第6話孤独の魔女と暗雲立ち込めて



空風が吹き荒ぶ冬の季節、農村であるムルク村は今年一年の豊穣に感謝をし また来年の豊穣を祈る為、そして厳しい冬を越える為 人獣問わず備えを始める


しかしそれは大人達の話だ、未だ若く遊ぶ事こそが本分たる子供達には関係ない、いつものように 適当な棒で叩き合う騎士ごっこをしたり 、ただ走り回るだけの鬼ごっこをしたり その身一つで幾らでも出来る娯楽で毎日を費やすのだ


「ねぇねぇ!、ケビンお兄ちゃん きょうは 何して遊ぶのっ!」


「うーん、今日は…えっと 何をしようかな」


ムルク村の将来を担う二人の子供が此処にもいる、まだ小さいながらにメガネをかけている男の子 ケビンとその双子の妹、お母さんから譲ってもらった可愛らしい髪飾りをつけた女の子 アリナの仲良しの双子は、冬の厳しい寒さなどなんのその と今日も外で何の遊びをしようか相談している


お父さんとお母さんは収穫した麦の加工で忙しく、この時期は遊んでくれない だから今日は二人だけで何をしようかとウンウン頭を唸らせていると


「あ ケビンじゃん!ちょーどいいところに」


「今からみんなでかけっこするんだけど、一緒にしようよ」


「あたしは何人いてもいいよ、5人でも6人でもあたしが 勝つから」


「あ!クライヴくんと ルーカスくんにメリディアちゃん」



村の広場 同年代の子供たちで集まっている 、子供たちのリーダー格 木こりの父に似て体格に恵まれ、将来は騎士を目指していると言うガキ大将のクライヴと何かとつけてみんなで大勢での遊びを所望する目立ちたがりのルーカス


そしてグループの中の紅一点、男勝りで誰よりも運動が大好きな女の子メリディアの三人を中心として出来た6~7人の男女のグループ


このムルク村に存在する10歳以下の子供は全員ここにいると言っても良い、村 という狭いコミニュティの中である為、今更顔を知らない子供など一人もいない 、みんな気心知れた友達なのだ


「うん!、ぼくもやる!アリナはどうする?」


「えー…はしるのやだ」


「じゃあぼくがはしるところ見て、おうえんしててよ!」


妹のアリナはあまり乗り気では無いようだが、何かとつけて体を動かしたいケビンにとってはまたとない誘い、別段足が速いわけでもかけっこに勝てるわけでもないが それでもだ、やはり大人数で騒いで楽しいというのは老若関わらず共通なのである


むくれるアリナを置いてみんなのところへ走っていくと…いつも見慣れた集団の中に一人 見慣れない少女がいるのを見つける


「………」



最初に目に付いたのは綺麗な金髪だった、服はお世辞にも豪奢とは言えないものだったが それを補って余りある程に、整った目鼻立ちをした少女、そして静謐を纏うその雰囲気は ケビンたちと同じ年頃であろうに 、どこか大人びた空気を醸し出していて…


「えっと、ねぇクライヴくん この子誰?、こんな子村に居たかな?」


「………」


そう言って少女を指差せばケビンの方に気がついたのか、目を向ける…がコメントはなし

愛想よく話しかけてくるとか、恥ずかしがって顔を背けるとか そんなリアクションもない、ただただマジマジとケビンの顔を見つめてくる、逆にケビンの方が恥ずかしくて顔を背けてしまいそうだ


「あー、この子は あそこのけんじんさま?って人の弟子らしい、ほら 村に来たケモノとか追い払ったり くすりをつくってきてくれたりして村を助けてくれる人って、かあちゃんもいってた」


そう言いながらメリディアは説明しながら 広場の端 、ベンチに座り恭しく手を振る一人の女性を指差す、賢人様 と言われてもよく分からないが不思議な雰囲気をした女の人だという事は分かる


黒い髪と赤い目をした女性 、ケビンはあまり女の人を多く見たわけではないがなんとなく美人である事は理解できたし 、あの綺麗なお姉さんと綺麗な金髪の少女が関係していると言われればなんとなく理解できる


「ねぇ、キミ 名前なんていうの?」


「え エリスはエリスです、ししょーの弟子です、よろしくお願いします」


ふと、少女に声をかければ鈴の音のような声でエリスだと名乗る、いや緊張しているのか その声音は若干固く、名乗るだけ名乗るとまた口を閉ざしてしまい


ケビンは若干のやりづらさを覚える、ここにいるみんな エリスの事が気になってしょうがないだろうに、あまり話しかけていないのは 恐らくこういう事情だろう


「たはは、さっきからこんな感じで…でも、あそこのけんじんさまに いっしょにあそんで、なか良くしてあげて欲しいって言われたから、みんなでかけっこしようって話になったの」


メリディアの話を聞いて若干安心する…そっか嫌われているわけではないのかと、しかし仲よくして欲しいと言われて、肝心の女の子がこの調子で大丈夫なのだろうか


案の定、気を悪くしたガキ大将クライヴが鼻息荒くエリスに近づいていく



「なんでもいいけどよ、お前走れるのか?チビだし手足もほそいし、弱っちそうだし」


「エリスはししょーに修行をつけて貰っています、かけっこくらい 訳ないです」


「な なんだよそのたいど、生意気だぞ!チビの女のくせに」


「エリスは生意気じゃありません、チビでもありませんこれから伸びますから」


クライヴの言葉にも事務対応のような言葉で返せば、当然 ガキ大将としてのプライドからエリスに食ってかかるが、自分よりも幾回りか大きな彼の事など一切怖がる事なく 言葉を返すエリス


