第4話

 そんな、ある日のことである。


 もうすぐ夏休みだな~なんて思いながら、ゴミ当番をこなしていた。

 前は階段下のあたりに佐々木君と夏美ちゃんがいたよな、なんて思い出しながらなんとなくそっちへ眼をやって、ギョッとした。


 夏美ちゃんがいた。

 佐々木君じゃない、見知らぬ男子生徒と。


 しかも、キスしてる瞬間だった。

 すぐに離れたけどはにかむような綺麗な微笑みで、二人ともほんのりと頬を染めながら見つめあって、物語のハッピーエンドみたいな甘さで身を寄せ合っていた。

 

 なんだそれ、と私は思った。

 普通なら頬を染めて「いいなぁ~」なんて勝手に照れながら、こそこそと立ち去るんだけど。


 頭の中が真っ白になるぐらい驚いたあとで、猛烈に腹が立ってくる。


 なんで、佐々木君にとって特別な子が、佐々木君以外の男子と、キスなんかしてるの?

 それも、佐々木君とこっそり会っている、同じ場所で。

 

 そんなの、おかしい。

 ほんとに、おかしいから。


 形にならない濁った感情がぶわっとふくれあがったところで、夏美ちゃんが私に気づいた。

 目を見開いた後は照れくさそうに一瞬だけ眼を泳がせたけれど、はにかんでふわっと笑う。

 一瞬、怒りを忘れて見惚れてしまったぐらい、本当に綺麗な子だ。


「あ、柚ちゃんだ。柚ちゃんのこと、ハルに聞いてるよ」


 ハルって、佐々木君のことだろうな。

 春斗だから、多分。

 

 私の気持ちなんてお構いなしで、仲よくしてね~なんて、ものすごくフレンドリーなセリフをいただいてしまった。

 それもまた驚きで、どう対応していいかわからないうちに自己紹介が進み「私は一年の御園夏美。ハルと同級生の柚ちゃんのほうが先輩だね」なんて自己紹介も受けてしまった。

 あまりにも朗らかで浮き立つ調子だったから、爆発しそうだった私の汚い感情は猫パンチを喰らったみたいに引っ込んだ。


 なんというか夏美ちゃんは、相手の気持ちなんて関係なくグイグイ自分のペースに持ち込むところが、佐々木君にそっくりだ。

 パーソナルスペースがほとんどない人たち同士だから、わかりあえるのかもしれない。


 憮然。と顔に張り付けたまま黙った私に、夏美ちゃんは隣にいる男子を「彼氏の中井翼君でーす。彼もよろしくね」とナチュラルに紹介してくれた。

 紹介されても、困るのだが。

 そう思う私がおかしいわけではなく、中井君も困った顔でいる。


 だけど夏美ちゃんはとてもうれしそうに「ずっと柚ちゃんに会ってみたかったんだ」なんて笑っている。

 夏美ちゃんは一年生なのに、私よりも背が高くて、スタイルも良くて、性格も明るくてかわいい。


 何一つ、勝てないし、肩を並べることもできない。

 そんなことを思ってしまう自分自身も嫌で、機嫌よく「ハルにね」と言いかけた言葉に、私はかぶせるように口を開く。


「あのさ、佐々木君は、彼とお付き合いしてること、知ってるの?」


 想像以上に低い声になったから私自身も驚いたけど、夏美ちゃんもびっくりしたらしい。大きな目をさらに大きく見開いて、パチパチと愛らしくまたたいた。

 驚いた顔も猛烈に愛らしいってうらやましくて、神様の造作格差に泣きたくなる。

 中井君はといえば、目が泳いであらぬ方向に視線を流しながら、私を見ない努力をしている。


「確かにさ、佐々木君は女の子とつるんでることが多いし、特定の子と付き合ってないように見えるけど。夏美ちゃんは違うから。夏美ちゃんは、ちゃんと佐々木君の特別なのに……」


