第9話


「ねえ、雪寝」

「悪寒。笑顔が怖い」

「相変わらず失礼だなあ。また私と試合したいの?」

「前言撤回。素敵な笑顔」

「ありがと」


雪寝とは本当に仲が悪い訳じゃない…と思う。私と試合したくないのは本当だろうけど、こういうやり取りはただの恒例だ。洋画でよくある挨拶代わりの軽いジョークに等しい。


「最近、拓翔が忙しそうだと思わない?」

「同意。1年に構い過ぎ」

「そうだよね! 雪寝ならわかってくれると思ってた!」


雪寝は口を硬く結んでむっとする。よっぽど気に入らないらしい。良かった、同士が見つかった。後は計画に協力させるだけだ。


「だからね、私。拓翔を休ませてあげたいんだ」

「名案」

「雪寝も協力してくれる?」

「承知。何すればいい?」


チョロいものだ。


「1年を拓翔から遠ざけて早く帰らせてあげればいいだけだよ」


家に帰れば拓翔に会えるのは近所に住む私だけ。雪寝も含めて私たちを邪魔することは出来なくなる。私が1年の相手をしてもいいのだけど、それだと拓翔にバレた時怒られそうだし、たまたま二人とも早く家に帰るという運命感を演出できない。


「成程。分かった。任せて」


雪寝は意気込んでどこかへ行った。…なにもかも順調なはずなのにどうにも落ち着かない。上手く行き過ぎたせいかな? 私は湧き上がる嫌な予感を押さえつけて、上手くいってると自分に言い聞かせた。


――――――――――――――――――――


「雪寝、どうしたんだ?」


雪寝は休憩時間の度に俺の傍に来て周りを見張っている。何か構ってほしいのかと思い、声をかけても一切反応してくれない。


「監督。今日の部活後なんだけど「駄目」


相談に来た風間を雪寝がブロックして近づけさせない。随分可愛らしいボディガードだな。


「意味わかんないんだけど」

「駄目。監督は忙しい」

「そんなのあんたが決めることじゃないでしょ」

「警告。これ以上続けるなら後輩でも容赦しない」


風間は雪寝を無視して避けようとしたが再び雪寝に阻止された。


「いいからどいてくれない?」

「駄目。どっか行って」


風間の眉間に皺が寄っていく。本当に苛ついているな。そろそろ仲裁するか。明日佳との喧嘩とは違って、雪寝との喧嘩は穏やかな気持ちで眺められた。そのせいでどうにも間に入るのが遅くなってしまった。


「風間。後で話そう」

「ちっ…」


俺や雪寝に聞こえるくらい大きな舌打ちをして風間は戻っていった。風間には悪いが、俺は雪寝を優先した。雪寝には独自のロジックがある。決して無意味な行動ではないはずだ。


「雪寝」


相変わらず返事はない。ボディガードみたいに両手を広げて周りを見渡している。


「今日の放課後、俺と練習するか?」


やっと反応してくれた。凄い勢いで振り向いて来て、目を輝かせる。


「賛成。大賛成」

「よし、それじゃあそろそろ休憩も終わるから戻るんだ」

「約束」

「ああ、約束だ。ほら。さっさと行ってこい。遅れるぞ」


雪寝はこくりと頷いて走り出した。この前、1年にばかり構い過ぎだと不満を漏らしていたし、寂しかったのだろう。正レギュラーの3人 明日佳、長津、雪寝はもう方向性が完全に決定している。それに比べて1年はまだ試行錯誤の段階だからどうしてもあいつらに時間を割いてしまう。尤もそんなのはプレイヤーを不安にさせてしまった言い訳にはならない。メンタル面のサポートもトレーナーの立派な仕事だ。