凄い度胸だ、ケビンがもし同じようにクライヴに迫られたら、怖がって謝ってしまうだろう、いや ケビンだけではない 村の子供達全員そうだろう


「ほらほら、ケンカはしない!そういうのはかけっこで勝ち負けきめればいいでしょ、取り敢えず…あそこの木のところをゴールにしよ!」


メリディアが喧嘩寸前の二人を仲裁すれば、少し先の一本木…距離にして30メートル程だろうか?、子供からすれば結構な距離 走って決着をつけるならば申し分ないだろう


「よーし、ほらほらみんな、ここに一列にならんで!ズルはなしだよ!、僕がスタートの合図するから!」


それを聞き 目立ちたがりのルーカスが地面に一本線を引きそこにみんなを並ばせる


彼はかけっこに参加するつもりはないのだろう、そもそも彼はあまり足が速い方ではない、なら参加するよりそういう立場に立った方が良いと判断しての立ち回りだろう、ハナからかけっこで勝つつもりがないのだ、ケビンも まぁなんとなくだがその気持ちは理解出来るかも知れない


この村では幾ら頑張っても一等賞は絶対に取れない、何せ 群を抜いて速い奴がいるから…



「へへへ、オレが一番だ」


背も高く力もあるクライヴは、当然走っても速い 時々ずるい事をしはすれども、運動神経はルーカスケビンとは比べ物にならない


「そうかなぁ?、今日もあたしかもよ?」


そして大本命がメリディアだ、速い 抜群に速い…大人から早馬のようだと称されるほどにメリディアは速い、彼女がかけっこで負けているところを見たことがないほどに速い、運動大好きと公言するだけあり もう少し年上の子を交えたとしてもメリディアは負けないだろう


クライヴは気づいていないが、クライヴが一位になれる時は決まってメリディアが参加していない時だけなのだ、……つまり何が言いたいかというと 彼女が速いという事だ


(今日もメリディアが一番になるんだろうなぁ…)


かけっこは楽しいが、勝てるとは微塵も思えない それがケビン いやクライヴ以外の子供達の認識だ、ぶっちぎって全員を置いて走り去るメリディアの背中が、今からでも幻視できる程にみんな打ちのめされているんだ


かけっこ みんなから遊ぶのは楽しいには楽しいが、その分 勝ち負けは考えない方が良いといいだろう、どうやっても埋まらない差というのはこの年から存在するものだ



皆 静々とスタートラインの前で構える、全員がゴールライン代わりの木を凝視し力み、皆一様にルーカスの合図を待つ



ふと思い立つ、金髪の少女 エリスは 足は速いのだろうか?、クライヴじゃないがお世辞にも背は高いとは言えないし体つきもメリディアに比べると貧相だ、きっと彼女達に勝つことはこの子も無理だろう


メリディア達は早々にゴールするはず、つまりエリスは僕たち他の面子と勝負することになる という事だ


新しく入った子をいじめるようで申し訳ないが、取り敢えずエリスちゃんを抜けるように頑張ろう


「ね ねぇ、エリスちゃん まけないからね!」


「はい、エリスも負けません ししょーがみているので、絶対負けません」


怖かった、ふと声をかけただけなのに 返ってきたのは低い声と鋭い眼光…、とてもじゃないが今からみんなで遊ぶ と言う顔じゃない、あれは獣を殺す為森に入る猟師と同じ…使命感と殺意にも似た決意を孕んだ 圧倒的威圧…何なんだろこの子


エリスの声にブルリと体を震わせれば…



「それじゃあ行くよーっ!、よーい…スタート!」


開始を告げるルーカスの声、スタートの合図と共に手が振り下ろされる


「っっ…!!」


その声を受け、反射的に駆け出すケビン いや全員そうだ 、みんな揃って駆け出した、筈なのに2~3歩進んだ時点で既にクライヴとメリディアが自分達より前へ行っているのが見える 、やはり勝つのは彼らだろう そこはもう分かっていた


(なら、ぼくはせめて エリスちゃんにだけでも…)


そう、エリスの方へ目を向けた瞬間



「フゥッ…!フッ!フッ!」


聞こえるのは 見えるのは、他の子供達とは明らかに違う呼吸と違う走法、そして別格の速度…腕の一振りで次々と加速していき、あっという間に 上位陣へと追いすがっていき、カケラも追いつけない


同じ歳の子が同じ足で同じタイミングで走ったというのに 、エリスの理不尽な程の加速に 置いていかれるケビン達


そして


「なぁっ!?なんだそれ!?なんでそんなにはやいんだよ!?」


「え!?う うっそ!?あたしと同じくらいはや…い いやあたしよりも…!?」


あっという間にバタバタ走るクライヴを抜き去り、トップを独走するメリディアに追いつき 追い越すエリス、確かに運動神経で勝るメリディアは瞬発力という点において分があったろうが 、その後の加速力が段違いなのだ


メリディアを早馬と称するならば…エリスは韋駄天とでも呼んだ方が良いかもしれない


「ぐっ!あたしの前を!走るなんて許すわけないじゃん!」


走る、当然 メリディアもプライドがある 今まで無敗だったプライドが…、今までにないくらい足に力を込める 自分にこれ程本気が出せたのかと驚く程に足が速く動く、のに 肝心のエリスには追いつけない


背中がどんどん遠くなる、こんな感覚は 初めて…そうか これが…






「っと!、この木がゴールでいいんでしたよね?」


「はぁ…はぁ、うそでしょ…、あんだけ走って…ぜんぜんかなわないって」


メリディアに体一つ分の差を開けてゴールしてみせたエリスは、軽く息を整え木をタッチし向き直る、対するメリディアはスタミナを使いきり ゴールした瞬間倒れ転がる、体力を全て燃やし尽くしたというのに 結局追いつけなかった、初めて見舞われる敗北感に打ちひしがれ もはや起き上がる気力もない


