四 逃亡 -1-

 冬夜は、俺の言ったことのすべてを完全に信じてくれたわけではないだろう。だが、彼の中から「この場で決着をつける」という気持ちがなくなったことはたしかだ。

 俺は冬夜に、共に島を出て本州へ向かい、採取した根贈をラボで分析することを提案した。

 そこで根贈に幻覚作用のある成分が含まれることが証明されれば、物事が非常にはっきりする。根っこ様の存在は麻薬でみていた幻覚であり、言い伝えは真実ではない、ということがわかる。また、MADの原材料が勾島の大穴で栽培されていたということになるので、誰がどのように根贈を悪用しているか、その本格的な捜査を始めることができる。冬夜は、大豊祭が過ぎてから島へ帰ればいい。他の島民も、生贄を捧げなくとも大豊災が起こらないことが自然と理解できる。

 逆に、もし根贈に幻覚作用のある成分が含まれていなかったとするならなば、いま俺が自分の目で見ている根っこ様は、紛うことなき本物ということになる。そのときは祭りの期日である五月二八日、つまり四日後までに俺を殺せば良い。それで大豊災は阻止できる。

 冬夜にとって悪いことはなに一つなく、彼は俺の提案に頷いてくれた。それもすべては、いままで冬夜と俺で築いてきた信頼関係あってのものだ。

「でも、父さんや立川さんは、きっと浅野さんを島から出そうとはしないと思います」

 冬夜が暗い表情で言う。

 それはそうだろうと、俺も思う。冬夜は俺を殺したくないと強く願ってくれているが、他の島民からすれば、冬夜や自分達の命の方が大切であり、あえて危険を犯す必要もない。そのうえ、冬夜以外の四季子はすでに殺人を犯してしまっている。他の島民たちにしたって、さまざまな罪に問われるだろう。島民たちは、あくまですべてのことを島の中で完結したいはずだ。

「ひとまずは何事もなかった顔で戻って、俺の上司に電話をして、迎えを寄越してもらおう。明日にでも来てくれれば、俺と冬夜くんの二人でこっそり島を抜け出して、根贈の分析をしてもらうにも間に合う」

 俺は冬夜にそう説明したが、考えが甘かったことは、すぐに判明した。


 坑道を戻り、長い長い梯子を上って、本殿へと出る。冬夜も入ったときに扉を閉めてきたようで、本殿の中は暗い。だが、閉じられた扉の隙間から差し込んでくる光で、すでに地上では夜が明けて朝が来ていたことを知る。梯子を降りはじめたときから体内時計が狂っていたが、相当な時間が経っていたようだ。

 外につながる扉に近づくと、本殿の外が不穏に騒がしいことに気がつく。神社の周囲に多くの者がいて、彼らが口々に声を掛け合いながら、なにかを探している様子を感じとることができた。探し物は当然、夜の間に消えていた俺と冬夜だろう。瀬戸はすでに、俺と冬夜がいなくなっていることに気づいたのだ。

「二人で夜中の森の調査に出ていたんだと、説明してみますか?」

 冬夜に小声で問いかけられたが、俺は首を横に振った。あと殺すべきは俺一人となった現段階で、彼らには、俺を自由にさせておくメリットは特にない。これだけの騒ぎになってしまったら、あとは時が来るまで拘束して、後藤のように隔離小屋にでも監禁しておけば良いのだ。彼らがなお俺を泳がせておいてくれるかどうか、という危険な賭けに出ることはできなかった。

「なんとかして、彼らの目を盗んで島から脱出する。どうするにせよ、船を調達しないとならない。とりあえず電話をかけたいが、いまの状態で社務所に近づけるだろうか」

「それなら、村役場にある電話を使ったほうが良いかもしれません。真里さんはこの島の出身ではありませんし、真里さんがいたとしても、おそらく彼女には浅野さんの話は行っていないと思います」

 俺は冬夜の提案に頷いた。外の物音や声に意識を集中させ、人の気配が遠ざかったところで、素早く本殿から外に出る。

 晴天というわけでもないのに、暗闇に慣れた目が眩しさを感じる。雨は小粒のものがパラついてるだけで、ほとんど止んでいた。視界の広さを確保するため、レインコートのフードは被らずにおく。

