第9話 魔女イネス2



 あきらめて帰ろうとワレスが言うのに、レヴィアタンがしつこくねばり、そのまま、占い館の外でメロディが来るのを待った。が、その日はけっきょく、現れなかった。


 だが、最後までねばったおかげで、夕方、すべての客が帰ったあと、占い館から出ていく女を見かけた。あの目立つ紫色のヴェールはかぶっていないが、そのかわりにストールで顔を隠していた。


「やっぱりそうか。家のなかに生活用品がないから、あそこに住んでいるわけじゃないだろうと思っていたんだ」


 ワレスが言うと、お坊ちゃん二人はやけに感心していた。女をつけていくと、そのまま路地をつきぬけ、裏通りへむかう。ちょうど占い館の真うしろにある家に入っていった。


「あれ? ここは……」と、レヴィアタンがつぶやいた。


「心あたりがあるのか?」

「魔女の家だな」

「魔女?」

「というウワサのある女だ。私たちは毎日、皇都の街なかを見まわっているからな。都の住人とはよく話す」

「つまり、ここの女は近隣から魔女だと言われているのか。なぜ?」


 レヴィアタンは考えつつ、

「なんでも、彼女と結婚すると夫が死ぬから……だったかな?」

 なにげなく言う。


 ワレスはハッとして息を飲んだ。一瞬、自分を責められているかのような気分になる。が、そのはずはない。レヴィアタンがワレスの運命を知るはずもないし、そもそも、誰にもそれを打ちあけたことがなかった。ルーシサスにさえ。


 ワレスに愛されると、その人は遠からぬ日に死ぬ。病気や事故、あるいは自殺。

 一人や二人なら、ぐうぜんかもしれない。でも、ワレスが成人するまでのあいだに十人におよぶとなれば別だ。そういうのは、ぐうぜんとは呼ばない。


 ルーシサスが自分のせいで死んだとき、ワレスはもう誰も愛さないと誓った。一生、ルーシサスへの愛に殉じて、二度と本気で誰かを愛したりしないと。

 だから、真心のない浮薄な恋のかけひきを楽しみながら、ジゴロに身を堕としている。このままでいい。これ以上、愛する人を死なせるより、このほうが幸せなのだ。どっちみち、ワレスの心はまだずっと、ルーシサスに囚われている。


 だが、こんな思いをしている女がほかにもいるなんて、もしそれがほんとなら、ぜひお近づきになりたい。


「その女の名前は?」

「イネス」


 魔女イネスかと、その名を胸の内に刻む。

 もし同じ運命の相手なら、この定めを変える方法を知っているだろうか?

 もし、たがいに恋に堕ちたら、はたして、どうなるのだろう? 両方いっぺんに死ぬのだろうか? それとも、どちらか片方だけ? あるいは時間差で二人とも? より運命の強いほうだけが相手を殺すとか?


 考えると、なんだかおかしかった。


 そのあと、ワレスはレヴィアタンと別れ、ジェイムズと二人で近くの料理店へ入った。周囲に高級な商家が多いせいか、なかなか豪華な店がまえで、品ぞろえも素晴らしい。豊富なメニューのなかから、ワレスはホタテの蒸し焼きを、ジェイムズは子羊の肉のオレンジと玉ねぎの飴煮を選んだ。


 客の数はまださほど多くない。楽士が二階で品のいい曲を弾き、ふんいきも落ちついている。


「美味い。ワレス。羊、美味いよ」

「ホタテもやわらかいぞ。バターがほどよいな」


 しかし、ここへはただ料理を食べに入ったわけではない。イネスの家の近所だから、彼女のウワサを聞けないかと思ったのだ。


 イネス自身は来ていない。高級店のようだから、毎日通えるのは、そうとう金持ちだけだろう。

 イネスの家は小さかったし、それに、なんとなく古くさかった。占いで稼いでいるにしても、生計を立てていくのがやっとじゃないだろうか? それとも、家族がほかにいるのか?


「酒を持ってきてくれ。ヴィナ酒の紫を。ついでに、おれにも子羊のステーキを」

「私は肉はもういいから、かわりに、この揚げチーズの香草巻きというのを頼む」


 給仕に頼むと、しばらくして、なかなか男前な四十代の男が皿を運んでくる。


「この店はどれも美味いな。常連になろう」と言うと、男は礼を述べたのち名乗った。


「店主のシュークレールです。お見知りおきを」


 ワレスはつまさきで、むかいの席のジェイムズの足をつつく。察して、ジェイムズが名乗る。こういうときは貴族のジェイムズのほうが体裁がいい。


「ル・レイ・ティンバー次期子爵だ。以後、よろしくな」


 シュークレールが微笑したところでバトンタッチだ。情報収集は、ワレスのほうが優れている。


「じつは友人がどうしてもというので、このさきにある占い館へ行ったんだが、男は出ていけと言われた。いつもそうなのか?」


 ふだん、富豪の商家を客にしているものの、貴族の相手はそう多くないのだろう。シュークレールはジェイムズが貴族と知って、とても丁寧な応対だ。


「そんな話は聞いたことがございません。ただ、そもそも客がご婦人ばかりなので、男性客じたいが初めてなのかもしれません」

「なるほど。あの占いをしてるのが誰か知っているか?」

「いえ。占い師は顔を隠しているという話なので」


 そのへんはすでに知っている事実ばかりだ。ほんとに聞きたいのはここからである。


「どんな魔女だろう? そういえば、この近所には別の魔女もいるというウワサだな?」


 すると、とたんに店主の顔がこわばった。


「申しわけありません。厨房で呼んでおりますので、またのちほど」


 そう言って奥へ去っていく。


 ワレスはジェイムズと顔を見あわせて、肩をすくめた。厨房から声なんて聞こえなかったのだが?

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