「ぜぇ…ぜぇ う 嘘だ!、なんだよお前!」


続いてゴールしてきたクライヴが声を上げる、体力に余裕があるのは 、エリスとメリディアに追い抜かれ 、もうどうしようもないくらい差をつけられ途中で手を抜いたからだろう


途中で勝負を捨てたとは言え、クライヴは納得出来なかった…いやメリディアに負けるならまだいい、小さい頃からの付き合いで彼女がどれだけ『走る』という事が大好きで得意なのか知っているから、負けてもまぁ 納得出来る


けどエリスは違う、いきなり現れ自分とメリディアを涼しい顔で負かし、二人とも肩で息しているというのに この子は早々に息を整え汗を拭っているんだから、クライヴも文句の一つでも言いたくなるというもの


「こんなの…な なんかズルしたんだろう!」


「エリスはししょーの下で毎日修行しているので、このくらいの速度は出ます」


ただ子供達は与り知らぬ事だが、エリスは数ヶ月前から師レグルスの元で魔術に耐えられる体作りと称して、毎日毎日森の中をマラソンし回っているんだ


雨の日も風の日も雪の日も、時に重りを背負い 時に自らを追い込み 詠唱をしながら、ただ修練に明け暮れていたんだ


修行初日ヘロヘロになってしまったことを反省して、本を読み 正しい呼吸と正しい走法、正しい体運びを学び、直ぐには成長しない体をエリスは知識で補った


幸いレグルスの家には、体術武術等その手の本はたくさんあり、全てを読破しその知識を吸収する頃には 、エリスの疾走も幾許かまともなものになっていた、それこそ同年代の子では相手にならないだろう


まぁ、それでもまだまだ未熟も未熟、かけっこでは凄いスピードだろうが 飽くまで娯楽の範疇での凄さだ


「ししょーの下でしゅぎょうって、…走るための?」


ある程度回復したメリディアが、そっと立ち上がりながら 呟く、いつも走った後は清々しいまでの達成感が押し寄せていたというのに、今日は 全力で走ったのにあまり気分が良くない


「ま…まぁ、結果的には 走るための修行になりつつはありますが…本当は違うと言うかなんとう言うか」


「よくわかんないや、…あんたのししょーはもっと速いの?」


「はい、鳥や風より うんと速いです」


気分は良くないが、メリディアは今 どうしようもなく走りたくなっていた


走って走って、いつか目の前の子に勝ちたい、初めて湧いた情熱は いつか尊敬にも近い念となり、エリスにぶつけられる


エリスが指差すししょーとやら 、さっき話した時はそんな凄い気配は感じなかったが 、曰くエリスよりもうん速いらしい、エリスが 尊敬するだけのことはあるのだろう、そう感じながら、指差す先 もう豆粒くらいの大きさに見えるししょーを見つめる


そんな凄い人ならもっと顔をよく見ておけばよかったな


「鳥より…風より 速い…か、あんたのししょーって凄い人なんだね」


メリディアは考えたこともなかった 自分より速い存在の事など、いつも追い抜いた連中の事ばかり…後ろの事ばかり見つめて優越感に浸っていたが、なんて事だ 前を向いてみればまだまだ追い抜かなきゃいけない奴が沢山いる その事実がたまらなく嬉しい


なんだか気分は悪いが…なんだろう、抜きされて尚打ち負かされて尚、やっぱり気持ちがいい 走るのは気持ちいいと、再認識させられる





そうメリディアはどこか納得したような面持ちで微笑むが、彼は…クライヴ違う



「オレは…オレは みとめないからな、お前みたいなの!」


子供とは時として理不尽であり、理屈を超えた理論を用いる 、この村で負けなしなのは何もメリディアだけではないのだ 、ガキ大将として同年代の頂点に立つ彼が、こんな小さな女の子に自尊心を傷つけられて黙っているわけがない


ポッと現れたよそ者となんて仲良くしてやるつもりなどない と顔を赤くして怒り始める


「…エリスの方が速かった、だから勝った それだけじゃないですか なんで怒るんですか」


が、子供なのは何もクライヴだけではない、いきなり理不尽に怒鳴られればエリスとてキレる、頬を膨らませ むくれて 、つい彼の怒りに油を注いでしまう、喧嘩勃発だ


「なんだと!…、お前 いきなりオレの前に現れて、えらそうにして!」


「ちょっとクライヴやめなって!、エリスの言うとおり 今回はエリスの勝ちなの!、次勝てばいいじゃん」


怒り狂い拳を掲げ 殴りかかるクライヴを止めようとメリディアも制止に入る、乱暴者として有名なクライヴが手をあげるであろうことは彼女も理解していた…が


「うるさい!こんな奴!」


「あ!ちょっと!」


間に合わない、体力を使いきったメリディアでは間に入ることも叶わず、周りの子供たちもクライヴの剣幕に近づけず、ただただ天高く振り上げられたクライヴの拳骨が、そのままエリスの頭目掛け振り下ろされ …いやこうなっては仕方ない


「ッ…!?」



「白熱し過ぎたとは言え、手を上げては楽しい遊びにはならないと思うよ?」



あわやエリスがポカリと殴られ大惨事かと思われたが、クライヴのその手は 何者かによって丁寧に掴み受け止められ、子供達を落ち着かせようと優しげな声が響く


「ししょー!?」


「な!?なんだよあんた!」


クライヴの手を受け止めたのは、エリスの師にして子供達での遊びをお願いした人物、レグルスであった


人と触れ合い 人と話し 人に慣れる、その為に村へ降りて来たついでに エリスに子供達と遊んで来なさいと命じた仕掛け人こそレグルスである


いやレグルスも悪かった、エリスならまぁなんとなく上手くやるだろうと思っていたが、ダメだった 折り合いをつけられなかった、というか 他の子供たちに対してあんな塩対応を取るとは思わなかったんだ…