 冬夜は外に出ると、俺を先導する形で動いてくれた。二人で神社の脇の森の中に入り込み、いつも通っている道を避ける形で、茂みに紛れて村役場を目指す。途中、男が一人そばを通ったが、俺たちは木の影に屈み込み息を殺してやり過ごした。

 男の歳は四〇ほど。春樹の葬儀のときに見かけたかもしれない、という記憶が朧げにある。彼は森の中をキョロキョロと周囲を見回しながら歩いており、島民が総出で俺たちのことを探しているのは確実だった。

「僕が先に行って、真里さんの他に誰かいないか、確認してきます。合図するまで、ここで待っていてください」

 村役場に近づくと、冬夜はそう囁いて茂みから出ていった。俺は彼の言うとおりにその場で待機する。木々の隙間から確認すると、冬夜は周囲を警戒しながら素早く村役場の中へと入っていった。

 冬夜の姿が視界から消え、やたらとうるさく感じる自分の鼓動の音を聞いていた。いくら押し込めても頭を擡げ出す、冬夜をどこかで疑う気持ちを、再度無視する。

 と、間も無く、村役場の入口とは違う窓から冬夜が顔を出した。彼に手招かれ、周囲を警戒しながらも近寄る。

「この部屋に電話があるんです。電話を借りることは伝えましたが、できれば浅野さんの姿は見られないほうが良いと思うので、ここから入ってきてください」

「村役場に宮松さんはいなかったか」

「真里さんしかいませんでした。宮松さんからは、用事があるので出勤が遅くなると、連絡があったらしいです。おそらく車で僕達を探しに出ているのでしょうね」

 冬夜に促されるまま、窓枠に手をかけて窓を乗り越え、村役場の中へと入る。そこはこじんまりとした事務所らしい部屋で、古めかしい電話があるのが見える。

 俺はすぐさま電話に近寄った。受話器を耳に当てながら電話番号のボタンを押そうとし、すぐ異変に気がつく。電話をかけるときにする「ツー」という音が鳴っていないのだ。あれは発信音といって、電話線と正常に繋がっている電話機であれば、どのようなものであっても鳴るはずなのである。発信音がしないということは、この電話機で通話はできないということになる。試しに電話番号を打ち込んでみたが、やはり呼び出し音は聞こえてこない。

 電話機からコードが正常につながっていることは確認したが、そこに問題はない。島全体として通信を遮断された可能性が高い。

「だめだ、大元から通信が断たれている。随分と行動が早いな」

 俺が諦めて受話器を置きながら呟くと、冬夜は不安そうに眉を寄せた。

「そんな……どうにかして復旧する方法はないのでしょうか」

「どのようにして電話を使えなくしているのかがわからないと、なんとも言えないな。たとえば、大元のケーブル自体を物理的に切断などしてしまっていたらお手上げだ。しかし、外部に助けを求められないとすると、どうするか」

「船以外で島を出る方法はありませんよ。漁師の誰かを説得するというのが、一番可能性はありますが」

「いや……」

 説得した漁師が本当に信用できるかどうかわからない以上、その賭けに出ることはできない。なにせ、一度は島を離れたはずの後藤が死んでいるのだ。船には逃げ場がない。

 なんとかして自力で島を出る方法と考えを巡らせ、俺はふと、その後藤の荷物が乗せられていたボートを思い出した。

「おそらく、俺に対する言いわけだったのだろうと思うのだが。港に、後藤さんが使ったのではないかと言われていた、小さな船が泊めてあった。あの船であれば、自分でも操縦が可能なのではないだろうか」

「そんな小さな船で、八丈島まで行けるんですか?」

「あのとき、島の漁師の一人が、不可能ではないとは言っていたな」

 ただし、その言葉が本当であるかどうかも、あのボートが未だに港に置かれているかどうかもわからない。

「その判断も含めて、とにかく港に行ってみるしかないな。冬夜くん、また見つからないように、先導を頼めるか」

 冬夜は真剣な表情で頷く。村役場を出るときには、二人で窓を乗り越え、再び森の中へと紛れる。

 俺たちは深い森の中の道なき道を、気配を殺して進み続けた。

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