第6話 迷宮侵入

 縄梯子を慎重に降りて地下迷宮に足を踏み入れる。地に足を着いた瞬間に感じたのは肌寒さ。次いで全く先の見通せない暗闇に生唾を飲み込んだ。


「「……」」


 前後左右、少し動けばそんな感覚も直ぐに消え失せてしまいそうな程の視界不良。頼りになるのは壁に群生して、仄かに光る苔のみ。それすらも気休めになりはしない。


 そこは正しく闇の世界であった。初めて感じるその異様な雰囲気にハヤテは先程の考えを改める。


 ───戦場なんかの比じゃない、ここは戦場あそこなんかよりずっと異常だ。


 無意識に腰に差した刀へと手を伸ばす。それは何に対する警戒か、刀に触れたハヤテ本人でさえよく分かっていなかった。ただ、そうしなければ死んでしまうと直感したのだ。


 しかし、実際のところは何も起こりはしない。まだ迷宮に降り立ってから一歩も進んでいないのだから当たり前の話であった。それでも彼の背中にはじっとりと嫌な汗が流れていた。


 ───さて、どうしたものか。


 入ってすぐに足踏みをする。この暗さでは無闇に先へと進むのも気が引けた。


 ───せめてもう少しマシな光源でもあれば……。


 なんて思考を巡らせていると、突然隣から光が出現した。慌てて視線を向ければマリネシアが予め用意していたであろう松明に火をつけて、それをハヤテに差し出していた。


「噂に聞いてた通りの暗さですね。用意していて良かったです」


「……」


 妙に落ち着き払っているマリネシアにハヤテは自身の過剰な緊張ぶりに気恥しさを覚える。


 毒気を抜かれ、松明を受け取る。松明一つの灯りだけでも相当に視界が広がる。これでようやく少し先の道も見通すことができるようになり、二人は歩き出した。


 道は意外と狭く、前に三人立てばそれ以上は幅の余裕がないだろう。今は2人だから決して歩くのに不自由だという訳では無いが、逆にその余分さが心許ないように思える。


 地下迷宮で気をつけることは多岐にわたるが、それでも特に注意をすることが二つある。それは地下迷宮に無数に潜み、蔓延る、モンスターとトラップの存在だ。


 地下迷宮に秘められた財宝を侵入者から守るように異形の獣モンスター魔窟の悪戯トラップは常に付き纏い、多くの探索者を迷宮から帰らぬ者にしてきた。


「まだ地下1階」だからと、油断することなかれ。熟練の探索者であってもこの階で死ぬことは往々にして有り得る。地下迷宮に於いて、「新人」と「熟練」は大した優位性アドバンテージにはなり得ない。


 ───差し当って注意するべきはモンスターだ。まだ地下迷宮のモンスターに対してどれだけ戦えるかも分からない。そもそも……。


 歩き始めてまだ少し、ハヤテは不意に今更なことを考える。


「お嬢様はモンスターと戦ったことはありますか?」


 隣に並び立つ少女は果たして戦う術を持っているのか、と。無ければそもそもこんなところに来るはずもないのだろうが、確認するまでは分からない。だからハヤテは恐る恐る質問した。


「ありません……けど、戦えますよ。こう見えても組合の訓練講習を首席で卒業して知るんですから」


 対して主人マリネシアの返答はどこか自信ありげだった。


「訓練講習?」


「探索者になるための訓練です。適正によってその内容は変わりますが、私は魔法の才能があったので魔術師の訓練を一年間積みました。なので魔法での援護は任せてください」


「そうでしたか」


 説明を聞いてハヤテは一安心した。


 ───良かった。どうやら俺のご主人はまだマトモな思考を持った人間であったらしい。


 そもそも、地下迷宮などという常人ならば普通は足を踏み入れようとしない場所に嬉々として来てしまっている時点で、頭がイカれているのは変わらないのだが。ハヤテの思考はそこまで至らなかった。


 松明の光のお陰か、ハヤテの足取りは軽くなっていた。それともマリネシアの楽観的すぎる考えにハヤテも思考を犯されてきているのか、定かでは無いがその答え合わせをする為には先に進む他ない。


 まだ、冒険は始まったばかりだ。


 ・

 ・

 ・


 一寸先も見通せない暗闇の中を進んでいく。ゆらゆらと燃える松明に倣って、それに照らされたハヤテとマリネシアの影も揺れた。迷宮に入ってから体感で30分程。慎重な足取りで進むハヤテは違和感を覚えていた。


 ───いくらなんでも何も無さすぎやしないか?


 いくつかの部屋フロア、扉を経由してそれなりに階層の深いところまでハヤテ達は来ていた。それまでモンスターとの遭遇や、罠に引っ掛かる事は全くなかった。まるで肩透かしを食らったように何も起きていないのだ。


 財宝が入った宝箱を見つけるどころか、その宝箱を守っているはずのモンスターとの遭遇がここまで一度もない。それが不自然でならなかった。


 ハヤテはまるで、不用意に獲物が巣の中に入っていてきたことを歓迎するかのように奥へ奥へと招かれているような気分であった。そんなハヤテの所感とは真逆にマリネシアはやはりどこか楽観的であった。


「順調ですね!このままサクッと次の階へと続く道を見つけちゃいましょう!」


「……」


 確かに順調なのは良い事だが、ハヤテとしては早いうちにモンスターとの戦闘を経験しておきたかった。


 別にハヤテはモンスターとの戦闘経験がないという訳では無い。外にも普通にモンスターはいるし、戦場にいた時もよく食料として狩っていた。しかし、迷宮に生息するモンスターと外のソレとは全くの別物だとハヤテは耳にしたことがあった。