まぁ、ある程度の衝突ならばそれも学び一環よ と出来る限りの干渉をするつもりはなかったのだが、流石の私も愛弟子が打たれるところを、態々見過ごすほど厳しくはない


無理矢理絡ませた原因は私にある、ならば先に詫びを入れるのは私の方だろう


「私の弟子が、君を怒らせてしまったのなら 師である私が代わりに謝る、だから君も 出来ればその手を下ろしてはくれまいか…」


「あ…ぅ、いや…」


ガキ大将のクライヴも何も言えぬ、大人であれ食ってかかる彼も レグルスの放つ異様な雰囲気の前には声も上げられず、ただただレグルスに言われた通り 上げた手を静かに降ろす事しか出来なかった


いや、何も言えなくなったのは何もクライヴだけではない 、ケビンもルーカスもそしてメリディアも圧倒され押し黙る…


静寂だ、子供達の心地よい喧騒が消え 居心地の悪い静寂が辺りを包む



(最悪だ、…子供達の遊びに大人が干渉するなんて、そりゃあ冷めるし萎えるよなぁ…でも)


レグルスだって分かってる、これは子供達の問題 子供達の間で解決すべき事、私のような大人が割って入っても、問題は拗れるだけで何の解決にもならん事は明白


だがね、止めたのには二つ 理由がある、一つはさっきも言ったがクライヴ君がエリスを殴ろうとしたから…そしてもう一つが


「し ししょーは謝らなくてもいいです!わ 悪いのは…エリスなので」


クライヴが手を挙げた時…一瞬だが、エリスの体の中の魔力がざわついていた、明確な敵意を持った蠢動だった



いや エリスにはまだ魔術は教えていない、でもあの動き方は確実に『何か』をしようとしていた…魔力を使ってガキ大将相手に何かを…


もし、例えばだが エリスが私に内緒でどこかで炎の魔術の詠唱を覚えていて 、それをガキ大将相手に撃とうとしていたならばどうだろうか、子供が放つ不完全なものとは言え魔術は魔術だ、最悪取り返しがつかない事態になっていたかもしれない


エリスが何をするつもりだったかまでは 分からないが、止めに入らなければ危なかったのはエリスではなく、この子供の方だったかもしれない という点には変わりはない


「その、ごめんなさい …、エリスの言葉使いが悪かったです、ごめんなさい」


「い いや、おれも…その…」


師匠に謝らせるくらいならと、慌てて頭を下げクライヴへと謝罪をする…、幸い 私の登場で呆気を取られ少し落ち着いていた為か、怒りの鎮まった彼も何だかんだ許してくれたようだ


ともあれこれで一件落着なのだろうか…、なんの禍根も残さずとはいかんだろうが、こっちが謝り相手が謝った以上喧嘩は終わり と見るしかない



しかしエリスに友達を作らせてあげようとしたのはちょっと間違いだったかもしれない、周りの子供の視線を見て なんだかそう思う、もはやこの子たちの中でエリスを普通の子として扱うのは無理かもしれない

いや今はこれでいいかもしれないがエリスは今後どんどん力をつけていく、一年後二年後ははっきり言って戦争に連れて行っても問題ないくらいの実力になる



そんなエリスと 普通の子供が…果たして仲の良い普通の交友関係を築けるだろうか



表面上はうまくやっても、エリスはきっと 力のない同年代を見下すだろう、他の友達はエリスを腫れ物扱いするだろう、そんなもの 友達とは呼べない



…エリスの友達になるなら、エリスと同じく力を持つ子供がいいだろう 、エリスも変に気を使わず 同じような力を持てば喧嘩になっても大事には至らん、友人関係はなんのかんの言っても対等方が築きやすいのは確かだろう


それとも、これもやっぱり要らぬ気回しなのだろうか、…分からん もう何にも分からん 、自分のだろうが他人のだろうが人間関係は難しい、そもそも私なんか対等に友達と呼べるのは他の7人の魔女くらいなもんだ…友達10人以下の私が張り切って友達作り手伝ったって ロクな結果にゃならないか


「それじゃあエリス、もう行こうか そろそろ要件を済まさねば…」


「あ、はい それでは皆さん、今日はありがとうございました」


事務的だ…私が声をかけ 手を引くと、さっきまで遊んでいた友達になんとも事務的な別れを告げる、もうちょっと子供らしい無邪気な挨拶をすりゃいいもんを


「お…おう」


「え?うん…その、ありがとう」


「ばいばいぃ…?」


そら見ろ、男の子たちもみんな困惑しながら返してるぞ…いや、困惑してるのはエリスの言葉遣いではなく エリス自身に困惑してたんだろう、明らかに自分達とは違う存在にどう扱っていいか分からぬ困惑、こう言うのを奇異の視線 と呼ぶのだ


この分じゃ、この村では友達など望めないか…第一印象がこれではもはや


「エリスちゃん!」


「え?、えっとメリディアちゃん?」


ふと、エリスを呼び止める声がする…確か 彼女はエリスとのかけっこで最後までエリスに食らいついたメリディア と言う女の子か、幼いながらにその運動の才は大したものだ、天賦の才!と言うほどのものではないが