「…まだまだ俺も未熟だな」


さて、それじゃあこの仕事は家に帰ってからすることにして、今は放課後の雪寝のための練習を考えるか…。


――――――――――――――――


「あいつ、意味分からんやろ?」


おかっぱチビに邪魔されて練習場に戻るとデカい関西弁の男が卑しい笑みを浮かべて絡んできた。


「そう思うならどうにかしろよ。同じ学年だろ」

「できるもんならとっくにしとるわ」

「…あんた、正レギュラーの人だよね」

「そうや。正レギュラー2位 長津薫、よろしくな。問題児」

「自分は名乗っておいて人のことは渾名かよ」

「後輩のくせに敬語一つもつかえん奴は問題児で充分やろ」

「ここは実力主義だって聞いたけど?」

「はははははは! お前、初日であんな恥かいてまだ懲りてないんかい! はー! お前、やっぱめっちゃおもろいわ。あははははは!」


デカブツは腹を抱えて大爆笑を続ける。……笑いがあまりに長いのでいい加減ムカついて来た。…蹴っ飛ばしてやろうか。


「やめときや。お前じゃあ俺には勝てん」

「本当に自信があるならそんな忠告しないでしょ」

「俺優しいねん」


ちょうどその時、休憩終了の笛が響いた。どうやら次の練習ではこのデカブツと同じらしい。


「…ごちゃごちゃ口で言い合うのは柄じゃない、試合ではっきりさせよ」

「あーあ。やめとけ、言うたったのに…。挑まれたなら叩き潰すしかないやん」

「負けたら敬語でも何でも使ってやるよ」

「ホンマか、じゃあ負けたら俺と話すときはお嬢様口調で話してくれ」

「あんたが負けたら?」

「何でもしたるで」

「じゃあ四季明日佳に喧嘩売ってよ」

「おぉ…、痺れる条件出すやんけ。ええぞ。どうせ負けへんし」


俺たちは部活後に試合の約束だけして練習を始めた。桐島はこいつに負けたらしい。つまり俺が勝てばこいつにも桐島にも吠え面かかせられるってことになる。……これは絶対に負けられないな。








「ほれ、ジュースや」

「………………」

「礼くらい言わんかい」

「……ありがとございます」

「ちゃうやろ!」


長津先輩が差し出してきたジュースを引っこめる。そして薄汚い笑みと視線を俺に向けて、促してくる。


「ありがとうございます………ですわ」

「え? なんて? 聞こえへんかった」

「ありがとうございますですわ!」

「ふひゃはははは! 最高! マジでおもろい! 超似合っとるで! ひーっ! 腹痛いわ」


やっとジュースが渡された。クソが…! いつか絶対復讐してやる…!


「さて、冗談はさておき…。なかなかスタイルが変わっとったな。拓翔さんの入れ知恵か? ちょっと焦ったで」

「…今日、監督と話せればもっと形になってた…ですわ」


視線の先では監督が例のおかっぱチビにマンツーマンで指導している。おかっぱチビは基本的に表情が変わらないけどなぜか楽しそうに見える。


「おい、雑に『ですわ』つけんな。もっと考えてお嬢様口調で話せ」

「ちっ…」

「お嬢様は舌打ちなんかせえへんぞ。お嬢様舐めんなや」


俺は言いようのない怒りをなんとか呑み込む。弱い俺が悪い…。そうだ、全て負けた俺のせいだ…。この場は従うしかない………その代わり強くなったら覚えとけよ。


「あんた…あなたたちは監督とどんな関係……なんですの?」

「ん? 俺たちって俺と雪寝のことか? そうやなあ…。一言で言うのはムズイわ」


長津先輩は監督とおかっぱチビを見ながら遠い目になった。そしてぽつりぽつりと去年のことを話し出す。


「俺も雪寝もあんま部になじめてなくてなあ。ほら、雪寝はアホで視野狭いから周りに迷惑かけまくるし、俺は俺で周りをバカばっかと見下しとるトコあるから友人なんかおらんくて、部活中はいつも肩身の狭い思いしとった」


「でも俺は別にそれで良かったんよな。むしろそういうのを変に気にするヤツが哀れみで俺に構おうとしてくる方がダルかった」


「拓翔さんもその手のヤツかと思ったらただファンタジアのアドバイスするだけやねん。雪寝には練習中に周りに迷惑をかけない方法も教えたみたいやけど、俺にはホンマ技術とか練習の話しかせんかった」


「上手く言えんけど、それが嬉しかったんよな。ありのままの自分を否定しないでくれたみたいで」


「それになあ。アドバイスもいちいち的確で、拓翔さんに話しかけられるだけで強くなれるような気がしたくらいやったわ。おかげですぐに俺と雪寝は強くなった」


「とはいえ別に部に馴染んだワケやないから、余計にやっかみ買って陰口とか叩かれまくってなぁ。流石に居心地悪なってどうしよか思てたところで拓翔さんがミーティングで一言、『ウチでは強い奴が偉い』」


「そしたら俺たちに不満をいう奴はピタリとおらんくなった。いや、少しはおったけどそういう奴らは俺たちから試合申し込んで黙らせた。分かるか? あの人は俺たちに息苦しい生き方を強制せず、暴れさせてくれた。自分を変えるんじゃなくて、強くなることで居場所を創っていいんだと示してくれた」


