第2章 IRISとコーテックス

第8話 半年後

「ふふっ、待たせたね。IRIS所属バーチャルライバー、楠本カイネだ」

「起立!礼!着席!IRIS所属、リスナーの皆さんを担任する平群へぐりみとりです。さて楠本さん、今日はどうして呼ばれたか分かってるわね?」


コメント

:何でだっけ?

:この間の新人学力テスト企画だろ

:楠本が490/500点をたたき出して「平群先生より頭いいんじゃね」のコメントに先生がキレた

:ちなみにローリエは80点


 デビューから半年、私は昼は大学、夜は配信の生活を続けていた。配信中にリアルタイムで流れるコメントにもすっかり慣れたものだ。テレビ番組で視聴者の生の反応がすぐに伝わることは無い。しかし配信においてはリスナーが発するコメントで即座にそれが分かってしまう。それが面白いところでもあり、怖いところでもある。


 さて、先ほど慣れたとは言ったものの、今日はそうも言っていられない。ローリエ以外と初めて1対1のコラボだ。コメントが察した通り、平群先生が私に挑戦状を出したのである。彼女とオンライン通話で打ち合わせたときは驚いた。彼女は本当に教員免許を持っていて、学力テストの問題も作成していたのだ。私はテスト自体は真面目に受けたが、所詮はお遊びの企画なのだからそこまで気にすることでもないように思うのだが。


「どうしてですかね?」

「あら、いい度胸ね。分かってるくせに。貴方と私、IRISでの学力最強がどちらかをここではっきりさせましょう。以前用意させてもらったのは中学レベルの問題。今回は高校レベルの問題を公平を期して外部に作ってもらって、予め解いておいてあるから、ここでは答え合わせと解説になるわ。さあ、はじめましょう」


――1時間後


「ふう、やっぱり結構忘れてたなあ」

「そんな……!」


コメント

:楠本の勝ちか

:ガチのセンター試験レベルで8割軽く超えてるぞ。これで『忘れてた』って……

:平群先生は担当教科の化学だけは勝って意地を見せたな


 私としては特に古典や化学の点数に不満が残る結果だった。大学で全くやらない分野なのでかなり忘れている。年月って怖いなあ……

 そう思っているとスピーカーから耳を覆いたくなる絶叫が響いた。


「……クソがああっ、てめえ、これで終わったと思うなよ!」


コメント

:平群先生キャラ崩壊

:↑ゲーム実況ではいつもこんなんだぞ

:へぐりんかわいそう

:おい新人、へぐりんに謝罪しろ


 コメントに不穏なものが混じり始めた。平群先生のこういう豹変は演技ではないがいわばプロレスで、お互い分かったうえでやっているから本気で喧嘩しているわけではない。しかしリスナーは本気かどうか区別できないことが多いのだ。時にこういったものが炎上のきっかけになることもある。私は対応に迷った、クールな楠本としてのキャラを貫いて平然と受け流すか、あるいは先生を慰めるか……


コメント

三枚堂 勇魚:いい勝負だったなあ。平群先生、あとで一杯やろう

:三枚堂が来てる

:先生はおじさんに慰めてもらうか

:慰める(意味深)

:↑おじさんは妻帯者だぞ

:【悲報】おじさん、浮気疑惑通算10回目


 これは三枚堂さんからの助け舟だ、と私は直感した。私はこれに合わせて二人をフォローしたり茶化したりするなどしつつ少しずつ話題をテストから逸らし、なんとか目立った炎上なく配信を終えることが出来た。後でお礼を言わなければ。







「三枚堂さん、先ほどはありがとうございました」

「んー?俺が何かやったかな?礼を言われるようなことはしてないと思うが」


 飄々とした声とともに彼のアバターが姿を現した。三枚堂さんは厚手の作業着に身を包んだ中年男性のモデリングで、冬でも日に焼けている精悍な顔でにこやかな表情を崩さない。


「そんなこと言って、ライバーはみんな感謝してますよ、配信で困ったときに現れて雰囲気を変えてくれるって」


 私が素直に感謝を伝えると、通話越しに彼が気恥ずかしげに咳払いするのが聞こえる。


「まあ、相方以外初めての奴とサシでやるにはきつい企画だったかもな。お前さん、最近ちょっと焦ってないか?」


 私は彼に聞こえないように小さく溜息をつく。やはりこの人は見抜いていた。この相談はローリエにはちょっとしにくい。ここはお言葉に甘えて、思い切って相談してみよう。

 

「それなんですけど――」


 この半年間で、私は自身のチャンネルの登録者数が10万人を超えるなど客観的に見れば順調な経過をたどっていた。デビューからの10万人突破日数はIRIS史上最速だという。


 しかしその大半は私の実力とは言えなかった。私がIRISのオーディションを受けた頃から比べてこのグループは飛躍的に成長していた。今年に入ったあたりから、ずっと業界トップだった『コーテックス』に肩を並べ、二大ライバー事務所と評されるようになってきている。IRIS全体のファンであるリスナー(通称:箱推し)が増えた結果、新人ライバーの初動が良くなっているのだ。