そんな彼女が エリスを呼び止め、クッ!と親指を立てる



「またかけっこしようね!、あたし!次までにはもっと速くなってるから!」


…やはり、友達云々は要らぬ気回しだったか


こう言うのは 一緒に遊ぶだけで、なんとなく 出来ていくものなのかもしれない…この場合は友達ではなく好敵手なのかもしれないが、それでも良い関係であることに変わりはなかろう


「大丈夫です、その時までに、エリスはもっともっと速くなっているので 」


いやもうちょっと気の利いた返しを…いや言うまい、弟子の交友関係になんの口出しもすまい!今決めた!、この子の人生はこの子の物 この子の友達はこの子が決める、それで失敗しようがそれはこの子の選んだ道だ


「ほら行くぞエリス、エドヴィンを待たせているんだ」


「はい、ししょー」


そう言うながら手を引きその場を去る中、メリディアだけが 私たちの背中に手を振っていた、いい子もいるもんだなぁ


相変わらずエリスは無表情を貫いていたが、…ふふ 私をナメてはいけない、若干眉が緩んでいるぞ?嬉しいんだな?、全く素直じゃない奴め





………………………………………………



メリディアは…戦慄していた



この村で あたしより速い奴はいない そう思ってたけど、エリスという子に完膚なきまで叩きのめされた


それはいい、問題はその師匠の方だ


「鳥や 風よりも…うんと速い」


もう見えなくなった二人の背中を見つめ、ポツリと呟く


クライヴがエリスを殴ろうとした時、あの師匠は咄嗟に間に入って止めた、…あの 豆粒のような公園の端から ここまで移動して来た


見えない程の速さだった 普通じゃ考えられない速度だった、一体全体何をどうすればそんな程の速度で動けるのだろう



一種の極致を垣間見て メリディアの中で何かが変わる、



「なんだったんだろうな、あいつら…まぁいいや!、みんな かけっこなんかやめて、騎士ごっこしよーぜ!」


「ごめん、あたし 今からちょっと 走ってくるね」


「は?…」


走りたくなった、遊びで走る回るのではなく 自分がどれだけ速くなれるか、試したくなった


エリスちゃんだってししょーとの修行で速くなれたと言っていた、ならば只管あたしも練習すれば速くなれるのでは? 走れば走る程速くなれるのではないか?


「あ!おい!メリディア!、なにいって…」


「じゃあね!また!」


クライヴや他の友達の制止の声を振り切り走り出す、いやただ闇雲に走るのではない


エリスのように手を振るい エリスのように息を吐き エリスのように足を出す、幸い目の前を走ってくれたから、その光景は目に焼き付いている、速く速く 風を切る心地よさを感じながら 、メリディアは浅く笑う




エリス この村で初めて生まれた勝てない相手 ライバルを思いながら、次は負けぬと言う心の炎を燃やしながら、目的地など決めずに走り 走る







……………………………………………….…



「喧嘩するなとは言わんが、もう少し抑えてだな…」


「先に言ってきたのは相手です、エリス ただ勝っただけなのに」



ムルク村の小高い丘の上に立つ 領主館、そこの客間に招かれた私とエリスは…ちょっとさっきの事で話をしていたんだが、どうやらエリスは私が先にクライヴに詫びを入れたことが気に入らないようなのだ


敬愛する師があんな奴に頭を下げるなんてと 唇を尖らせている…


「なにくだらない事で話してるんですか、子供なら喧嘩の一つでもするでしょう 寧ろ、問答無用で殴り合いにならなくて良かったじゃないですか!はい、コーヒー」


そんな私とエリスの口論を諌めるのは、館のメイド クレア


「あ!クレアさん!ありがとうございます!」


「いいのいいの!、エリスちゃん気なんか使わないで、お客様なんだから!」


意外な事にエリスとクレアは私の与り知らぬ所で知り合っていたらしく、案外仲睦まじい…なんでもクレア曰く『エリスちゃんと私は魂の同志なので』らしい 何じゃそりゃ


しかもエリスはエリスで『クレアさん 、実はレグルスししょーの事大大 大好きなんですよ?』なんて耳打ちしてきたが…


「それにしても賢人様の弟子が、あのいい子なエリスちゃんだったなんて、今でも、信じられませんよ …エリスちゃん?師匠の修行がキツかったらいつでも私の所に逃げてきてもいいよ?甘やかしちゃうから!」


見ろこの私への当たりのキツさ、何処が私のこと好きなのか


「それにしても、エリスちゃん ?大丈夫?、リクエスト通りにブラックコーヒーにしたけど…苦いよ?」


「大丈夫です、ししょーと同じのが飲みたいので


まぁいい、私達はなにもエリスの友達を作る為だけに時間を割いて村に降りてきたわけではない、その一件は飽くまでオマケ、と言うか我々が村に降りてくるなら基本的に要件はこの領主館にしかない


要件は一つ、エドヴィンに調べ物をしてもらっていたのだ…件の盗賊について



「お待たせしましたね、賢人様 エリスちゃん」


「ああ、悪いな エドヴィン 、領主たるお前をこうも働かせて…」


「いえいえ、 賢人様の頼みとあらば、それに他の貴族と違って暇ですしね僕、 村は平和極まりないですし そこまで栄えてるわけでもないので」


たははと笑いながら奥から現れるはエドヴィン、相変わらず服装は乱れていてだらし無いが、まぁ今に始まった事ではないからなにも言わん むしろこのだらしなさが彼らしいとも言える


「あ!領主様 こんにちわ」


「はいこんにちわ、相変わらずエリスちゃんは礼儀正しい いい子だね、クレア君!何かお菓子とかないかな」


「いやあったらとっくに出してますよ…何かないか 一応探してきますね」


エドヴィンに向けてきちんと立って挨拶するエリス、私が教えていないと言うのに こう言う面は私と違い物凄くしっかりしている、同年代の子への当たりはキツいのは少しアレだが


