第2話 魔女に優しい土地

 敦也の元に嫁いできて、数日が過ぎた。


 その間、聖良は特に何かさせられるという事はなく、ただ何もしないのはさすがに悪いと家の手伝いを申し出ると、義母である俊子の家事を手伝うことになった。


「ありがとねぇ、聖良さん。まあ私もまだまだやれるって思っていても、そろそろねぇ」


 そういう俊子は五十二歳だという。そろそろ体力が衰えて、と言っているがまだまだ元気そうだ。


 敦也は昼間は家にいない。

 彼の職場は隣町で、バイクで出勤している。帰ってくるのは早くても十八時頃。

 なので必然的に義母である俊子との接触が多くなるが、聖良から見て、俊子は本当にいい人に思えた。

 食事の準備をしようとしてもまだ新しい環境に慣れない聖良に、一緒になって優しく教えてくれる。洗濯や掃除のやり方もだ。


 そして話をしてくれたことによると、この地域は魔女に対しては偏見があるどころか、むしろ感謝すらしている地域らしい。

 なんでも二百年ほど前に何か災害があったらしいが、それを魔女が鎮めてくれたという言い伝えがあるという。


「だからね。魔女である聖良さんが来てくれたのは本当に嬉しいんだよ」


 俊子が嬉しそうに言ってくれるのは、とても嬉しいとは思うが。


 この集落は海沿いにある山に囲まれた場所で、住んでいるのは三百人ほど。

 やや老人が多いが、これは先の戦争で若い人が兵隊に連れていかれたためでもある。

 聖良くらいの年齢の人はあまりいない一方、聖良より少し年下の、中学生以下の子はかなり多い。

 ただ、高校はこの地域にはないので、高校生になると集落を離れてしまうらしい。


 おもな産業は漁業と山間部での農業。平坦な地形がほとんどないので稲作には不向きだが、山の斜面でのみかんが名産らしい。


 城崎きのさき家は代々この集落の代表を務めているような家系らしいが、現代ではすでにそういう風習もなく、次期当主であるはずの敦也は普通に公務員だ。

 制度上この集落と隣町は同じ行政区らしく、村長という役職もない。集落の代表としては敦也の父である達夫がそれにあたるらしい。普段はまず表に出ることもないらしいが、今も代表的な立場で慕われている。


 そんな家に嫁いできた聖良は、いわばこの集落では姫のような扱いを受けていた。

 ほんの数日前とは雲泥の差である。

 ただ、聖良自身はむしろその扱いに戸惑いの方が大きい。


 魔女はさげすまれ、うとまれるるもの。


 そう思い込まされて二十歳はたちまで生きてきた聖良に、今の状況は不思議でしかないのだ。

 ただ、それがここでは違うという事は、頭では理解できる。

 それほどにここの人たちは魔女に優しい。


 しかし二十年にわたって魔女であることを『罪』だと感じていた聖良にとって、集落の人々を――敦也や俊子であっても――信じるのは難しいことだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「大変だー。俊子さんが蛇に噛まれたーっ」


 そんな声が聞こえたのは、お昼ご飯の準備をしているところだった。

 知っている名前に、思わず家を飛び出す。


「あの、俊子さんが蛇って」

「おお? あんたは……ああ、敦也の嫁さんか。ああ、そうなんだ。よりによってイノリチラシらしい」


 イノリチラシ。

 猛毒を持つ蛇として知られているが、その個体数が少なく、研究があまりされてない毒蛇の一種。解毒の方法が不明とされ、恐るべきはその致死率。実に半分の確率で死に至る。故に付いた名が『祈り散らし』。


「私が行きます。俊子さんは今どこに?」

「あ、ああ。街の集会所だ」


 この集落には医者がいない。

 だからとりあえずそこに連れて行ったのだろう。

 蛇に噛まれた場合、まず最優先は迂闊うかつに動かさないことだ。

 そうしなければ毒が全身に回ってしまう。

 本来であれば急いで街の病院に連れて行くべきなのだろうが、この集落には車もあまりない。救急車を呼んでも、来るまでには三十分はかかる。


 聖良は急いで家に戻ると、最低限必要な道具だけを持って家を飛び出した。

 集会所はまでは走れば十五分程度だが――。


(飛んだ方が速い)