 ───外で雑魚と呼ばれるモンスターも迷宮内に於いては侮れない強敵となり得る……。


 全て噂や、誰かから又聞きした話なのでその真意は不明だが、それでもそれらを全て出任せと思えるほどハヤテは楽観的になれなかった。


「───ッ!!」


 そんなことを考えている時だった。前方に生き物の気配を感じ取る。咄嗟にハヤテは息を潜めて臨戦態勢へと入った。


「えっ?どうしたんですか、ハヤテ?」


「……モンスターです、お嬢様」


「っ───モンスター……!?」


 今まで呑気だったマリネシアも流石に気を引き締めて手に握っていた錫杖を構えた。


 少しすると目の前の暗闇が不自然に蠢く。それがモンスターであることは言わずもがな。数は運良く一つ。しかして、その姿をしっかりと視認することは不可能だ。その姿を識別するにはもっと近づく必要がある。


 ───一先ずは様子見……。


 ハヤテは手に持った松明を前に投げ捨て、刀の鯉口を切る。それに伴って鈴の音が凛と鳴った。それを合図のように目の前の影は飛びかかって来た。


「※※※※※※※※!!」


「速いッ……!」


 目を疑うほどの速度で迫る影。ハヤテは反射的に刀を抜いて迫ってくる影を迎撃した。


「───クッ……!!」


 鉄の弾ける音と闇に灯る火花。ほぼ勘で振るったが運良く影の攻撃を弾くことに成功する。しかも松明と微かに宙を灯した火花によって影の正体を突き止めた。


「上で見るよりデカいな……」


 それは丸々とした大きな鼠のようなモンスターだ。外では害獣扱い。ハヤテも何度も殺したことがある。だが目の前の大鼠はハヤテの知るそれではなかった。


「えっ……あっ……ど、どうすれば……!?」


 咄嗟に背後へと目をやればマリネシアが呆然としていた。初めての戦闘に何をしていいのか分からない様子だ。その隙を大鼠は突いてきた。


「グルゥシャァアアアアッ!!」


「ひっ……!?」


 異様に肥大した鼠の前歯、それは迷うことなくマリネシアへと襲いかかった。


「お嬢様ッ!」


 傷を負う。しかし、それはマリネシアでは無くハヤテだ。大鼠の前歯は確かにハヤテの右腹側部を噛みちぎった。ハヤテは最初に命じられた仕事を遂行するべく、マリネシアを庇ったのだ。


「痛っ、てぇ……なぁッ!!」


 思わず、声を荒らげてしまう。それは久しく戦場で味わうことのなかった痛みであった。腹から吹き出た鮮血が松明の火に照らされる。


 ───運が良い。あと少しズレてれば腹の中心から喰われてた。


 不幸中の幸い。大鼠の一噛みは致命的な攻撃には至らなかった。まだハヤテの身体は十全に動く。


「っ、すぅ、ふゥ────」


 浅く、荒だった気を整える呼吸。身体に染み付いた構えはどんな状況下であろうと即座に取れる。

 攻撃に成功した大鼠はその余韻にまだ浸っている。背を向け無防備なその毛むくじゃらな体をハヤテは端目で確かに捉えた。


「───お返しだ」


 一刀。それだけで事足りた。凛と鈴の音が耳朶を打つ。ハヤテの振るった刀は澱みなく大鼠のその太い首を斬った。


「グギャエッ!?」


 間抜けな断末魔。大鼠にとって今の一撃は致命的であり、絶命するには十分。切り離された頭と胴は呆気なく迷宮の暗い地面に堕ちた。


 そこで突然の戦闘は終わりを告げる。刀に付いた血を払い、静かに鞘へと仕舞う。


「……大丈夫ですか、お嬢様?」


 呼吸を整えて、ハヤテは主人の安否を確認する。迷宮で初めてのモンスターとの戦闘は無傷とは行かなかったが、勝利を納めることが出来た。守るべき主人も怪我を負うことは無かった。


「あっ……その、私……ハヤテに……その、怪我……」


 しかし、件のマリネシアは今の戦闘、ハヤテが負った怪我によって錯乱していた。今にも自責の念で押しつぶされてしまいそうな彼女は落ち着きを取り戻す気配は無い。


 ───これ以上は無理だ。


 ハヤテは直ぐに判断する。そして、マリネシアを気遣って優しく声をかけた。


「お嬢様、俺は大丈夫です。モンスターも倒すことは出来ました。今日はもう上に帰りましょう」


「う、うん……」


 素直に頷いたマリネシアを見て、ハヤテは簡易的ではあるが腹の傷を手当する。と、言っても清潔な布を適当に服の上から巻き付けるだけの本当に雑なものだったが、それでも何もしないよりはマジであった。


「立てますか?」


「……む、無理です。力が入りません……」


「分かりました。肩、失礼しますね」


 完全に腰が抜けてしまい一人で立つことが出来ないマリネシアをハヤテは支えて立たせてやる。


「さ、帰りましょう」


「は、はい」


 不安にさせないように努めて明るく声をかけて、ハヤテはゆっくりと歩き出す。幸いにも来た道は覚えていた。


 ───問題なく帰れはする。


 そう確信して、ハヤテとマリネシアは来た道を戻ろうとした瞬間だった。


「グルゥシャァ……」


 随分と記憶に新しい獣の鳴き声をハヤテは聞き逃さない。


「まさか……」


 一瞬にして脳裏には嫌な予感が駆け巡る。しかして、その予感は的中する。


 少し先の暗闇に蠢く影は全部で三つ。そいつらは気味の悪い足音を立てながら松明の光が届く範囲まで迫ってくる。それが先程倒した大鼠と同じモンスターだと分かった。


 ───これが迷宮の悪意……か。


 ハヤテはどこかで聴いた謳い文句を思い出す。状況は最悪だった。

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