しかし、可愛がられているな エリス…エドヴィンからは娘のように クレアからは妹のように、可愛い可愛いと愛でられている、特にエドヴィン 来る都度甘いお菓子をエリス渡し頬張る姿を見てニマニマ笑っている、まるで私が可愛がってないみたいだからやめて欲しいのだが



「エドヴィン…我が弟子を可愛がってくれるのはありがたいが、それはまたの機会にしてくれ、それよりも 例の件…私が捕まえた盗賊の狙いは分かったのか?」


クレアがお菓子を探しに離れた辺りで話を切り出す、このまま放っておけば日暮れまでエリスを可愛がり続けそうな勢いだったからな


「ああ すみません、いやいや こうも小さい子が館にやってくると、新鮮でたまりませんので…えっと、例の盗賊たちの件でしたね」


おほん と一つ咳払いを飛ばせば、ふにゃふにゃにふやけていた顔つきも元に戻る


そうだ、エドヴィンには いつぞやの私が捕まえた盗賊たちが何故 あんな所にいたのか、それを探っていたのだ



ここ アニクス山は大国アジメクの端の端、いくら世界に名を轟かせる魔女大国の一つとはいえ、辺境はきちんと辺境だ 交通の便も悪く行商人も他の街道に比べれば圧倒的に通らない


山賊とて人、稼ぎがなければ食っていけないのは変わりない、商人もなくあるのは痩せ細った村々のみ こんなところで稼ぐより、もっと主要な所に居を構えた方が遥かにいい 、と言うかみんなそうしている…、こんな田舎の大山にやってきても旨味の一つもありはしないのだ


「皇都の方へ送られて 何が目的だったか、尋問しているようなのですが なかなか口を割らないみたいで…、唯一分かったのは かなり大掛かりな計画の一部として 、アニクス山に来ていたのだと…」


「大掛かりな計画?、ならますますわからんな アニクス山で一体何をしようと言うのか…そういえば、わからんと言えば 奴ら狼のエンブレムをつけていたな」


何もわからない と言う事実聞かされ、まぁそうだろうと納得する、あの盗賊の統率のとれた動き かなり厳しく躾けられている、簡単に口を割ることはないだろうとは思っていたが、まさか案の定とは


それより気になるのは、奴らのエンブレムの件だ…やはり 山に生きるものが、不吉の象徴たる狼のエンブレムをつけているのは納得が…


「エンブレム?…ってなんでしょうか?」


「へ?、いや 狼のエンブレムさ、普通不吉の象徴たるエンブレムで つけてたら不幸が…」


「……?」


なんだこの反応、エンブレムのこと知らないのか? 、確かに私はリーダー格がつけていたエンブレムを潰したが、他にも持っている奴がいたし エドヴィンの所にも話が行っていると思ってたんだが


「ああ!エンブレム!、確か4~5000年前まで存在したと言われる紋章信仰のことですね、確か 動物の紋章を金型に描き、持ち歩く事で御守り代わりにしたと言われている あの…、よくもまぁ そんな昔の事を知っていますね。流石賢人様」


…そ そんな前に廃れてたのか 、エンブレムって…当時めちゃくちゃ流行ったアクセサリーだったのになぁ…そっかもう時代遅れなのか アレ、私好きだったんだけどなぁ


「そう言えばクレア君が語ってましたね、『魔女レグルス様はエンブレムによる装飾を好み よく付けていた とされる』って、魔女様もつけてた由緒あるものなのですね」


やかましいわ、悪かったな好きで…と言うかクレアは何故そんな事知ってたんだ、恥ずかしい…


まぁそれは良いとしてだ、ならなおのこと盗賊達のことが分からなくなった 何故…そんな何千年も前に廃れた筈のエンブレムを好き好んでつけていたんだ?、それともそう言うデザインのたまたま似たアクセサリーを私が見間違えたのか?…あり得る


確かに似てはいたけど、ちょっとだけデザインが違ったような…いやにしては似すぎな気がするが…分からん


「すみません、折角ご足労頂いたのに、大したことがわからず終いで…」


「いや、エドヴィン…君が悪いわけではない、それに分からないなら分からないで良いのだ、ただ気になっただけだしな、私もこんなことで働かせた上に館に上がり込んですまなかった」


申し訳なさそうに謝るエドヴィンを手で制す、いやこれは完全に私のワガママだった 、こんなことで本来領主たるエドヴィンを動かすべきではない、ただ…胸騒ぎがするのだ


何千年ぶりかの 胸騒ぎ、嫌な予感とでも呼ぼうか 、小さな火種が藁の山に降りかかるのを見ているような気分だ…大ごとになりそうな、そんな予感…


「…ぷぇぇ、苦い…この黒いコーヒー苦いです…ししょーは毎日こんなものを…」


「まぁいい、もしまた何か小耳に挟んだら私に教えてくれ…皇都と連絡を取れるのは君だけだから、必然的に頼む形になってしまうが」


「だから構いませんって、賢人様はいつも村の事を第一に考えてくださりますしね…きっと今回も村のことを案じてのことでしょう?、なら 領主たる僕も可能な限り協力しますよ」


