第7話 アンシニカの瞳3



 いつも、ワレスは事件の謎解きを求められると、ジョスリーヌやジェイムズにムリヤリさせられているんだと主張した。が、たぶん、あれはポーズなのだろう。ワレスは目の前に謎を提示されると、それを解きたくなる。そういう性分なのだと認めざるを得ない。


 そうでなければ、こんなにもアンシニカに惹かれなかっただろう。たしかに若いころはそうとうに美しかったはずだ。

 だが、今の彼女はだいぶ、くたびれている。第一、あと五つも年上なら、ワレスの母親と言ってもおかしくない。


 大勢いるワレスの愛人たちのなかには彼女より年上もいるにはいる。が、それは彼女たちが自分の自由になる金をありあまるほど持っているからだ。

 そうした女は、もちろん、ワレスにあたえてくれる額が大きい。だが、それ以上に、自身への美容に使う金が多いのだ。年齢のわりに若くて瑞々しい肌をしている。


「わたしにできるお礼はこのくらいよ」と言って、アンシニカは客間のソファの上で下着をはずそうとした。が、ワレスはその手に自分の手を重ねてとどめる。


「礼が欲しいわけじゃない」


 すると、アンシニカはさめざめと泣いた。


「やっぱり、わたしにはもう、それだけの価値がないのね? あなたは若くてとても美しい男だもの。ほかに可愛がってくれる人がたくさんいるのよね?」

「……」


 ワレスはうなだれる彼女の肩に両手をかけ、下からのぞきこむ。そのまま頭を持ちあげて、唇を重ねる。


「興味がなければ、こんな深追いしてないさ。計画を練ろう。あなたの母のいるのはどこの修道院? 近場ならいいが、遠くだと、伯爵にバレずに戻ってくるのは難しいだろう」


 アンシニカはおかしな女だ。見張られていると承知なのに、なぜ、こんな夫同伴のパーティーで、ワレスを誘ったのだろう? 遅からず、夫に見つかるだろう。彼女はとがめられるだけですむかもしれないが、へたすればワレスは殺される。


 そんなことを考えながらも、後日、ヴェドール伯爵が親戚の祝いごとに行く日があるというので、そのとき、二人で修道院へおもむく約束をした。場所は皇都郊外だ。さほど遠くない。


「ところで、この前、ブローチを買ってあげた日、宝石店の裏で男と会っていただろう? あれは誰だ?」

「そんな人知らないわ。見まちがいではなくて?」


 見まちがいではない。たしかに、アンシニカだった。嘘をつくのだから、ワレスに知られたくない相手なのだ。やはり、完全には信用できない。


 その夜はそこで別れた。


 数日後。約束の日に、ワレスはヴェドール伯爵家をたずねた。なかまでは入らない。門の近くで待っていると、まず馬車が一台、出ていく。小窓からヴェドール伯爵の顔が見えた。それを見送ってから、もう一台の馬車が出てきた。アンシニカだ。ワレスが近づくと、扉がひらき、なかへ招き入れられる。


「そういえば、買われた妻というのは、どんな意味だ?」


 馬車が走りだすと、ワレスはたずねた。

 アンシニカは女優のように、ほろりと涙をこぼす。


「わたしには父がいなかったから、母の手一つで育てられたのよ。わたしが十五になるころには、うちは借金だらけだったわ。わたしは借金のかたに花宿に売られた。つらくて悲しい数年だった。夫とはそこで会ったのよ。あの人が借金をすべて肩代わりして、わたしを身請けしてくれた。だから、感謝はしている」


 つまり、もと娼婦の伯爵夫人だ。

 その母によると、ある貴族の落とし子だというのに、そこまで身を落としたのか。薄幸な半生を歩んでいる。男なら、そんな哀れな美女を見れば、救いたいと思う。


 そう考えれば、疲れたような年不相応の深いしわも、過去に刻まれた痛みの証に思える。アンシニカには人生のドラマという魅力があった。


「ここよ。ここに母がいるわ」


 皇都郊外といっても、貴族の別荘地とは方角が違う。まわりは畑や森ばかりだ。そのなかに、ぽつんと一軒の修道院が建っている。牧歌的な風景だが、かなり不便そうだ。自給自足の生活だろう。


「これはこれは伯爵夫人。よくぞおいでくださいました」

「お母さまに会いにきたの。お変わりはない?」

「それが……衰弱しておられます。おそらく、あとひと月が山かと……」

「そう……」


 修道女に案内されて、粗末な個室に通される。寝台には白髪頭の老婆がよこたわっていた。八十、あるいは九十? そうとう高齢だ。アンシニカの母というより、祖母のような年齢。


「お母さま。やっと見つけましたわ。お父さまからいただいたブローチ。ほら、これでしょう? お父さまの家紋をかたどったブローチよ」

「おお、おお。アン。もっとよく見せておくれ。キレイだねぇ。これだよ。これ」


 以前、アンシニカが言っていたとおり、老婆は記憶があいまいになっているらしい。それが自分の探している宝物だと信じて疑っていない。目に涙を浮かべ、喜んでいた。


「アンや。これでもう、思い残すことはないよ。ありがとう。ありがとうよ」

「いいのよ。お母さん」


 アンシニカも満足げに微笑んでいた。

 でも、なんだろうか?

 ワレスには何かがひっかかる。

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