六夜目 呪物

 去年の話である。

 会社の敷地内に用意された従業員用の駐車スペースは定数いっぱいのため、建物からほどなく離れた近隣の駐車場に停めて毎日通勤している。その駐車場から会社まで最短距離で徒歩五分。

 その道すがらにある日、ぽっと出現したものがあった。


 蛙である。


 体長は十五センチほど。ヒキガエルではないかと思われる。

 蛙は駐車場の隅で四つん這いの状態でじっとしているのである。

 最初にそれを見たときはギョッとし、足を止めた。じっと凝視し、これはなんだろう?と観察もした。


 なぜなら、その蛙はぺちゃんこで、カラカラに干からびていたのだから。

 簡単に言えば、蛙の干物、ミイラが落ちている状態だったのだ。


 だが、不思議にも傷んでいるところがない。欠損している部分がないと言えばいいだろうか。

 とにかく、とてもきれいな形状のままだったのだ。


 草むらからポッと出てきて、そのままそこで亡くなったのか。虫にもカラスにも猫にも見つからず、損傷のない姿のままの蛙。


 だからこそ、私は迷った。これは自然になったものなのか。はたまた誰かがわざと置いたものなのか。

 第一、これまでそこに蛙の姿など見たことがなかった。ヒキガエルのような大型の蛙なら、毎日通る道なのだ。いくらなんでも気づくはずである。にもかかわらず、蛙のミイラは唐突に現れた。これが故意でなくてなんであろう。


 気になりつつも放置することにした。

 自然死した遺骸であるのなら、土に帰してやったほうがいいだろうと思いつつも、他人が意味あって置いたものであれば、無為に動かすわけにはいかないからだ。

 もしかしたら、そこの場所の安全祈願のために地主が蛙のミイラを置いたのかもしれない。

 

――しばらく様子を見よう。


 そうして蛙を放置してひと月が経ったころ、そのミイラにちょっとした異変が起こった。

 ひっくり返った状態へ変化したのだ。

 腹を見せた状態で捨て置かれた蛙のミイラ。こうなってくると、いささか不憫さが募って来る。お腹側から見ても、どうにも作りもののように思えない。見る限りはなめらかな腹だった。果たしてこのまま、捨て置いていいものか。


 置物かもしれない。

 人の所有物かもしれない。

 けれど、元は血が通った命だったのではないか。


 そう思ったら、腹を出した姿のまま風雨にさらされている姿がとても憐れに思えてならなかった。

 ひっくり返って自力で起き上がれないように見えるからだ。

 必死に手足を動かして、どうにか元に戻りたい――そんなふうに訴えているようにも感じた。


 悩みに悩んだ末、どこか土のあるところに埋めてやることにした。雨も風もないところで、ゆっくり眠らせてやりたかったのだ。


 九月のある晴れた日曜の午後のこと。

 その日は珍しく風もなく穏やかで、とてもいいコンディションだった。まるで神様が自分のしようとしていることに背中を押してくれているような、そんな転機だったのだ。

 素手で持ち上げることにはいささか抵抗があり、スコップで持ち上げた。思った以上に軽かったが、同時に驚くほどに硬かった。埋め場所を求めて歩いているときに誤ってスコップの上から落としてしまったのだが、こつんっという音がアスファルトに響くくらい非常に硬かった。


 どこがいいかと考えて、会社の近所にある寺院の敷地内に埋めさせてもらい、手を合わせて冥福を祈った。

 いいことをしたとそのときは思った。とても清々しい気持ちになった。

 

 だがその後、とある実録怪談の中に蛙のミイラの話が出て来たときには背筋がピリリと寒くなった。その話の中で、蛙のミイラは『呪物』として作られ、使用されるからだ。

 

 もしかしたら私は誰かが呪いのために用意し、設置したミイラを断りなく移動し、埋めたことになるのではないか。


 ミイラを埋めた場所が新たな呪いの場にならなければいいのだが――埋めた寺の近所を通るたび、そんな不安が一年経った今でも、胸の中に渦巻くのだった。

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