あははと いつも通り脱力気味に笑うエドヴィン…この笑顔だけは歳を取っても変わらんな、人好きするいい顔だ… いつも迷惑ばかりかけていると言うのに、全く人が良すぎる


「ありがとうエドヴィン、いつも世話になるな…」


「いえいえ、おや もうおかえりになるのですか?」


「えぇーっ!?もう帰っちゃうんですか!折角クッキー見つけてきたのにぃーっ!」


「ああ、いつまでもお邪魔しては悪いからな」


クレアの淹れたコーヒーをぐいっと飲み干し、そのまま立ち上がる いつまでも邪魔をしては悪い、だから要件が済んだなら手早く帰る これはいつものことだ

まだいてくださいよっ!せめてエリスちゃん置いてってー!と絡みついてくるクレアを片手で抑えながらエリスに声をかけると…



「ぁ えっと、エリスまだコーヒー飲んでないです」


まだブラックコーヒーをチビチビ飲んでいた…、だから砂糖の一つでも入れておけといったのに、無理に私の真似をすることなどないのに…コーヒーなんて言ってしまえば焦げた豆の出汁だぞ 苦くないわけないだろう


「なら早く飲んでしまいなさい…、それともミルクと砂糖入れるかい?」


「い!いえ!エリス!このくらい飲めます!…ぐぐーっ!…に 苦ぁぁ…」


忙しなく一口で飲み干せば青い顔しながら舌をぴろぴろ外に出している…、… だから無理するなと…


なんとなく思った事なのだが この子もしかしたら、大人ぶりたいのだろうか だから同年代の子達と遊んだ時も自分は違う 的な塩対応を取っていたしコーヒーもブラックを飲む…のか?、まぁなんでも良いか


人間誰しもそう言う大人ぶりたい時期はある 、こんな小さな子供が大人ぶりたいなどちゃんちゃら可笑しいがな


「ではまたな?エドヴィン」


「ええ、ではまた 賢人様 エリスちゃん、またいつでも来てくださいね


いきぃーっ!エリスちゃーんっ!いかないでぇーっ!私の妹ーっ!と私の足に絡みつくクレアを足蹴にしながらエリスを抱き上げ客間を後にする


こんな要件だったと言うのにエドヴィンはしっかりと手を振り玄関まで見送ってくれる、全く…相変わらず 『いい奴』だな


「エリスもうコーヒー飲みません…、ししょーも飲むのやめましょう あれはきっと体に悪いです、苦いですし…」


「次は砂糖を入れて飲んでみなさい」



……………….……………




「さて、クレアくん コップの片付け お願いしてもいいかな?」


「はーい!」


エリスと惑いの賢人様が去った領主の館、二人も人がいなくなったこともあり…館にまた静寂が戻る、領主様も大好きなお客人が去ると私に片付けを命じて再び書斎に篭ってしまう、私が言えたことじゃないかも知れませんが、随分本がお好きなようで


前書斎を掃除してる時 本棚の中身見ましたが、私が好きそうな本はありませんでしたね 、かと言って何の本があるかと言えば特になし という方がいいでしょうか なんだか一貫性が無いというか 、ただ闇雲に本を集めてるだけに見えますね




ただ、この敏腕メイドが推察するにあの本の山 、多分ですが元々惑いの賢人様にプレゼントとして渡す為のものだったんじゃないかなぁと思っています、惚れてますからね 領主様って…賢人様に


ちょっと前に珍しくお酒に酔ってる時 聞きましたが、幼い頃 領主様が川で溺れていたところを賢人様に助けて貰った時以来、ずっとずっと恩を返したいと思っているんだ って語る領主様の目は、何処か恋慕のようなものを感じましたしね


この歳まで独身を貫いているのは そう言う事…なのでしょう


あの本の山もきっと賢人様に渡そうとおもってたのに、渡し損ねた物を自分で処理してるんでしょう、悲しいことです



しかし、その話を聞いて以来 私には一つの疑念が生まれました



「賢人様……名前も名乗らず年齢も素性も全て不明、領主様の話を聞くに かなり前からこの村にいたらしいですけど…怪しいですよね」


領主様曰く 領主様が子供の頃から姿が変わっていないそうだ、賢人様は代替わりしていて姿が似ているだけの別人だよと言うが…、間違いない 賢人様は少なくともここ3~40年 歳をとっていない



最初はただの不審者かと思っていたが、やはり怪しい いや違う別の意味の怪しさ、何者なのだろうと言う 疑念



「やはり、『魔女様』に一報入れておいたほうがいいかもしれませんね」


美しい『エンブレム』の蝋印がなされた便箋を片手に、小さく 小さく呟く…








……………………………………


其れは何処か分からぬ薄暗い館、其れは素性の知れぬ者達が集う場、置かれている装飾調度品の数々は風化し朽ちており とでも居住性が良いとは言えぬ館の奥の奥…一角の部屋にて揺蕩う一人の女性は 扉を叩く乱雑な音で目を覚まし 眉をひそめる


「入れ」


「へいっ!、失礼しやす」


入ってきたのは山賊崩れの粗野な風貌をした男、何も粗野なのは見た目だけでなく 中身もきっちりかっちり下衆な山賊なのだから救いようがない、やはりこんな屑どもに礼儀など求めても無駄か


「して、何用か 我が眠りを妨げてまで聞かせる事か?、くだらぬ言の葉 我が耳に入れよう者なら、その五体即刻爆ぜると思えよ?」


廃墟といっても良い崩れた館に似つかわしくない、壮麗な玉座に座るは一人の女、黒い髪と赤い目 そして王冠のように頭に乗せるは三角の魔女帽子、まるで その姿は魔女のようで