 もう一つの理由は私のキャラである。いわゆるイケメン女子のキャラ付けにあたるが、これがリスナーの男女双方に受けが良いというのがあった。IRISはライバーの男女混合を最大の特徴としており、視聴者層もほぼ男女均等である。男性視聴者は女性ライバー、女性視聴者は男性ライバーに注目している中で、両取りを狙えるキャラクターデザインを計算しているのだ。

 これは私の戦略の結果とも言えなくもないが、肝心の日々の配信においてはローリエに頼りっぱなしで、とても自分の力で得た気分がしなかった。

 ソロ配信、あるいはほかのライバーとのコラボにおいてはローリエの方が明確に人気を得ている。彼女はゲーム実況や歌配信といったコンテンツを得意としていた。私は過去の子役時代の経験から小説やシチュエーションボイスの朗読配信を独自のものとしていたが、人気は今一つであった。結果として登録者数の割に同時視聴者数が伸び悩んでいたのである。



「つまり得意分野であるはずの演劇の方面で人気がないのが気になるってことか。まあローリエとお前さんのコラボといえば傍から見れば仲睦まじくゲームしてるってとこだからな。それが楽しみのリスナーさんとはかみ合わんかもしれんなあ」

 

 彼は私の相談の要点をとらえ、たちまちのうちに私の自己分析と同じ結論を述べた。私の配信をどのくらい把握しているのだろう。


「お前さん達に限らず、バーチャルライバーに対する需要はゲーム実況と歌に偏ってる。好きなことで人気が出りゃ苦労はしない。特に演技となると、3Dモデルで活動できるまでは厳しいだろうな」


 彼の言うことは一語一句に重いものを感じられ、説得力があった。私の消沈を察したのか、彼はきまりの悪い顔をしてフォローした。


「ちょっときつい言い方になっちまったな。俺もネタ切れで配信できてない身だ。偉そうなことは言えん。」

 

 三枚堂さんまいどう勇魚いさなと言えばリスナーからは「ライバー希少種」「SSレア配信者」と渾名されるほどで、最近IRISを知ったリスナーには彼のソロ配信を見たことのない人も少なくない。

 IRIS創設から間もなく、まだ男性ライバーがほとんどいない時代にデビューし、マグロ漁の経験を語る雑談や魚料理の配信を行う異色の存在であった。その内容から本物の漁師であるとされているが、現在は自らの配信はほとんどなく専らIRISの大型企画の司会役や調整役で知られている。その仕事は裏方にまで及び、こうして若手ライバーの相談役やコラボ配信の仲立ちをしているのだ。

 

「要は演劇に縛られずに活動の幅を広げてみようって話だ。ゲームの中にもお前さんの強みを生かす方法はあるかもしれん。コーテックスに一人合わせてみたいライバーがいる。コラボしてみる気はないか?」


 コーテックスは業界最大手だが、他社のライバーとのコラボレーションを歓迎していることは広く知られていた。しかし所属ライバーが全員女性。その上彼女たちをアイドルとして売り出していることもあり、男女関係の噂が立つ可能性を厳しく遮断しているため、IRISの男性ライバーとのコラボはほぼ無い。三枚堂さんが数少ない例外で、「男女関係ではなく父娘のように見えるから」というのが定説だった。それを単なる共演関係ではなく、人脈にまで昇華しているとは驚くばかりだ。


「それにもう一つ、お前さんの配信見てると、大抵のゲームは下手だが人狼とか頭使う奴は得意そうじゃないか。公式のクイズ企画に出てみないか」


 私は少し考えた。子役時代にはドラマだけでなくタレントとしても活動し、クイズ番組に出た経験もある。もともと演技一本の人間ではないつもりだ。しかしクイズ番組なら東京のスタジオ撮影となる。問題はスケジュールだが……


「お前さん、ローリエとのオフコラボはいつも週末だったよな?平日は忙しいんだろう。このクイズはもともと兼業でライバーやってる参加者が多いから土日に収録するんだ。その点は心配いらん」


 単にアドバイスを貰えれば、と思っていたのにここまでして頂けることに、感謝を通り越して恥ずかしくなるほどだった。私は両件について話を進めることにし、お辞儀をしてお礼を述べた。今のLive2Dの技術ではお辞儀は伝わらないが、気持ちは伝わるだろうか。


「それで、コーテックスのコラボ相手はどなたでしょうか」

「1期生の田中咲。お前さん、もちろん知っているな?」


 その名を聞き、私は思わず背筋を伸ばした。「天性の実況者」とのコラボとは。今の私と釣り合わない相手かもしれないが、コーテックスはそういった上下関係に厳しくないと聞いている。チャンスがあるなら飛び込まない手は無い。私は返す返すお礼を述べ、通話を終了した。




 その後、三枚堂は他の回線に繋ぎ、先程の通話より声を1段小さめにして、囁くように話し始めた。


「クイズ番組の件、彼女は承諾しました。これでいいんですね、永瀬さん――」

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