第3話 レディの面影3



 目の前のアパルトマンを見て、カースティは一瞬、黙りこんだ。


「……」


 わかる。言いたいことはとてもよくわかる。


「おれが豪邸にでも住んでると思った? 悪いが、庶民なんだ。イヤならすぐに住みこみの仕事を探してやるよ。ジョスに頼めば、小間使いの口はいくらでも見つかる」


 カースティは首をふった。黙って、ワレスと腕を組んでくる。嬉しそうな顔を見て、ワレスは不思議な気分になった。レディが生きていた。ひさしぶりに会いに田舎からやってきたのだと、変な妄想をする。

 そういえば、レディスタニアが生きていれば、ワレスより五つ年下なのだから、ちょうど今のカースティくらいだ。


 都会へ行って金を稼いでくると言ったきり帰ってこない兄がボロアパートに住んで、しかも女にたかるジゴロをしてると知ったら、妹はさぞや落胆するだろう。でも、やっぱり嬉しそうなのは、それでも兄は兄だからなのか。


 そういえば、以前、みなしごの女の子をひろって、ほんの数ヶ月だがいっしょに暮らしたことがあった。おだやかで楽しい毎日だった。あんな日々をもう一度味わえるなら、それもいい。


「困ったな。ベッドが一つしかない。おれが床で寝るしかないのか」

「兄妹なんだから、いっしょでもいいでしょ?」

「そうはいかないだろ。おまえは小さな子どもってわけじゃない」

「わたしは気にしないのに」

「おれが気にするんだ」


 と言うと、カースティはさらに嬉しそうになった。


 とはいえ、カースティとの暮らしが不快だったわけではない。むしろ、快適だった。カースティはすぐに街の代筆屋の仕事を自分で見つけてきた。ずっと森の家で家事をとりしきっていたのもカースティだったのだろう。掃除、洗濯、料理と達者にこなす。とくに料理はワレスのなつかしい故郷の味がした。忘れかけていた母の味つけだ。


「美味いな」

「あなたがショーンさんの宿で料理をすごく褒めてたから、きっとあの味が好きなんだと思って、マネしてみたの」

「おまえはなんでもできて優秀だな。小間使いとは言わず、奥女中になれる。そのためには今のうちに勉強したほうがいい。ジョスに言って、教育の機会をあたえてもらおう」


 だが、ワレスがそう言うと、決まってカースティは機嫌をそこねる。


「わたしはこのままでいいの」

「どうして? おまえの育ての父がヒューゴ・ラスだから? それとも、あの事件のせい? だが、おまえの計画であの人たちは救われた。おまえが幸せになってはいけないなんて誰にも言わせない。たとえ、それが神であっても」


 ワレスはカースティが過去の事件のせいで自分を責めているのではないかと考えた。同じ罪人のマルゴが自分をがんじがらめに戒めているように、カースティもそうなのだろうと。


 そうではないと、のちに明らかになるのだが。


 カースティと暮らし始めて二年がたったころだ。ワレスは家にいないことも多いので、いっしょにいた期間は実質半年ほどだろう。


 カースティは物静かで学ぶことが好きで、ワレスから数学や天文学、病理学やユイラの歴史などを習った。あるいは外国語。カースティはなんでも喜んで吸収する。


 恋人はたくさんいるが、星を見ながら「ごらんよ。あなたの瞳のように美しい」とささやくわけではなく、「あの星座は古代暗黒期なかごろの神話から誕生している。ルーラ湖沿岸に住んでいた漁師の青年スクル・ケルド・オルド・ア・ラが湖に漁に出たとき——」なんて話ができるのは、カーティスを置いて、ほかに誰もいない。


 知的な会話のできる妹の存在が、家に帰るたび楽しみになっていた。ドリスのときもそうだったが、けっきょく、ワレスは家族の愛に飢えているのだと自認する。幼くして、たった一人、広い世界にほうりだされたので。ほんとはもっと、ふつうの少年でいたかった。


 だから、今でもずっと、レディは特別な少女。その面影を持つカースティもまた。


「ワレス。君の力を貸してほしい」


 カースティと暮らすようになってから、ジェイムズがこの家をたずねてくることは減っていた。用があるときは手紙が届くか、ラ・ベル侯爵邸を狙われるかだ。カースティが以前の事件の関係者だと、もちろん、ジェイムズだっておぼえている。ワレスの妹だなんて信じているわけないが、それだけに、本命の恋人だと考えているのかもしれない。


「どうせまた、くだらない事件だろ? どっかの屋敷から宝石がなくなったとか。令嬢のブロンドが本物か偽物か。もしかしたら、厨房から卵が消えたのかもしれないな? きっと、卵はヒヨコになって自分で歩いていったんだ」

「上機嫌だね」

「そうだよ。見ればわかるだろ? なら、帰ってくれ」

「できるなら私の力で解決したかったんだが、そうもいかなくて。話だけでも聞いてくれないか?」


 ジェイムズに困ったような顔をされると、なんとなく、ほっとけない。

 可愛い妹にかまけて、ちょっと友人を放置しすぎてた。近ごろ、釣りにも行ってなかったし。これからは三人ですごせればいい。

 家族と友人にかこまれて、そのへんのどこにでもいる、ごくふつうの青年みたいだ。こういうおだやかな生活にあこがれていた。ずっと……。


 しかし、ジェイムズの次の言葉はワレスを不安にさせた。


「近ごろ、偽造公文書が出まわってるみたいなんだ」

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