かつて地球だったこの星で

ながやん

第1話「おはよう、アース」

 海が流れて引く気配。

 その音から浮上して、少年は目を見開いた。

 真っ青な空が見えて、そして日差しがまぶしい。


「こ、ここは……? っ、記憶が」


 ずきりと額の奥が痛んで、体内の残留する薬が重たい。

 それでも、ぼんやりと浮かぶ単語の数々を追うように身を起こす。


「僕は、イチエ・シキヤ……13、歳? そうだ、確か僕は」


 濡れた全身が風に撫でられ、少し寒い。

 長らく自分を守ってくれた、羊水のような薬液である。そう、先程海を想起したうるおいは、イチエごとカプセル内を満たしていた液体だ。酸素も栄養も全て、そこからもたらされていたのだ。

 そう、イチエは目覚めた。

 休眠カプセルによる、数千年の眠りから。


「えっと、それで……今は、ここは、いったい」


 ゆっくり周囲を見渡し、イチエは絶句した。

 白一色の医療ルームに、無数の草花が咲いている。

 そして部屋ごと持ち上げられて、大木の上にイチヨの休眠カプセルは引っかかっていた。

 恐らく、施設の周囲の地盤が動いて、下から伸びてきた植物に飲み込まれたのだ。

 立ち上がろうとしてよろけつつ、イチゴは驚きに目を丸くする。


「凄い、初めて見る……本物の植物だ」


 そう、なにもかもが初めての世界だった。

 見てきた全てが虚構の作り物、偽物にせものだったからだ。

 イチエが眠らざるを得なくなった世界、そこでは灰色の特殊コンクリートだけが全てだった。ライブラリのデータは全てを立体映像で見せてくれたが、味も匂いもなく、触ることすらできなかった。

 つまり、とイチエは結論を急ぐ。

 空が青くて、呼吸が気持ちいい。

 科学文明の残滓ざんしたる医療ルームを突き破るのは、青々と枝葉を茂らせる巨木だ。

 そう、つまり――


「地球の環境が再生されて、それで僕は目覚めた……のかな。だったら、もしかして」


 ようやくカプセルを這い出て、そして白い床に無様に突っ伏す。

 足がえてしまって、まだ上手く立てないようだ。

 なんとか両手に力を入れて、一度滑って転んでから、カプセルによじ登る。

 しかし、すでに電源が喪失しているのか、液晶パネルの表示に光はなかった。


「参ったな、今は西暦何年なんだ?」


 自分はどれくらい、眠っていたのだろう。

 ゆっくりと記憶が蘇る中で、なんとかイチエは床に座りなおした。そのまま、壊れてしまった休眠カプセルに寄りかかって天を仰ぐ。

 あまりにもたくましい木々の茂りが、真っ青な空を奪い合うようにひしめいていた。

 ちょっとした森の中で、施設自体がバラバラになったのだ。

 丁度イチエの眠っていた部屋だけが、持ち上げられてしまったようである。

 本物の大自然、その活力に驚いていると、鼓膜が空気の震えを拾った。


「ん、なにかが近付いてくる……これって」


 記憶の引き出しを片っ端から開ける、そのイメージで脳裏に真実を探す。

 その間も、バサバサと近付く翼の咆哮ほうこうが大きくなってゆく。

 そう、なにかしらの動物のえる声だった。


「思い出した、確か……ライオンとかいう肉食獣の鳴き声じゃないかな」


 そう結論して、幼い頃の立体映像を思い出す。

 それでイチエは、改めて自分の身の危険を察した。

 そして、現実はそんな彼のピンチをさらなる絶望に変えてゆく。

 大きな影が頭上をよぎった。

 しかし、風圧を広げて降りてきたのは、ライオンではなかった。


「……? えっと、ライオン、じゃないね」


 四肢の逞しい巨大な獣で、鉤爪かぎづめの光る前足とは別に背に翼を生やしている。そして、獅子ししではなく猛禽類もうきんるいの頭が首に据えられていた。おまけに、酷く大きい。

