第五話 ギャル系女子と親近感

 今日から五月。

 

 学校の敷地内にある桜が一気に花開いている。 

 この感じだと連休明けには満開になっているか、天候次第では散り始めているかもしれない。

 市街地では二週間ほど前に散ってしまったソメイヨシノだが、この辺りは今の時期に咲いているのだ。

 誕生日の頃に好きな花を見ることが出来るというのは嬉しいが、桜の開花がこの時期なんて……冬の寒さが気になるところだ。


 

 今日は通常の授業はなく、体力測定が行われる。一年生は昼前には終わる予定ということなので、汐緒うしおはお弁当を持たず、代わりに水筒と麦茶のペットボトルを持って登校した。


  

 体力測定はスムーズに進んでいったが、汐緒は五十メートル走の測定をした直後、へたり込んだ。

 どちらかといえば短距離走は得意だ。いつもなら女子の平均タイムよりも速く走ることが出来る。だが、今日は途中でとても息苦しくなってしまい、思うように走れなかった。


 運動不足だろうか。でも体育の授業はちゃんと参加してるはず……いや、体育の授業だけでは不十分なのかもしれない。


 地面に倒れそうな体勢で肩で息をする。なかなか息が整わない。


  

六条松ろくじょうまつさん! どうしたの、大丈夫?」

 阿佐谷明希あさや あきが駆け寄ってきた。同じクラスの男子生徒だ。

 

 汐緒は必死に呼吸をしながら、大丈夫だから気にしないで、とひらひら手を振って応えた。

 だが、彼は心配そうな表情で、本当に大丈夫なのかと狼狽えたままで落ち着かない。

 汐緒もなんだか落ち着かない気分になってきた。


 阿佐谷明希は、汐緒よりも頭ひとつ分くらい背が高い。たぶんネオンと同じか少し高いくらいだろう。学校指定のスポーツウェアがよく似合っている。

 短めにカットされた髪は、少しクセのある髪質を活かし、あえて無造作に見えるように整えられていて、彼の雰囲気によく似合っていた。

 太陽に照らされると橙色にも見える、明るめの茶色に染めた髪。違和感がないのは、アイドルにもなれそうな程の整った顔立ちだからというのもあるが、生まれつき肌の色が白いのと、瞳の色が橙色にも見える明るめの茶色だからだろう。

 

 彼は誰に対しても分け隔てなく接する性分のようで、友達作りがあまり得意ではなさそうなクラスメイトにも、普段から気安く声をかけている。

 どうやら最寄りのバス停が汐緒と同じらしく、登校途中で会うことも多いのだが、その時も汐緒に挨拶や軽い世間話をしてくるのだ。

 

 男子たちとバカ話をしたり、ふざけては教員やクラス委員長に嗜められていたりと、少々騒がしいところもあるが、人懐こく愛嬌があり、明希という名前の通り明朗快活な少年は、入学した翌週にはクラスの中心人物になっていた。


  

 入学時から、どことなく感じていたことだが、阿佐谷明希になんとなく引っかかるものがある。

 そう、昨日ネオンを家の門の前で見た時感じたものに、近い──いや、近くない。どちらかというと異なるもの。なんだろうこれは……。


 

「どうしたの?」

 ふたりに声をかけてきた女子生徒に、阿佐谷明希は縋りついた。

「ゆっぺ! 六条松さんの様子見てあげて」

「いい加減に『ゆっぺ』って呼ぶのやめてって言ってるでしょ」

 

『ゆっぺ』と呼ばれた同じクラスのかすみ木綿ゆうは、汐緒の顔を覗きこんだ。

 なんだか申し訳ない。思わず俯いてしまう。

 

 霞木綿は阿佐谷明希と一緒に登校している姿をよく見かける。しかも「アキ」「ゆっぺ」と呼び合っているのだ。

 かなり親しい友人……いや、それ以上の関係かもしれない。

 余計な誤解はされたくないと汐緒は強く思った。

 

「大丈夫、だから……ちょっと、バテちゃったみたい、だから……」

「標高が高いから、ここで全力で走るとキツイよね。あっち行って休も?」

 霞木綿が手のひらで示した先には、数名の生徒が休んでいる。

 ちょうど桜の木の影になっていて、各自持参した飲み物やタオル置き場となっている場所だ。


 汐緒は頷くと、ゆっくりと立ち上がる。

「本当に大丈夫?」

 眉を下げ心配する阿佐谷明希に、ありがとう大丈夫、と汐緒は応えた。そう言えるだけ回復したのだと自分でも気づく。

 

「ちょっと様子見て、おかしかったら私が保健室連れてくから」

 霞木綿がそう言うと、彼はやっと安心したようだった。


 

 霞さんも、なんか、違うんだよね……

 