「いえ、其れがアニクス山の方へ出向いていたオレ達の一派が 辺境の貴族に取っ捕まっちまったらしくて…」


「はっ、グズどもめ どうせ欲をかいて要らぬ掠奪を行おうとしたところを、騎士達に返り討ちにあったのであろう?、そのような木っ端な雑魚 捨て置け、我は知らぬ」


「それが、其奴ら山狼ブエルゴの一派だったみたいで…」


「……何?」


目の前の山賊の言葉をくだらぬと一蹴する女も、捕まったのは山狼の一派だ と言う言葉を聞き表情を曇らせ、やや上体を起こす


「山狼…、確かアルクカースの一級品の武具を持たせておった我が主力部隊ではないか、彼奴らには我等の新たな裏市場の拠点の確保を命じてあったはずだぞ」


「ええ、それで殆ど手付かずのアニクス山なら 大掛かりな拠点を築けるんじゃないかって向かって行って、それこの有様ですぁ…」


女は少し 眉をひそめる、我々賊の主要な食い扶持となる筈の裏市場計画が潰されたか…


数年前から、アジメクの辺境 アニクス山付近に人身売買を行う裏奴隷市場を作ろうと言う計画があがっていたのだ、何故アニクス山か 理由は一つ、あそこは魔女の目も騎士の目も届かぬ地であるが故


裏奴隷市場が大きけれ大きいほど買いに来る人間は増えるし 、ストック出来る奴隷も多くなるから売り上げも増える、が代わりに騎士達に見つかり潰される可能性も増える が…それも辺境アニクス山では心配する必要はなくなる 筈だったのだが


「どうするんだ…、もう奴隷は集めてしまっているのだぞ、奴らは健康でなくては売り物にならん、故に相応に場所を取る …裏市場を作る為の金も募ってしまったし、何より既に観に来ると言っている貴族も数名いるのだ、今更引き下がれまい」


「へ へい…一応集めたのは全員子供ですんで 直ぐに手狭になることはねぇかもしれねぇです、けど あんまり変に時間かけるとガキ共の健康も悪くなって値段も下がる一方でやす」


このアジメクに集めたのは子供の奴隷だ、ガキの奴隷は高く売れる 、犬猫と同じだ…愛嬌があり反骨心がなく 、逆らわず従順 故に裏市場を開いた後叩き売る為、先だって四方八方から子供の奴隷を集めていたのだ


一人でいるところ攫いもしくは 、主人が遊びで作ってしまった子供の処分として安く買い集め 、今 仮のアジトに150人ほど集めてある 、裏市場が出来たら 、そいつら全員そこに叩き込んで高値で売りさばいて 大儲けの予定だった


そんな大掛かりな計画だったから、一番頼りになるブエルゴに一任したと言うのに…


「…ブエルゴは元アルクカースの軍人、彼奴の部下も含めれば我が配下最強の一団…、ゲリラ戦であればアジメクの友愛騎士団さえ退けた功績さえある…、それが 辺境貴族にあえなく捕まったと?なにかの間違いではないか? あり得んだろう」


「それが、報告を聞くに どうやら本当みたいで …捕まったのが冬の入り始めあたりですんで、今頃はもう皇都の牢屋に送られてやすし、ブエルゴ 下手すりゃ処刑されちまいます、助けに行きやすか?」


狼のように勇猛かつ強力なブエルゴの実力は女も知っていた、闇に紛れ一糸乱れぬ連携からの矢の雨は 以前騎士団と交戦になった際 大いに活躍をしてみせたまさしく主力部隊、それが 捕らえられた? あまりの衝撃に目眩を覚え軽く頭を揺らす


「助けに行く?…馬鹿を言え 、以前友愛騎士団を退けられたのは 向こうに騎士団長が不在だったから、それに もし皇都に乗り込み暴れればその瞬間……兎も角主力を欠く我等が助けに行くのは得策ではあるまいよ」


皇都に出向けば友愛の魔女が出てくる 確実に…、皇都はその全てが友愛の魔女の掌の上いや口の中とも言っていい…、我等が全霊で暴れたとて 一撃で噛み砕かれるのがオチだろう


現れた友愛の魔女に 我等が勝つ?無理だ、大嵐に勝てる人間がいるか?噴火に勝てる人間がいるか?いない、それと同じだ…魔女達はこの世に存在するどの災害よりもなお恐ろしい大天災なのだから


「主力部隊など、また育てるか勧誘すれば良い アルクカースに出向けば、あの程度の軍人 ゴロゴロいるしな…それよりも今は拠点確保だ 周辺の村を抑えながら、ついでにそのブエルゴを捕まえた奴を探し出し、裏で始末し我々に逆らった報いを受けさせる」


「へい、了解です…んじゃあ アニクス山の方へ向かいやすか?」


「ああ アニクス山で何があったかも調べねばならぬしな、此度は我も出る、お前も支度しろ 山猿」


そう言いながら玉座より立ち上がり ローブを翻し仰々しい大杖を手に取る、我等…いやこの私に喧嘩を売るというのがどういう事なのか教えてやらねばなるまい、目を潰し 手足をもぎ はらわたを抉り出しながら言ってやるのだ『我々に逆らうとこうなるのだよ』とな


「へへへ、ボスが出てくれんなら百人 いや千人力だぜ、なんせボスは…」


「ふっ、そうだ 我こそは魔女…伝説に名高き 魔の深淵に至りし魔女の一人」


夜の如き衣を纏い 絵画で描かれる星の大杖を携え首には輝かしいエンブレムを身につけた黒き魔女、…この世界を生きる者なら誰しも名前くらい聞いた事があるだろう、この名を聞いて恐れぬ者はいない 敬わぬ者はいない 震え戦き跪かぬ者はいない


「我が名はレグルス、孤独の魔女レグルス…魔女の怒りがどういうものか、思い知らせてやらねばならんよなぁ?、ククク…フハハハハ!」


レグルスと名乗った黒髪の女は獰猛に笑い歩き出す……、友愛の魔女の目の届かぬアジメクの隅の隅 隠れるように建てられた山賊のアジトにて、下劣な悪意が木霊する


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