 半壊した室内の狭さは、大型トラック並みの巨体で更に狭く感じた。

 訳がわからないが、一つだけはっきりしてることがある。

 どうやら目の前の猛獣は、空腹らしいということだ。


「ええと、ど、ども……ハハ、参ったなこれ。腰が抜けてるというか、それ以前の問題というか」


 今すぐ走って逃げたかった。

 だが、現実には立ち上がることさえできない。

 終わった、詰んだと思った。

 祈り願う眠りから覚めて、希望を感じた瞬間の結末だった。

 そう思われたし、他に考えられることはない。

 救いの女神があらわれるなんて、想いもしなかったのだ。


「――危ないっ! そこを動かないでください!」


 突如、声が走った。

 女の子の声だった。

 丁度、自分と同じくらいの年頃。だけど、通りの良いその声色こわいろは、まるで楽器が歌うようにりんとして瑞々みずみずしい。ちょっと綺麗過ぎる出来過ぎた声だった。

 同時に、光が目の前の獣を威嚇するように着弾する。

 低出力のビームで、その輝きが猛獣を空へと飛び立たせた。どうやら邪魔者の登場で、今日のランチタイムは終了らしい。それはイチエにとっては救世主だった。


「た、助かったあ。えっと、誰が僕を」

「災難でしたね、イチエ・シキヤさん。目覚めて早々に、グリフォンに襲われるなんて」


 ふわりと眼前に、天使が舞い降りた。

 翼はないけど、確かに天使に見えたのだ。もしくは、妖精か天女か。

 その少女は、両脚から排熱されるジェットの白煙を振り払って微笑ほほえむ。

 そう、女の子だ。

 ロボットの少女が目の前に立っていた。


「ええと、シキヤさん? 大丈夫ですか? 意識の混濁はありませんか?」

「え、あ、ああ……うん。それより、グリフォン?」

「先程の肉食獣です。西暦時代にはいなかった、空想上の動物だと聞いていますが」

「そ、そうだね。僕も初めて見る……で、君は?」


 きょとんとしてしまったそのロボットは、改めて身を正して笑いかけてくる。

 白過ぎる顔は明らかに人間ではないが、かわいらしい容姿をしている。さらさらの長い髪は銀髪で、小さな花を何輪か飾っている。女性的なシルエットも全体的にすらりと細かった。頭部だけならタダの美少女である。

 だが、首から下は鋼鉄のマシーンで、特に両手両足は二回りも大きくていかつい。

 間違いない、人間の補佐を目的に造られたロボットだった。


「わたしはウォーラック社製センチネル型ロボット、個体名イチゴです。形式番号、Fwg-15R――」

「わ、わわっ! そゆのはいいよ、うん……そんな記号を並べられてもわからないし。ええと、イチゴさん、でいいのかな」

「敬称は不要です。イチゴとお呼びください、シキヤさん」

「僕のこともイチエでいいよ」

「はい、イチエさん。ではまず、安全な場所に……あ! その前に」


 両手をパム! と鳴らして、ニッコリとイチゴは微笑む。

 とても機械とは思えなかったが、彼女の言葉にそのことも忘れるイチエだった。


「まず、なにか着ましょうか。

「へ? ……あ、僕? う、うーん、そうだね……よく見れば僕、裸だね」

「外傷もなく、やや筋肉の衰弱が見られますが健康体です。これならすぐにワクチンを――あら? どうしましたか、イチエさん。なにか不都合でもありましたか?」


 思わず飛びのき、よたよたと壁に背をこすりつける。

 そして、改めて自分が素っ裸だったとわかって、真っ赤になってイチエは股間を手で隠した。だが、そこでゆっくりと世界が再び暗転してゆく。

 イチエはそれで、永き眠りの原因を思い出した。

 ほのかに自分が発熱している、その元凶こそが地球全土を襲った災厄さいやく、その最初の一つだった。

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