 家の入口にあった箒をつかむ。

 走りながら意識を集中させた。

 実際に外で飛ぶのは初めて。ただ、幾度となく練習を続けていた。

 発動体があるなら、座敷牢での練習よりはるかに楽だ。


 聖良の身体が浮き上がる。その状態では安定しないので、箒に横座りになると――着物なのでまたがることはできない――一気に加速した。

 この時間なら人通りは少ない。

 周囲の人が驚く様子が見えるが、今はそれどこではなく――五分とかからず集会所に着いた。


「俊子さんは!?」


 集会所に駆け込むと四人ほどの人が見えて、床にもう一人寝ている。床にいたのは俊子だった。

 苦しそうに呻いていて、隣にしゃがみこんでいる人が手を取って必死に呼びかけている。


「すまねぇ。俺がついていながら。何とか頑張ってくれ、俊子」


 一緒にいるのは義父の達夫だ。

 確か今日は山の方でみかんの収穫をすると言っていたから、一緒にいたのだろう。


「お義父とう様。私に任せていただけないですか」


 聖良がいるのに今気付いたのだろう。達夫が驚いて顔を上げた。


「聖良さん。何とかできるのか?」

「おそらく。噛まれたのはどのくらい前ですか?」

「二十分ってとこだ。戻る道中でいきなり現れて……足を」


 見ると、俊子の左足首辺りが紫色に変色し、それが太腿まで及んでいる。

 毒を回らないようにしたのだろう。

 ふくろはぎと太腿と、二か所が縛られている。

 この応急処置は適切だ。これならば。


「大丈夫、間に合います」


 首などを噛まれていたら手遅れだったし、このように縛っていなければ間に合わなかった可能性もある。

 だがこれなら、間に合う。

 家から持ってきた深皿を出して、俊子の噛まれた付近に置く。


「すみません、絶対助けますから、黙ってみていてください」


 その気迫に周囲も圧倒されたのか、ただ頷く。

 それを見て聖良は、銀色に輝く奇妙な形のナイフを取り出した。

 魔女の短剣。

 クリスダガーとも呼ばれる東南アジアで使われている短剣だが、魔女のまじないによって一定の魔力を帯びたもので、座敷牢で聖良が数年かけて――もとはただの鉄の棒だった――作り上げた魔術具である。

 わずかに魔力を込め、かすかに青い輝きを帯びたそれを、聖良は迷わず俊子の足に添え、すっと一筋切り裂いた。


「ちょ、聖良さん!?」

「見ていてください!」


 周囲が動揺するのは分かっていたので、それ以上の大声で反論を封じる。

 一筋の傷から血が滴って、先ほどの深皿にたまっていく。

 その色は、人の血の色にあるまじきほどに毒々しい紫に近い色。

 それがある程度の量になったところで、聖良が短剣を傷口に添えると、血が止まった。


 そして今度は自分の手を深皿の上に置いて指先に短剣をあて、一筋の切り傷を付ける。

 ぽたぽたと深紅の血が滴り、それが深皿に落ちる。紫に近い俊子の血と赤い聖良の血は混ざりあわず、雫を散らしたような状態になっているが――。


 聖良はそのまま、深皿に手をかざすと、力を込めた。


 魔女はその力を用いるのに複雑な呪文が必要だと思われている。

 だが、実際にはそれらは全く必要ない。

 呪文などは、いわば本人が精神を統一するのに役立つことがあるから使うだけだ。

 仏教の経典や聖書の聖句に似ているかもしれない。


 そして一人で魔女の力を磨いてきてた聖良にとっては、呪文などは全く必要としないものだった。


 わずかな光が淡く輝き、深皿を包み込む。

 直後、深皿の中には紫色の毒々しい液体ではなく、澄んだ、少しだけ緑がかった液体で満たされていた。


「俊子さん。これ、飲んでください。お願いします」

「ああ……聖良さん、本当に魔女なんだねぇ……ああ、ありがとう」


 俊子は迷わずにそれを飲んだ。

 その行動が、彼女がこれまでに言っていた魔女に対する隔意がないということを、何よりも如実に証明してくれた。

 魔女に対して隔意があれば、魔女が作った薬など飲むはずがない。

 そしてそれは周囲の人間も同じだった。

 誰一人、彼女を止めようとせず、ただ成り行きを固唾を呑んで見守っていたのだ。


 果たして――聖良が作った薬は、劇的な効果を現した。

 俊子が薬を飲んでわずか一分で、変色していた足は急激にその色が元に戻り――五分とかからず、彼女の容体が安定したのである。


「よかった……」


 聖良が安堵のため息を漏らし、そして周囲から歓声が溢れる。

 いつの間にか、集会所には多くの人が集まっていたらしい。


「ありがとう、あんたは妻の命の恩人だ。本当にありがとう」


 魔女の力を人前で使ったのは初めてだった。

 故郷では、動物と話せると分かっただけで魔女だと言われ――実際そうだったわけだが――迫害された。

 

 ただここでは違うのだと、この時聖良はそれを心の底から実感し――。


「ありがとう……ございます……」


 涙が、溢れていた。

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