 その他大勢である、私にはわかる。

 佐々木君は、他人に興味を持っていないから、誰とでも仲良くできるのだ。


 そしてたぶん、誰かの特別にならない人。

 とっくの昔に、誰かの特別になるのを諦めている人。

 しっくりする言い方を探せば、そんな感じだ。


 本気で落ちるつもりはないけど、もしかしたら最後までいっちゃうかも~ってぐらいの、きわどい安心感を楽しめていいよねって、キラキラ女子たちはひどいことを言っていた。

 佐々木君とよくつるんでいる女子たちは残酷なまでに「本命とそれ以外」を区別していて、何をしても本命にならない相手だからちょうどいい感じなのって、平気で笑っていた。


 なんだそれって、私は思ったよ。

 佐々木君は中学に入学する年に親が離婚したから、親父のいる家に帰るのが面倒だから誰か遊んで~みたいなことを言いながら、適当な誰かを捕まえて教室を出ていく背中を思い出してしまった。

 今が寂しくなければいいやって感じで、手のひらでお互いに転がしあうって不毛でしかないから、余計に寂しくなるんじゃないかな。


 あ、なんか、私まで寂しくなってきた。

 そういう傷をなめあう慰め会には、私、一度も呼ばれたことない。

 いや、誘われても行かないけどさ。

 行かないけど、誘いすらないのは寂しいって、もやもやする気持ちになる。


「柚ちゃん? 大丈夫?」


 どんよりと落ち込む私を心配してくれる夏美ちゃんを、まっすぐに見つめてきた。

 美少女なうえに、性格も優しい良い子らしい。

 良い子だってわかっても、八つ当たり気味の言葉がスルリと出てきた。

 自分でもおかしなことを言ってると思うけれど、一度入ったスイッチは簡単にオフにならない。


「佐々木君、ちゃらんぽらんに見えるけど、アレは相手の女の子もありえないから。本気で落ちる気はないって言われて適当に遊ぼうってあしらわれたら、誰だって普通に傷つく。夏美ちゃんにとっては、そんなこと関係ないかもしれないけど、特別な夏美ちゃんまで佐々木君を軽く扱わないでほしい」


 一気に言い切った私に、夏美ちゃんは一瞬だけぽかんとした。

 そしてすぐ「あーっ!」と夏美ちゃんは何かに気がついたように声を上げ、それから小さくうなった。

 どうやら思い当たることがあったらしい。

 そして見る見るうちに表情をやわらげ、うんうんと何度もうなずいて勝手に何かを納得すると、にっこりと笑った。


「そっか。柚ちゃんは、ハルのこと、ちゃんと見てるんだね」


 うふふっと嬉しそうに笑って、そっか~そうなんだ~と何度も一人でうなずいていたけど、キラキラした目で私を見つめながら両手をギュッとつかんできた。

 え、めっちゃ握力が強くて、スッポンみたいに離れない。

 ぶんぶんと激しく上下に揺らされているのもありえない感じで怖いけれど、ものすごくご機嫌な夏美ちゃんも何か変なスイッチが入った予感がして怖い。


「わかった。ちゃんと今日のこと、ハルに言うね。ありがとね、柚ちゃん」


 そして、また今度ゆっくり話そうねーっと朗らかに笑って、中井君と連れ立って嵐のように去っていった。

 いいです、お話の機会はいらないですって言いたかったけど、声にならなかった。

 私は余計なことを言ってしまった自己嫌悪でどんよりしているのに、夏美ちゃんは今にもスキップしそうな軽やかな足取りで、なんだかなぁと思ってしまった。


 なんだかなぁ~本当に何をやってるんだろう、私。

 しょんぼりして一晩落ち込んだ翌日。


 夏美ちゃんは、ちゃんと翼君と付き合ってることを佐々木君に伝えたようだけど、他のことまで盛り盛りで伝えたのだろうか。


 佐々木君から受けたのは、まさかの半殺しの誘いだった。

 おまけに強制連行。

 解せぬ。

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