指先でいじいじしていた。


 微かに頬に朱が差している。


 なにか、恥じらっているようだった。


「……目的があると、つい先走ってしまうのが妾の悪いくせでして」


「は、はあ」


「すみません。婿と言ってもこう、形式上のことでありまして。ごめんなさい。あの、けしてそのような、会ったばかりで深い仲を築こうなどというふしだらな目的では」


「大丈夫です。わ、わかってます。誤解してませんから。どうぞつづけてください」


 どうやら目的とやらありきの、必要に駆られての形式上の関係としての『婿』らしい。


 浮かれてしまった順三はちょっとだけ沈みながらも先をうながした。


 こほん、とかわいらしく咳払いしてモニカはつづける。


「なぜ婿に、と述べたのか。順番に説明いたします。まず、先般の襲撃もそうですが、妾には刺客が差し向けられております。先日のあの怪人によって、妾が本国より伴ってきた護衛も皆、落命いたしました」


 この話で思い出されるのは、上級術である風魔法を操るあの怪人。


 順三はあの男だと判じたうえで、尋ねた。


「あの下手人が何者なのかは、わかったんですか?」


「いいえ。素性を知られていない、暗殺者であったようです。あいにくと顔でもそのほかの身体特徴でも、何者かは不明でした。雇われた者でしょう」


 包帯姿で人相はわからなかったが、そもそも知られていない者だったか。順三はそう思いながら、彼の一挙一動を思い返す。


 腕前は間違いなく本物。長く錬磨されてきた戦闘者だった。素性を知られず、鍛錬を積んできた者だったのだろう……順三はそう思ってつぶやく。


「あれは、かなりの使い手でしたから。どこかで鍛えられたのだと思います」


「それを言うなら、あれほどの使い手を前に刀剣で立ち回れるあなたも相当の腕をなさっているでしょうに」


「いや、俺はそう大したものでは。これしか、できないだけです」


「卑下なさらなくても。その腕を認めている妾の値付けが誤っているようではありませんか」


「あ……すみません。そんなつもりじゃなかったんです」


 つい自分を下げるように話してしまうのは、日ごろからの癖だった。


 そんな順三を興味深そうに見つめながら、モニカはつづける。


「ともあれ、妾は日々この身命を狙われているのです」


とうといお立場が関係して?」


「そうですね。妾が王族であるということは大いに関係しております……政敵が、多いものですから」


「政治上の敵、ですか」


「ええ。けれどあまり多くの護衛を伴うことは叶いません。それは『日ノ本の警護を信用していない』との態度になってしまい、外交上の軋轢を生みますので」


「とは言いますけど……実際、あのように襲われて日ノ本の警護すら全滅させられては信用以前の問題になってしまいますよね」


「無論その点については抗議させていただきます。けれども、それは妾が即座に護衛を増やして良いとの理由にはならないのです」


 淡々と告げるモニカの態度に、順三は政治的な問題の難しさを感じた。


 あくまで三男ゆえ、直接にかかわることこそなかったが、彼も父・格之進の政治を重視した動きについては知っている。


 ときにそれが、不合理や不条理を招くことも。


「なんとか護衛を増やすことはできないんですか?」


「なりません。妾が不用意な行動を取ることのなきよう、【契約魔法】が縛りをかけているのです」


 順三へと真剣に目を合わせ、モニカは左手を差し出す。


 手套をまくったその手首に、ぽうと白く光の輪が宿っていた。それは、術者との間で交わされた契約が継続している証だ。


 ……契約魔法。


 それは一般的な戦いの場で用いられる属性魔法とは一線を画す、強力な術だ。


 条件と誓約を課すこの術は──一言で表すなら呪い・・のようなものであると、順三は須川の家で学んでいた。つまり、『なにかを禁ずる』という能力においてのみ発揮される、と。


「課せられた契約は二つです。『妾自身の魔法使用を禁ずる』ことと、『護衛の追加を禁ずる』こと。一か月後に本国に帰還しこの光輪を外すまで、妾は日ノ本の警護に頼る他なきように処置されております」


「そんな……それって、モニカさんを無事で居させないように仕向けてるんじゃ、」


「めったなことは仰らないで。と、申し上げたいところですが……実際、そうした向きは存在しておりますね。妾の活動は故郷ティルナノゥグの者たちからもあまり理解を得られておりませんので」


「活動というのは?」


「こちらの御國の言葉で申し上げるのなら、妾は故郷で真の四民平等・・・・・・を成し遂げたいのです」


 毅然として言い放つ彼女は、ひとりの少女でありながら大軍を思わせる威圧感を身に纏っている。


 それはこのような言葉を迷いなく口にさせる、意思の強さに起因するのだろうと思われた。


「妾の故郷、あなたがたがお呼びになるところの異世界てるなのくでは生まれた瞬間に『為すべきこと』が定まると決まっております。職と住処と國への租税額、果ては産む子の数に至るまで」


