異世界のロターリオ〜帝国再建記

猫海士ゲル

序章

第1話 白き戦闘メイド

 それは日本刀だった。

 晩秋の青白い月光を照り返す刀身とうしんが、粘着性の真っ赤な体液を浴びながら冷たくわらっていた。


 下校途中の通学路で俺は声を上げることすら出来ず──出来るわけがないだろう。白銀色のツインテールで、色白で、同い年くらいのメイドは返り血を浴びながら「ごきげんよう、皇子おうじさま」と薄ら笑いで手を伸ばしてきたのだ。



 皇子おうじ



 いったい、誰のことを言っている。

 俺は星野ほしの李生りおだ。一般的サラリーマン家庭である星野家の一人息子だ。


 父さんは個人商店の小さな会社に経理マンとして雇われている電卓が友達の暗いおっさんだし、母さんは庶民的アパートの一室で日がな一日家事に追われる典型的専業主婦だ。


 そんな両親からは普通に「李生りお」と名前で呼ばれ、俺がぼっち生活を堪能しているクラスの知り合いからは普通に「星野ほしの」と苗字で呼ばれる。なんの変哲もない、どこにでもある県立高校に通う普通の高校生のはずだ。


 コミカルなアニメによくある絶大な権力をもつ生徒会やら会長選挙をめぐる陰謀とも関係ない。関係したくもない。


 ラブコメ青春グラフティな部活だってやってない──毎日を怠惰に過ごしてひとり帰宅する。そんな『モブ的通りすがり人』として気楽な日々を謳歌する一介の高校生だ。


 ややこしい生き様とは無縁でいたい人間なのだ。



 いやいや、そんなことよりメイドだよ。メ・イ・ド!

 中世のヨーロッパを舞台にした物語ではお馴染みの、白いエプロン姿が眩しいあのメイドさんだよ。


 それが電光石火の早業で正体不明のモンスターを一刀両断にしやがった。





 ごく一般的な地方都市の夕暮れ。

 家路に急ぐ俺を突然正体不明のモンスターが襲ったのだ。モンスターだよ、見間違いなんかじゃないぞ。


 そいつはゴミを漁りにきた野犬でもなければ、人里に迷い出たイノシシでもない。ゴリラのような体格で、真っ黒い毛むくじゃらの、見たこともない生き物だった。


 大きく開いた口の中は、軟体動物のように蠢く赤い舌と杭のように鋭い牙が垣間見えた。

 どこぞのマッドサイエンティストが研究室で創り出したような、この世のものと思えない奇怪な姿をしていた。


 そんな凶暴粗暴な魑魅魍魎を可憐な姿貌の少女が一瞬で血だるまにしたのだ。


 いまどきラノベでもありえないだろう、こんなチープな展開は──とても現実とはおもえなかった!



「わぁぁぁぁぁぁッ!」



 俺は気合いをいれると、走った。

 メイドとは逆の方向に──つまり逃げたッ!


 当たり前だ。冗談じゃない。

 こんな頭のオカシイ状況にかまっていられるもんか。


 きっとこれは夢なんだ。俺は頭のオカシイ夢をみているんだ。

 受験勉強疲れだろうか……いやいや、まだ2年だぞ。ガリ勉なんてしてない。

 母さんが五月蠅うるさいから国立推薦レベルはキープ出来るよう気をつけているが無理な勉強はしていない。


「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」


 襲われた現場からほど近い住宅地を一気に駆け抜け、コンビニとその隣にある酒屋の細道をすり抜け、ひたすら悲鳴をあげ続けた。


 そして、あることに気づいた。


「なんで誰もいないんだ」


 あらためて足を止め振り返る。

 色味の落ちた無彩色の町並みは俺の知る風景と違ってみえた。


 頭のおかしいメイドは追ってこないようだ。

 胸を撫で下ろす、と同時に突然耳に飛び込む雑踏音──色味が戻った世界に人の気配を感じて心臓が跳ねた。


 慌てて周囲を見まわした。


 コンビニ袋をぶら下げた大学生風の男や塾通いの小学生。一升瓶を小脇に抱えたおっさんがニタニタとしまらない笑顔で酒屋から出てくる。


「なんだ、いつもの光景じゃないか」

 

 再び胸に手をあてた。

 ため息ひとつ。額から流れ落ちる冷や汗をぬぐおうとハンカチを取り出す。

 ポケットから見知らぬメモ書きが落ちた。



 ──お早いお帰りを


 丸っこい字で、それだけが書かれていた。

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