 歩きながら汐緒は霞木綿を見た。

 彼女にもなんとなく引っかかるものを感じるのだが、どちらかと言うと、ネオンとも阿佐谷明希ともちょっと違うような、そんな感じだ。


 

 霞木綿は、遠くからでも美人だとわかる目鼻立ちをしている。いわゆる華やか系美人。

 

 身長は汐緒よりほんの少し高いくらいなので、それほど高いわけではない。むしろ低い方なのだが、背が低く見えない。

 しかも、スポーツウェアを着ていてもはっきりとわかるスタイルの良さ。

 サラサラの長い髪を明るめのハニーベージュに染めていて、今日はポニーテールに結っている。元々色白なのと、瞳の色がライトブラウンのようなライトグリーンのような不思議な色をしているため、その髪色は彼女によく似合っていた。

 

(ヘーゼルアイだよね。初めて見た。なんて綺麗な……)

 

 霞木綿と目が合った汐緒は、そのまま見惚れてしまいそうになり、慌てて目を逸らした。


 

 霞という雅な雰囲気の比較的珍しい苗字。

 木綿と書いて『ゆう』と読む、古風な名前。

 そして、不思議な色の瞳。

 

 汐緒は、密かに霞木綿に対して親近感のようなものを抱いている。

 苗字や瞳の色もそうなのだが、それだけではない。でも、それが何なのか、汐緒にはよくわからなかった。

 言葉で表すとしたら『なんとなく』としか言いようがない。そういう、ふんわりとした感覚なのだ。



 ふたりが木陰に着くと「木綿ゆう、六条松さん、おつかれー」と声をかけられた。

 クラス副委員長の方南ほうなみあや芽あやめだ。

 

「六条松さん、ちょっとバテちゃったみたいで……」

 木綿がそう言うと、方南あや芽は「大丈夫?」と汐緒に声をかけた。

 頷くと、隣に座るよう促されたので腰を下ろす。



 方南あや芽は、いかにもギャルという見た目をしているが、気さくで面倒見が良い。クラス内では頼れる姉御という立ち位置を確立しつつある。

 

 普段は丁寧にブローされたサラサラの髪をおろしているため、慣れないポニーテールが気になるようで、肩にかかるミルクティー色の毛先を払った。

 

「ここ標高九百超えてるからなー。あたしら地元民でも走るとキツかったりするよ。六条松さん東京から来たんでしょ? すげーキツイと思う」

 

 汐緒は瞬きをした。

 入学直後のホームルームでの自己紹介の時、さらっと東京出身だと言っただけなのに、さすが副委員長に自ら立候補しただけある。よく覚えているなぁと汐緒は感心した。

 

 この学校は県外から入学する生徒も多いのだ。東京出身者も汐緒だけではない。


  

「六条松さん、寮に入ってないよね。下宿? ひとり暮らし?」

 そう言ったのは、淡路雪乃あわじ ゆきのだ。神奈川県川﨑市出身で、寮に入っている。

 

 寮では色々なイベントが行われているため、寮生は学年やクラス関係なく全員顔見知りのようなものなのだ。

 

 淡路雪乃は、汐緒と同じくひとりで行動していることが多い。

 この高校の制服は、スカートとスラックスどちらも選べるのだが、淡路雪乃はいつもスラックスを着用している。

 凛とした孤高の騎士のような雰囲気を纏い、背が高く姿勢も良いため、入学して間もない頃は一部の女子から「カッコイイ」「イケメン」と騒がれていた。女子校だったら王子様扱いされていたことだろう。

 肩につくくらいの長さの茶色い髪を、今日は後ろでひとつにまとめている。


  

「ううん。父が祖父……おじいちゃんの仕事を継いだから、引っ越して来たの」

 

 クラスメイトとの会話なのに『祖父』なんて、ちょっと堅苦しいかなと思い、汐緒は言い直した。

 

 実は『おじいちゃん』こと六条松ろくじょうまつ大地だいちと、汐緒の父タツの間に血の繋がりはない。

 

 タツは学費を出してもらう代わりに例の仕事や診療所を継ぐ、ということを条件に大地と養子縁組したのだが、ここでは言わなくても良い情報だ。

 家業を継ぐために引っ越してきたと言うと、Uターンしてきたように聞こえるが、タツは東京生まれの東京育ち。高校と大学時代は信州で生活していたが、卒業後は東京へ戻った。

 この場合、Uターンと言っていいのか迷うところだし、タツはいつの頃からか東京・長野市・松本市の三拠点生活をしており、今回の引っ越しはタツの主拠点を東京から長野市へ移しただけなのだ。

 しかし、ちょっとややこしい話だからカット。

 おじいちゃんが亡くなったことも言う必要は無いよね。空気重くなるし。

 

