20,君はパン(仮定)



「愛しの奥様と一緒に食事だったんじゃないの?」

「ああ、とても有意義な時間だった」

「じゃあその眉間の皺はなんなのさ」


 昼休憩の鐘が鳴り止み、少しして執務室に帰ってきたアドウェル。普通に遅刻だと思うんだけど、それを言わない僕って出来た副団長だと思う。

 新婚ホヤホヤで浮かれていた団長を見送ったのはつい一時間程前。


 なのに、なんでこんな不機嫌なの⁉


「少し揉め事があった、それだけだ」

「揉め事かあ。あれじゃない? 女の戦い」

「よくわかったな。そのわかったついでだ、エリー・サカイラッズを消し炭にする。手伝ってくれ」

「流石に消し炭はまずいと思うよ⁉」


 なんて物騒なことを言い出すんだ‼ そんなことをすれば、我が陸上軍団は解散を余儀なくされるぞ‼


 苛立つアドウェルが大きな音を立てて椅子に座った。

 あーあ、折角の良い椅子が痛んじゃうよ。


「一応聞くけど、エリー・サカイラッズ? は何をやらかしたの?」

「昨日の馬当番をサボっていた。本来であればエリー・サカイラッズが水汲みや掃き掃除をしなければいけなかったが、全てアイリスが熟していた。

 ランドール、お前が昨日アイリスを呼びに行った時にアイリスが馬の世話をしていただろう?」

「そういえば!」


 担当表を確認していなかった。

 あの場に居たのがアイリスだけだったので、てっきり彼女が担当かとばかり思っていたが、あれは自主的に馬の世話をしていたのか。


 だとすれば、アドウェルの言っていることもわかる。


「もし不測の事態が起これば、馬は確実に走ることになる。その大切な馬の世話を怠るのは、確かにいけないことだね。罰は当然だ」

「アイリスが対応してくれたからよかったものの、もしもの事を考えると市民や陸上軍団の誰かが命を落とすことになるかもしれない。そういった事故は、絶対あってはならないことだ」

「バーミンガム団長、貴方の意思に従います」


 僕が彼に逆らうなんて、許されない。

 最上級の敬意を払うべく、左胸の前に掌を当てて礼を取った。


「ああ。あとアイリスの悪口を堂々と言い放った罪も償ってもらわなければいけない」

「そっちが本音じゃないよね?」

「………………四割程だ」

「間が長いよ‼」


 うーん、ベタ惚れ。


 まだ不満げなアドウェルが、椅子に腰をかけたまま回った。


「(一体アイリスの何処に惚れたんだろう)」


 それを語らせると日が落ちると言っていたが、今時間からだと新しい朝がこの世界に光をもたらすだろう。それは嫌だ、寝たい。


「アドウェル、私情はよくないよ。

 そりゃ惚れた女の子を悪く言われた気持ちはわかるよ。でも今の君は団長だ、公平に罰を与えないと」

「わかっている。だからバレない程度の嫌がらせを考えているところだ」

「それはわかっていないんだよ!」

「チッ。こういうときに権限を使わないでなにが団長だ」


 言ったよ、こいつ! 団長の立場をなんだと思っているんだ……‼


 だんだん頭が痛くなってきた。いや、正気を保て、ランドール・オブライエン。まだ日も折り返し。心が折れるには早いぞ!

 自分を鼓舞して、窓の外に視線をやった。


 その先には昼間と同じ、ミルクティー色の髪を揺らしたアイリスが馬にブラシをかけていた。


 正直に言おう、彼女は確かに可愛らしい。といっても、突飛した可愛さでなく、なんというか……毎日見ていても飽きない可愛さだ。

 美人は三日で飽きるという言葉がある。食事だって高級フルコース料理を毎日食べ続ければ、すぐに胃がもたれる。

 しかしアイリスは例えるなら毎日食卓に上がるパン。

 素朴ながらも必ず側にいないと落ち着かない、空気のように必要な存在。


 的な? だと思うよ、僕は‼


 実際そう感じている人も少なくないと。

 だってたまに食堂で「あ、やっぱり一人で食べてる」「声かけてこいよ」「怖がられて逃げられたら癒やしがいなくなるだろ!」「ああ……なんか見てると落ち着くよな、アイリス・クラークって」って聞こえるし。


「(それ言ったら難癖つけて、その騎士まで罰しそうだもんな)」


 ブツブツをエリーの粗を探すアドウェルに、思わずため息がでた。


 ふと、壁に掛かっている時計を見て肝がヒュッとする。


「アドウェル! この後国王陛下の議題警護に就くんじゃなかった⁉」

「ああ、もうそんな時間か」

「そんな時間かって、楽観的すぎるよ!」


 もうちょっと危機感を持って欲しいなぁ……‼


 団長のみ羽織ることの許されている、赤いマントと渡した。

 ああ、やはりこの厳かな召し物は彼が一番よく似合う。


「帰ってきたらエリー・サカイラッズの正式な処罰を出す」

「わかった。でも護衛には集中してよね」

「当然だ」


 マントを羽織ったアドウェルの顔は、すっかり〝バーミンガム団長〟になっていた。

 そうだよ、僕がわざわざこんなこと言わなくたってアドウェルはちゃんと仕事をこなす。


 陸上軍団のトゥプに立つ男の出陣に、思わず目を細めた。





「さて……と」


 アドウェルを送り出したところで、僕も自分の仕事が残っている。


 散らかった書類をまとめ、自分の部屋に戻ろうとした時だった。




「やっほー。アドウェル、いる?」


 予定外の来客が、執務室に現れたのだった。



 

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