長傘

「あ。この間のキミだ。また来たんだ。久しぶり」


 久しぶりに雨が降った日、再び河川敷を訪れた。

 本当にまたいたお姉さんはこの間の続きみたいな声で言った。


「お、今日は傘を持ってるのね。偉い偉い」


 お姉さんの隣に座る。傘ひとつ分、少し声が遠かった。


「なかなか渋い傘ね。格好いいじゃん」


 お姉さんは一言、感想を述べる。

 お姉さんのビニール傘がパラパラと雨をはじく。

 対して自分の傘は、ボツボツとなんだか鈍い音がした。

 恰好つけて家にあったいい傘を持ってきた。

 雨から絶対に守ってくれるような安心感があった。

 だけど、なんだか雨が遠い気がした。

 お姉さんとの距離が遠い気がした。


「邪魔じゃないよ」


 不意にお姉さんが言った。


「なんか自分が場違いみたいな、困った顔してる。どうしたの?」

「雨の音があんまりしない? そうなの? その傘だと……私の傘と比べたら、はっきり音はしないかもしれないけど」

「いい傘じゃない。ダメなの?」


「ええー? 大げさすぎじゃない? じゃあ、ちょっと私にも聞かせてよ。いい?」


 言ってお姉さんは自分の傘を閉じた。そして「お邪魔しまーす」と言いながら、傘に入って来る。


「どれどれ」


 近くで言って耳を澄ました。


「ぼっぼっぼっぼっぼっぼっぼ……」


 雨の音をトレースして口ずさむ。


「いい音だよ。なんだかベースみたい」

「そうだよ。いい音。間違いない。だって私以上の雨音ソムリエがいる?」


「そうでしょ。ソムリエ的には、そうね……気付くと自分の世界と調和しているような、朴訥で安心感のある音がするわ」

「……そう表現してみると、なんだかキミみたいな音だね」


 またからかわれたのだと思った。

 しかし、お姉さんはこちらの様子をまるで気にした様子もなく


「ぼ。ぼ。ぼ。ぼ。ぼ。ぼ。ぼ。……ふふ、やっぱり。ぼ。ぼ。ぼ。ぼ。ぼ。ぼ。ぼ。」


 そうひとり呟いて、楽しそうにしている。


「そういえば、日本語って雨を表す言葉が世界の言語と比べて多いそうよ。知ってる?」


 突然、お姉さんが尋ねた。


時雨しぐれ、お湿り、春霖しゅんりん涙雨なみだあめ天泣てんきゅう

「季節とか、降り方で、違った名前がついているの」

「でもね、全部雨のことなのよ。それは一緒」


「ビニール傘で弾いた雨音やポリエステル傘で弾いた雨音は、専用の言葉はないけれど」

「あったとしても、雨音のことで」


「もちろん、好きな音、好きじゃない音はあるだろうけれど」

「雨は、雨だから」


「だからキミは、自分の傘の音が嫌いでもいいと思う」


「私はたぶん雨が好きだから」


「雨はね、ただの自然だから、自分の好きなように嫌いになって、怒って、いいんだよ」

「キミが決めることだから。好きにしていいの」

「決めてもいいし、決めなくてもいい。今日は嫌いで明日は好きでもいいの」


「私は好き。キミの音」

「だから、もうちょっと……聞いていてもいいかな」


 頷くと、お姉さんは笑って「ありがとう」と言った。

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