第2話 トラ模様の猫と彼女

 奈良市の中央玄関とも言える近鉄西大寺駅から京都線で一駅。

 平城へいじょうという駅前にある古びた小さなアパートの二階の端が僕の部屋だ。

 誰かが階段を降りて行くと少しこのアパートが揺れるような気がする。そんなことはきっとないのだろうが、それくらい古い建物ということなんだよな。


 僕は、音を立てないように静かに階段を降りて行く。

 駅前に唯一ある小さな商店に行くついでにここら辺を散策してみようと思ったのだ。

 アパートの窓から少しだけ見えた満開の桜並木ってどっちに行けばいいんだろうか?そう思いながら僕は五差路の斜め右に伸びる小さな路地を登って行く。


 年季の入った電信柱に、「ここは山陵町一丁目」というさび付いたプレートが付いている。ここ平城駅の一帯は、山陵町みささぎちょうというらしい。 


 僕は、スマホの地図アプリを立ちあげる。


「なるほどね…」


 地図アプリには、大小併せて幾つもの古墳らしき姿が描かれていた。

 古代の天皇か豪族の墓が多いから山陵みささぎというのだろうか。僕は、大きな古墳の堀に沿って続いてる路地を登って行く。


「ん?猫?」


 目をこらすと少し先の石段の上にトラ模様の少し大きな猫が立ち姿で僕を見ている。背中がしゃきっと伸びていて、二足で立っているような姿がとても愛らしい。僕は、実家にいる二匹の猫を思い出した。


「にやぁっ〜〜〜〜」


 ちょっと声のトーンを落としていうのがコツなんだ。

 ほら、トラ模様の猫が僕の方へ向かって歩いて来た。澄んだ瞳をしていて、よく見るととても綺麗な猫だ。

 人に慣れているようだからきっと飼い猫なんだろうな。


 その猫があと少しで僕の足に尻尾が触れるところまで来た時、急に「ミーナおいで」という声が木々が鬱そうに茂った古墳の中から聞こえたような気がした。


「まさか…!?あっ!」


 その声を聞くな否やミーナという猫は一目散にその声の方へ向かって駆けていってしまった。

 僕も咄嗟にミーナと呼ばれた猫を追いかけて走っていく。


「おーい、待ってってば!!」


 だが、僕の声を無視してミーナはさらにスピードを上げて走って行く。

 そして、緩いカーブのところで、路地脇に生えたセイタカアワダチソウを大ジャンプで超え、前方後円墳の中へ入っていったように見えた。そして、なにかの合図なのだろうか、太く大きな声で「にゃぁ〜」と鳴いた。

 

 ここ最近の運動不足からか、ほんの少し登り坂を走っただけなのに僕は両手を膝に沿えて「はぁはぁ」と苦しそうな息をしてしまう。


 漸く息が落ち着いてきた僕は、ゆっくりと顔を上げるとそこには、不思議そうな顔で僕を見つめる可憐な女性がいた。


 昨日僕に八朔をくれた女性がミーナを抱き上げ、頭をくしゃくしゃっと撫でている。

 

 僕は、夢を見ているのだろうか…。

 いや、疲れて息が上がっている自分の姿は紛れもない現実だ。


「こんにちは。昨日は八朔をありがとう。とても美味しかった…よ」

 

 僕は彼女に近づくと彼女の腕の中にいるミーナの耳を触る。

 はっと我に返った時にはもう遅かった。


 近づきすぎたかもしれない…。

 

 そう思うと僕の鼓動はさらにスピードを上げドキドキを刻んでいく。

 そんな僕の気持ちなど全く意に返さず彼女はずっとミーナの背中を触っている。だが、僕が耳を執拗に触ってたことが嫌だったようで、ミーナは僕の方を向いて抗議の声を出すと、彼女の腕から飛び降りどこかへ消えて行った。


「あ〜、もう」


 彼女は、ちょっと残念な声を上げた。


「ご、ごめん!」


 僕は、頭を下げて平謝りする。


「いいよ。だって猫なんだもん。ツンデレなのはしょうがないし」


 たったその言葉だけなのに、彼女の声のトーンが僕にはとても心地よかった。

 それに、ミーナが消えてちょっと残念という表情がとても可愛くて、ずっと僕は彼女から目を離せないでいた。


「じゃあ、私、用事があるので。さよなら」


 僕の視線に気づいたからだろうか…。

 彼女は、急に僕に別れを告げると、アパートとは反対方向に向かって足を引きづるようにして歩いていく。

 僕は、さよならも言えぬままそんな彼女の後ろ姿をただずっと見ていた。



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