グリッサンド

還リ咲

1

 ──高校生には、難しいんじゃないだろうか。

 ぽっかりと一冊分の隙間が空いた学級文庫の本棚を眺めながら、考える。



 新任教師としてクラスを受け持つとなった時、学級文庫は気合を入れて選んだ。自分自身、学級文庫で読書の楽しみを覚えた人間なのだ。教育書やインターネットを漁って、”高校生が読むべき本”を調べたり、教員仲間におすすめを聞いたりして、それはそれは完璧な構成のそれが完成した。


 そして、生徒に読まれる事は無かった。朝、本棚の写真を撮り、放課後に見比べても微動だにしていなかったことから、手に取られさえしなかったのだろう。やはり読書離れは進んでいるじゃないか、と心の中で毒づいた。


 二年経って、完全に需要が無い事を理解した。ので、丹精込めて選定した本たちは処分し、自宅に積まれている溢れんばかりの本を置いておくことにした。積読には欠かない性分だ。


 こうして、一般的な学級文庫とは似ても似つかない学級文庫が完成した。同じ作家が二十冊並んでいたり、自分自身何度も挫折してまだ読破出来ていない奇書があったり。


 やはり生徒は見向きもしなかった。そちらの方が助かるのだが、と思った自分に呆れる。教師失格である。



 三年生を送り出し、そのまま、一年生の担任になった。



 入学式が終わった後の休み時間だった。

 初対面ながらも談笑して親睦を深める生徒たちを見ながら、今年もいいクラスになりそうだなぁなどと楽天的な思索に耽っていたとき、


「この本って、お借りしてもいいですか」


 聞き間違いかと思い右を見れば、目を疑った。

 例の本棚に手を伸ばした生徒が立っていた。

 ひどく驚いたので、ああいいよ、くらいの言葉でしか返事できなかった事を覚えている。


 それから、彼女は何回も本を借りに来た。


 入学式から一ヶ月ほど経って、彼女の本の借り方に特徴を見つけた。

 本棚の左から順に、一冊借りたら一冊返す。他には誰もこの本棚から借りる者はいないのだから、数冊まとめて借りてもいいのだがと思ったが、彼女はこうした方式をとっていた。


 入学式には本棚の左端にあった空隙が、日を追うごとに右へ移動していくさまからは、この学級文庫を制圧せんとする彼女の強い意思が感じられるようだった。すべて読破するつもりなのだろう。何が彼女を突き動かしているのかは判らないが。


 同時に、その本の難易に著しく影響されて変化する貸出周期に、可笑しさも感じた。

 簡単なエッセイなら一日で返ってくることもあるが、今日借りていった難解な日本文学史の本は、一週間くらいはかかるだろう。



 そんな事を考えて、溜まっている仕事に戻る。

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