「…ま、その後、調子に乗り過ぎた俺たちは明日佳さんに喧嘩売って、えらい目に遭って結局丸くなったけどな」


長津先輩はジュースを口に流しこむことでその話しを誤魔化した。あまり思い出したい内容ではないようだ。…色んな意味で気になる話題だったが突っ込むと藪蛇な気がしたので止めた。


「ウチは巷じゃあ行き過ぎた実力主義なんて批判されとる。プレイヤーを駒としか考えない残酷な学校だってな。でも、そんな残酷な実力主義でこそ輝ける俺たちみたいな奴らもおる」


長津先輩はやっとこっちを見た。先ほどよりは少しだけ尊敬できそうな人間の顔をしている。


「俺の見立てではお前も同類や。期待しとるで、風間」


それだけ言うとおもむろに立ち上がって、こっちも見ずに手を振って練習場から出て行く。残された俺は監督とおかっぱチビ…もとい雪寝先輩の練習をもう少し眺めてから帰ることにした。



――――――――――――――――――――


「いいかんじだな、雪寝」

「当然。抜かりはない」

「魔弾にも磨きかかってるし、弱点だった近接戦も上手くなってる。苦手な身体能力強化を真面目に練習した成果が出てるぞ」


雪寝は誇らしげに大きく鼻息を吐いた。雪寝は表情こそあまり変わらないが感情が態度に出るからとても分かりやすい。特に最近は感情表現が下手な1年ばかりを相手にしていたせいかとても安心して指導できる。


「そろそろ次のステップに行ってよさそうだな。雪寝が近接戦でより強く立ち回れるように幾つか合気道の技をリストアップした。コツと、修得するための練習を資料にまとめたから…」

「…監督。助けて」


雪寝が練習場の出入口の方を見て震え出した。なんだ?俺が振り返るとちょうど長津が帰るところだった。長津のデカい体に隠れてよく見えないが制服姿の誰かがいるようだ。


「あれ、明日佳さん。今日は早く帰ったんじゃ、ぐぇっ」


長津が片手で押されて退かされる。するといつにも増して深い笑みを浮かべた明日佳が現れた。そして不気味な笑顔のまま大股でこっちに向かって歩いてくる。


「…雪寝、お前。何したんだ?」

「忘却。目的を忘れてた」


詳細は分からないが、忘却というくらいだ。多分明日佳との何かを忘れたんだろう…。俺は俺の後ろで怖がる雪寝とホラー映画の殺人鬼みたいな気迫でこっちに来る明日佳を見比べる。


「…任せとけ、雪寝」


明日佳が真剣に怒っているときの対処法は笑わすことだ。そのまま怒らせるとすぐファンタジアを使った暴力で訴えるからあまりよろしくない。もちろん雪寝の過失はちゃんと叱責されるべきだが、怒り任せの叱責では双方のためにならないのだ。ここは一度冷静になってもらう。


「ふぅー…」


俺は深呼吸をして精神を落ち着かせる。監督たる者、プレイヤーや場の雰囲気を和ませる技術も必要とされる。俺だって苦手なりに勉強と改善を繰り返してきた。今こそ努力の成果を見せる時だ。いざという時のために用意していたネタを披露するべく右のシューズを脱ぎ、右足のジャージをまくった。更に義足の膝を抱えて、義足にも履かせている白の靴下を見えやすいようにする。


「義ソックス!」


義足とソックスをかけた渾身のギャグを高らかに宣言した。雪寝と風間が噴き出した音だけが練習場に響き渡る。…どうやら笑ってくれたのは二人だけのようだ。


「拓翔。二度とその足をネタにしないで」

「…はい。すみませんでした」

「本当に分かった?」


明日佳を笑わせることは叶わなかった。もっと精進が必要だな…。


ただ、一応冷静にさせる効果はあった。明日佳は説教は明日にするといって雪寝を見逃した。そして、代わりに腕をがっちり組んだまま俺を連れ帰るだけにしてくれた。


「なんで放してくれないんだ?」

「最近の拓翔は疲れ気味。いつ転んでも大丈夫なように支えてるんだよ」


明日佳は冗談っぽく言ったが、本心なようにも聞こえた。俺の足のせいで明日佳にも負担をかけてしまっている。トレーナー失格だな…。せめて、どうにかしてリフレッシュさせてやりたい。何か妙案はないものだろうか…。

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