 汐緒は話を大幅に省略していた。嘘はついていない。


  

「そっかー。もう信州こっちの生活には慣れた?」

「うーん……どうだろう。朝晩寒いし、昼間との寒暖差がつらい、かな」

「それはあたしらもだよー!」

「昨日の朝なんて、ストーブつけてたよ! 寒いもんは寒い!」

 方南あや芽と木綿はきゃっきゃと笑った。

 淡路雪乃もつられて笑っている。


 

 ぼんやりと彼女たちを見ながら、汐緒は考えていた。入学時から、うっすらと思っていたことだ。


  

 彼らはどこにでもいる普通の高校生にしか見えない。

 しかし、纏う空気というか、実際に匂いはしないが、イメージ的な意味での『匂い』が違うのだ。

 そういう微妙に引っかかる生徒や教職員がこの学校には多く、その引っかかり具合も個人差がある。この感じはなんだろう。


 

 あの父と母の母校でもあるし、この学校ってもしかしたら……

 いや、いくらなんでもそれはないよね。人間と人外の間に生まれた子たちが、そうあちらこちらにゴロゴロいるものだろうか……


 いや、いるかもしれない。

 三界条約なんてあるくらいだ。

 駒込の家の近くにある管理局が所有する施設にも、身寄りがない『人外と人間の間に生まれた子』が暮らしていたこともあったのだし。

 

 

 しかし、もし仮にそうだとしたら、わざわざ集める理由でもあるのだろうか。


  

 天使も悪魔も、今、この世のなかでは空想上のものだとされている存在だ。

 

 タツも七海も「天使のことも悪魔のことも、外では絶対言っちゃダメだよ。秘密だよ。絶対に誰にも教えてはいけないよ」と、ずっと汐緒に言い聞かせていた。

 もちろん汐緒は誰にもその秘密を明かしたことはない。

 誰かに言ったところでそんな話を信じてくれるとは思えない。子供ながらそう思っていたからだ。

 天使や悪魔の存在を証明出来る手段が汐緒自身には無い、というのもある。


 

「ねえねえ、六条松さん、汐緒って呼んでもいい?」

 

 方南あや芽に腕をつんつんと突っつかれて、汐緒は意識を戻した。

 

「えっ……あ、うん、いいよ」

 断る理由は、これと言ってない。

 

「良かったー。あたしのことも、あや芽でもアヤでもあやっちでも好きに呼んで」

「……じゃあ、えっと、あや芽ちゃん?」

「ひゃー! めたかわいいー!」

 今のやりとりの、どこにかわいいと騒ぐ要素があるのか汐緒にはわからないが、あや芽が楽しそうなので汐緒は気にしないことにした。


  

 あや芽たちの一見派手な見た目と人懐こさから、中学時代なにかと気にかけてくれたギャル系の子たちを思い出す。

 

 彼女たちからは断りもなく「汐緒」と名前を呼び捨てにされていた。「苗字長いんだもん」と言って。

 

 制服を大胆に着崩したりアレンジしているため教師に注意されていた彼女たち。

「はーい」と口だけの返事をしたその唇はほんのりと色づいていて、メイクするなと言われれば「薬用リップでーす」と言って先生たちに呆れられていたっけ。

『肩につく髪は結ぶこと』という校則を破り、時間をかけてブローしたロングヘアを風に靡かせていた。

 

 一見派手な雰囲気を纏っていた彼女たちは、見方によっては悪い子なのかもしれないが、性格は悪くなかったのだ。

 陰口をたたくよりも、正々堂々と正面切って言いたいことを言うような子たちだった。

 言葉遣いが悪く、はっきりものを言う一方で、裏表がないために一部の女生徒たちからある意味、信頼されていたように思う。

 

 仲の良い者同士で班を作って行動するような行事のときや授業などに、ひとりでぽつんとしている子がいると、必ず声をかけていた。

 汐緒もいつも声をかけられていた側だ。

 しかし、それ以外の時は一緒に行動を共にするわけでも、一緒に給食を摂るというわけでもなかった。連絡先も交換していない。


 彼女たちの進学先には心当たりがあるが、彼女たちの方は汐緒の進学先すら知らないはずだ。

 もしかしたら、引っ越したことくらいは噂で知っているかもしれないが。


  

 本当は、彼女たちともっと親密な関係になれたかもしれない。


 

 汐緒は着ているスポーツウェアの袖口を摘んだ。


 

 でも、やっぱりこわいよ。

 誰かと特別に仲良くなるのは。


 

 それに……


 グラウンドでふざけて走り回る男子生徒たちをぼんやりと眺める。


 

 私はひっそりと隅に居たい。

 

 目立つと色々な面倒ごとを引き寄せてしまうものだから。 



 

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