「それは……あまりにも過酷なお国柄ですね」


「ええ。しかし妾は、その在り方に常々疑問を抱いておりました。なぜ生まれですべてが決まってしまうのか? と」


 居住まいを正したモニカは、じっと順三の目を見た。


「この日ノ本の國もいまだ、身分制度の残り香は漂っていらっしゃるようですね」


 諸外国および異世界との交流のなかで必要に駆られ、四民平等がなされたとは順三も教わっている。


 だが本当に平等になったわけではなく、これまで長くつづいてきた身分差はいまもつづいている。


 だから格之進は士族でありつづけることにこだわるし、士族としての地位の維持において邪魔な順三に対して、つらく当たってきた。


「順三様。あなたも、お生まれによって窮屈な思いをなされたのではありませんか?」


「……はい」


「妾は、故郷におけるそのような世の在り方を変えてゆきたいと願っております。けれど契約のため、このままでは身を守ることもままなりません……そこで、あなたです」


 手套を戻した左手の、掌を上向けてこちらに差し出す。


 微笑みを浮かべた表情はやわらかく、慈愛に満ちていた。


「護衛を伴うことは契約魔法のために許されませんが、いまの妾でも──『ひとりだけ』。常にそばに置くことを選べる相手というものがいるのです。それは生涯で一度だけ・・・・・・・使える絶対の権利でありますので、契約魔法の縛りをもすり抜ける」


「それが……婿ってことですね」


「察しが良くていらっしゃる。たいへんに助かります」


 身を乗り出したモニカは、差し出していた左手と伸ばした右手で包み込むように、順三の手を取った。


 ほっそりとしてしなやか、かつじんわりと温かみのある掌に、手套越しとはいえ彼は心臓が高鳴るのを感じた。女人に触れたことも当然はじめてなので、どうしても緊張する。


 そんな彼に、少女は願い出る。


「ここで命を落とすわけにはまいりません。生まれですべてが決まってしまう世の中を、変えたいのです」


 瞳に光を宿して。


 少女の願いは順三の胸に染みわたる。


「どうか、妾を守っていただけませんか。須川順三様」


 とても硬い顔つきだった。


 そのこわばりに、手に伝わる微弱な震えに、彼女がこの申し出を蹴られないかとても不安に思っていることが理解された。


 護衛もなく、命を狙われている。生涯に一度だけの権利を使ってでも、一刻も早く守りを固めたいのが、本心なのだろう。


 順三は目を閉じる。


 自分の生涯もまた、生まれに囚われてきたものだった。


 須川の家だったから魔法を使うよう強いられ、それができないから虐げられた。


 起きてしまったことにいまさらどうこう、言うつもりはない。けれど自分の感じてきた思いを、ほかの人々がせずに済むのなら……その一助になれるのなら。


 自分の剣に、まだ価値を持たせることができるのなら。


「……わかりました。むっ、婿……という立場は、形だけとはいえこそばゆいところもありますが。謹んで、お受けいたします」


 どうにも慣れない言葉なのでつっかえながら、順三は彼女に返した。


 モニカは、花が咲き乱れるような笑みでぎゅぅと手を強く握った。


「ありがとうございます。ことが終わり、ひと月を越えるまでのあいだですが。何卒妾を、よろしくお願いいたしますね」


「はい。……と言っても、お引き受けするにあたってひとつだけ問題点があるのですが」


「問題?」


「俺の家、須川の一族は面子と立場にこだわる者たちです。モニカ殿という、貴迦人のなかでもひときわ位の高い御方とお近づきになったと知れば……その。それこそ、政治的な接触を、図ってくると思います」


 須川一族は士族としての生き方でなく、士族としての立場を守ることに汲々としている者たちだ。


 順三のことも勘当したとはいえ、モニカのように高貴な方とのつながりを持つため使えると判断すれば、掌を返して籍に戻しすぐさまあれこれとモニカへ要求をするにちがいない。


 そんな事態に巻き込むのが嫌で、恥を承知で口にしたのだが。


 モニカはあっけに取られた顔のあと、くすりと笑んで口許を手で隠した。


「その点についてはどうかご安心ください、順三様」


「え?」


「失礼ながらあなたのお名前をお調べした際に、須川家についてもつかんでおります。そうした──政治にしか興味のない方々でいらっしゃるということも。また、あなたを──長く、虐げてきたということも」


 彼女が口許を隠していた手を下げると。


 そこには先ほどまでの柔らかで暖かな笑みと異なる、作ったような冷たい笑みが貼り付いていた。


「妾は生まれで差別をなされない世を目指しております。手始めに──の方々から、是正・・いたしましょう」


 笑みは一切崩れないのに、凄みがあった。


 彼女の言葉の意味を順三が知るのは、その日の夕刻のことだった。


 モニカの屋敷へ、慌てふためき冷や汗と脂汗を流した、格之進が訪れたのだった。

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