アストリットの薬草庭園

ことり@つきもも

第1章 そんなの(※結婚)むりだよおおおお!!!

第1話 居場所があるのは幸せ

 秋の穏やかな空気が、その空間に満ちていた。

 王国東部にあるその修道院の中庭には、病人やけが人が集まっていた。

 ほっそりした二十すぎほどの、亜麻色の髪に群青の瞳をした修道女が、ぱたぱたとせわしなくその間を縫って歩いていた。



「修道女アストリット!」


 年かさの女性の声が響く。呼ばれたアストリットは、ぴくりと肩を震わせた。


「はい、なんでしょう」


 皺の寄った威厳のある顔をした修道女が、しずしずと、アストリットに近づいていった。


「もう少しきっちりと歩けませんか。ぱたぱたしっぱなしでは病人やけが人を不安にさせてしまいます」

「申し訳ありません。以後気をつけます」


 アストリットは頭を下げる。この修道女は人に説教することが大好きだ。説教対象になってしまってはかなわない。少し距離をとり、そのままそっと場を離れる。


「アストリット!」


 まだ声が聞こえたが、アストリットは修道院の厨房のなかに逃げ込んでいった。厨房は忙しくはあるが、穏やかで静かな時間が流れている。


 厨房のテーブルの上に、籠が置かれている。オレガノの束が積まれていた。穏やかで大柄の修道女のユリアーネが微笑んでくる。ユリアーネはこの地域でも有数の調剤師であった。


「アストリット、そのオレガノとセージとフェンネルを混ぜて搾り汁を作ってちょうだい」


 棚から乳鉢を持ってきて、オレガノとセージとフェンネルを入れて、ペーストのようにしていく。つんとする良い香りが鼻をくすぐる。乳棒がごろごろと草を粉砕していく音が耳にいい。布に潰したものを入れ、ぎゅうっと別の器にしぼっていく。


「その搾り汁に布を浸します」


 ユリアーネがアストリットの隣にやってきて、布を突っ込んだ。その瞬間、うっかり持っていた搾りかすを床に落としてしまった

 厨房にいた皆が「やだぁ」とクスクスと笑う。急いで皆で搾りかすを拾った。アストリットは少し粗忽そこつだ。


 近辺に医師などめったにおらず、病院など首都あたりにしかない。それゆえ、病を抱えたものや怪我をしたものは、一つの村に一つはある修道院に押し寄せた。自然と修道院は薬局や病院の代わりをせざるを得なくなる。


 オレガノの湿布は頭痛に効く。アストリットはそれを持って、急いで厨房から離れた。


「元気がいいわねえ」


 厨房の修道女たちはまたクスクスと笑った。


「でも、あの子——」


 ユリアーネは余ったセージを腸詰用の壺にしまう。目元が少しかげった。


「ここに長くはいられないかもしれないわね。院長がおっしゃっていたわ。伯父が近々、挨拶にくるみたいよ」

「え? また野菜持って?」


 アストリットの実家は貴族ではあったが、豪農に劣る小さい所領しか持たない。

 父親はアストリットをのために修道院にいれる際、挨拶に野菜と小麦を持ってきた。娘を修道院に入れるとき、普通、貴族ならば土地を寄進するものなのだが。


 アストリットが戻ってきたときの分を残して、ユリアーネは周りにミントを煮出した茶を配る。


「さあ。あの子の伯父は父親に比べて相当な金持ちで、相当なお貴族様みたいよ。ただの挨拶だけだったらいいけどね」


 修道女たちは茶を飲みながら固い表情で頷いた。

 親族の娘が修道院にいるのをいいことに、修道院に金をせびったり、無理やりさらって怪しい宿に売り飛ばすような恐ろしい行為が流行っているからだ。



 未熟であろうと、粗忽であろうと、居場所があるのは幸せだった。


 実家にいる五人の姉たちは、それはもう陰気で鬱屈しており人の悪口が何より大好きだった。

 アストリットは姉たちの犠牲の子羊のようなものだった。

 姉の婚約者においしい晩餐を食べさせるために、部屋に閉じ込められてご飯を抜かれた。木戸に頭をつけて、ごめんなさい、いいこにしてます、と姉たちが婚約者たちと晩餐に興じる音を聞きながら、一晩中謝り通していたこともあった。

 のんびりした父はまったく気づかず、性格の微妙な娘たちにはやく嫁に行ってほしい胃痛持ちの母は、黙認していた。どうにもならなくなって、修道院に来た。


 ここでは毎日ご飯が食べられるし、自分が悪いこと以外では怒られたことがない。理不尽な目に一切遭ったことがない。ヒマさえあれば祈らなければならないことは大変だが、ユリアーネたちから薬草のことを教わるのは楽しかった。


 だというのに。

 どうしてこうなるのだろう。


 アストリットが日陰の部屋で、頭痛のために寝込んでいる老爺の額に湿布を当てていたとき。

 ゆっくり拍手する音が響いた。


「おお。我が姪はまことに慈悲深いな」


 振り向くと、どう考えても悪い人が着るような海老茶色の衣服に身を包み、どう考えても胡散臭い人がかぶるような大きな鳥の羽のついた帽子をつけた、群青の瞳に亜麻色の髪の、極悪そうな中肉中背の中年男が部屋の入り口に立っていた。手袋までしている。とんでもなくいやらしい悪い感じがする。


 出っ腹でハゲが出来ているとはどうも思えない。


「……伯父様」


 伯父は、姪に向かって優しく微笑んだ。


「先ほど院長からゴリ押しで許可をいただいて、お前を引き取る準備が出来た」

「……え」


 心が固まった。周囲のお付きの者がアストリットを連れて行こうとするのを「よい」と伯父は止めた。顔を覗きこまれる。


「大きくなった。美しくなっている。も満足するだろう。本当に良かった」

「……ん?」


 アストリットは目をぱちくりさせた。


 ——これはアレでは。


 親族の娘が修道院にいるのをいいことに、修道院に金をせびったり、無理やりさらって怪しい宿に売り飛ばす——。

 親族はどうあっても、アストリットを不幸にしかしないのだろうか。

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