第4話 ルドヴィカの初恋2



 母に愛人がいた。あの美しい人がそうだった。

 そのことじたいは、なんとなく予想がついていたので、さほどショックではなかった。衝撃だったのは、手紙の最後に書かれた一文だ。『わたしたちの娘ルドヴィカ』そうある。


(わたし、あの人の娘だったの?)


 自分の父親がわからないという事実は、けっこう前から知っていた。それでも、まわりの誰もが愛してくれたので、とくにひがみはしなかった。むしろ、あの初恋の人がほんとの父なんじゃないかと思うほうがつらかった。親子なら結婚できない。今でも、大人になったらあの人の恋人になると、心のどこかで夢見ていた。


 でも、それももう終わり。実の親子だとわかってしまった。


 もちろん、本気で再会できるとは思っていなかった。でも、親の決めた相手と結婚をしいられる貴族の娘にとって、幼いころの思い出はそれくらい大事なものなのだ。嫌いな夫と夜をともにするとき、心のなかで甘い夢を見ることの何が悪いのか?


 ルドヴィカの初恋は終わった。あの人は好きになってはいけない人だった。


 そう思っていたのに、世の中はわからない。今年になって、急にあの人が屋敷をおとずれた。十数年ぶりの訪問だ。


 ルドヴィカが三つのとき、二十代だった彼だ。あれから十五年もたっているのだから、彼はもう三十代なかば。四十近かったかもしれない。それでも、まるで太陽神ユクレラの化身のような美貌はまったく衰えていなかった。それどころか、より男性的になって、圧倒的な存在感を放っていた。


「メイベル。お元気そうだね」

「嘘……あなたは死んだと聞かされたわ。ワレス」


 母の瞳をぬらした涙が、まだ彼を愛しているのだと告げている。


 だが、ルドヴィカの頭を棍棒でたたくより強い衝撃は、母と同じ人を愛していることではない。彼が自分の父だと思っていたのに、とわかった。それはもう、ひとめで。なぜなら、彼の端麗な白皙は、ルドヴィカではなく、ヴィオラと酷似している。ヴィオラの父こそ、彼だったのだ。


(待ってよ。わたしとヴィオラの父は違う。絶対にそう。わたしたち、まったく似てないもの。性格も反対。ヴィオラは社交的で負けず嫌いで誇り高い。じゃあ、わたしのお父さまって、誰なの?)


 母には彼以外にも愛人がいたというのか。

 でも、私たちの娘と記されていた、あの言葉は?


「そうらしいね。みんなに心配させた。でも、幽霊じゃない」

「ワレス……」


 彼の腕のなかで泣く母を、ルドヴィカは複雑な思いで見つめた。ただ一つ理解できた。母はすぐに彼から離れ、父のもとへ歩いていったけれど、ルドヴィカには遠慮する必要はどこにもないのだと。親子でないのなら、この恋は自由だ。


「やあ、ルドヴィカ? 大きくなったな。美しい令嬢だ。お母さんにそっくりだね」

「わたし、あなたをおぼえていたわ。ずっと忘れたことなどなかった」

「おれもだよ」


 ニッコリ笑われると、一瞬で三つのころのあの思いがよみがえってくる。

 やっぱり、素敵だ。三歳の自分の男を見る目にまちがいなかったことが妙に誇らしい。


 それにしても、彼はなぜ、とつぜん、おとずれたのだろうか? ルドヴィカは知らなかったが、母は彼が死んだとすら思っていたようだ。


 母がそれについてたずねると、彼は麗しいおもてをしかめた。


「じつは、ある事件について調べている。その過程でル・シュビド伯爵の名があがったんだ」


 母はクスクス笑いだした。

「あなた、まだそんなことしてるのね?」

「好きでやってるわけじゃないんだ。切実な事情にかられて」

「ル・シュビド伯爵。つまり、私たちの娘の求婚者の家だわ」


 そうなのだ。ルドヴィカは適齢期だし、母似の美人だ。いちおう縁談はいくつか持ちあがっていた。どれもパッとしない子息で、ルドヴィカはまったく乗り気じゃないのだが、ル・ビアン伯爵家は廷臣ではない。伯父からの仕送りだけで生活している。伯父が生きているうちはいいが、ルドヴィカたちの代になってもその仕送りが続くとはかぎらないのだ。金持ちの男をつかまえておく必要があった。幸いにして、娘は二人とも器量よしだ。


「だから、これからル・シュビド伯爵家を調べに行く。ルドヴィカなら、理由もなくたずねていっても不自然じゃないだろう? そのつきそいということにしてくれないか?」


 ルドヴィカは思わず叫びそうになった。このまま暮らしのために結婚して、退屈な人生を送るだけだと思っていたのに、これは奇跡だ。初恋の人と冒険の旅に出られるなんて。

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