一 確信 -2-

 夜が更けた。家茂と後藤の遺体はいま、白木の棺に納められて村役場の一室に安置されている。神社は穢れを嫌うということで、運び込むことができなかったからだ。港ではかなりの悪臭を放っていた家茂の遺体も可能な限り清められており、いまは特に気になる匂いはしていなかった。部屋には根贈が焚かれており、その甘い匂いが悪臭をかき消してくれているのかもしれない。根贈を焚くことに関しては抵抗感はあったものの、好意で貴重なものを使おうとしてくれている瀬戸に、本当の理由を述べずに断る言葉は見つからなかった。家茂も後藤も、目にしたときはあきらかな「死体」として眼前にあった。しかし、清められて体裁が整うと「遺体」という感覚になるのが不思議だ。

 宮松の計らいで、明日はこのまま村役場で家茂と後藤、それと健の合同葬儀が行われることになっている。健の死体は見つかっていないが、もう死んでいることは間違いがないので、共に行おうということになった。

 本来、二人の遺体は彼らの故郷に送り、そこで式と火葬をしてもらうべきだろう。だが、港で崩れ出した天気は、悪化の一途を辿った。予報によると、また一週間ほど続く嵐になるとのことだ。その間、死体を放置しておくわけにもいかないという判断のもと、島の慣習に従って埋葬まで済ませることが決まったのだ。


 二人の棺を前にした畳に、俺は座り込んでいた。今日だけで事態が急変していて、まだ気持ちの整理が追いついていない。今夜は通夜として、俺だけこの村役場に泊まらせてもらえることになっている。布団も出してもらった。

「浅野さん、これでどうでしょうか」

 ぼうっとしていると、真里が部屋に入ってきた。彼女の手には三枚のフレームに入った写真がある。もちろん、三人の遺影だ。俺がデジタルカメラで辛うじて撮影していた写真の中から、明日の葬儀に向けて、彼らの遺影を印刷してもらえるようにお願いしていたのだ。

 後藤の残したSDカードの中身をたしかめれば、もっと豊富で良い写真が見つかっただろう。だが、後藤が最期の意志のように遺したSDカードの存在を、俺は他の者に伝えたくなかったのだ。

 真里から手渡された遺影を眺め、頷く。それらは、どれもしっかりと正面を向いて写っているものではない。ただ、嘘偽りない数日前の彼らの生前の様子だった。俺は三枚の遺影をそれぞれ棺の上に飾る。健の写真だけは、台の上に置くような形になってしまうのが偲びない。

「大丈夫です。ありがとうございます、立派に額装までしていただいて」

「これくらい、なんでもありませんよ。それとこれ、お預かりしていたカメラです」

 渡していた自分のデジタルカメラを受け取る。

「私はもう帰ってしまいますが、大丈夫そうですか? 他に必要なものなどは」

「ええ、問題ありません。何かありましたら、社務所に取りに行きますし」

「そうですか。では、おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 挨拶を交わし、俺の様子を気遣わしそうにしながらも真里は部屋を出ていく。彼女の姿が消えてからも、建物から去っていく物音が聞こえていた。村役場の中が、俺を除いて完全な無人になった。

 俺は、ポケットの中に入れっぱなしにしていたSDカードをデジタルカメラに入れた。電源をつけて確認すると、デジタルカメラは、問題なくデータを読み込んでくれた。利用するSDカードの規格が同じでよかった。

 何か決定的な内容が写っているのではないかと期待していたのだが、カメラの小さな液晶画面に映し出されたのは、島に上陸してからの、いたって普通の光景だった。漁船から写した島の全景からはじまり、港の様子、クレーンで海から引き上げられる漁船、島の様子、社務所の外観や社務所の内部や中庭、宴会と続く。後藤の撮影技術の高さは、その小さな画面で確かめているだけでも感じ取ることができる。宴会に参加する皆の楽しそうな笑顔を見ていると、自然と表情が緩んだ。 

 写真と共に残された日付は、次の日に変わる。社務所を離れ、神社側の様子。本殿に入り、そこで行われたご祈祷の一部始終。家茂が春樹と、健が夏久と、後藤が千秋と、俺が冬夜と共に祈りをささげた。そのあとは、大穴で深さを測る調査。このときは俺だけ冬夜と共に別行動をしていたので、はじめて目にする彼らの姿だった。

 そして、画面が暗くなる。データがなくなったわけではなく、写している光景が夜になったからだ。そこから先は、何枚も同じような写真が続く。すべてが、中庭にあるガジュマルを撮影している。この写真群に、俺は覚えがあった。春樹が死んだその夜、後藤はなにかに憑かれたかのように、中庭で写真を撮り続けていた。

 それらの不気味な写真を素通りしようとして、俺はふと手を止める。写真の暗闇に白く浮かび上がる、ガジュマルの枝に違和感を覚えたのだ。繰り返しボタンを押し、島にきた初日に後藤が撮っていた、中庭の写真と見比べる。

 やはり、初日の写真と木の様子に差異がある。春樹の死んだ夜のガジュマルは、複数本の枝の先が適当な長さに切られ、先端を尖らせるような加工をされている。あくまでも自然になるように細工されているので当時は気づかなかったが、見比べれば違いはわかりやすい。

 そのことに気づいた瞬間、この細工された枝は、もしや春樹の目や口を貫通していた枝ではないか、という閃きがあった。春樹の死に姿は、まるで木が一晩で成長して、春樹の体を貫きながら取り込んだかのように見える姿だった。その異様さが、俺を含めて死体を見た者すべてに、人智を超えたものの気配を感じさせたのだ。しかし、事前に木に細工が施されていたのであれば、春樹の体は人の力で木に掲げられたのだという証明になる。

 俺はいますぐに、社務所にある中庭の木の様子をたしかめたくなった。カメラをポケットに滑らせると、レインコートを着て部屋から出た。そのまま急ぎ村役場から出ようとして、足を止める。

 村役場の出入り口の上には、リアルタッチの油絵がかかっている。額装された大きなキャンバスの上に描かれていたのは、俺が幻覚でたびたび目撃していた根っこ様の不気味な姿そのものだった。色褪せたように見える暗い森の中、感情もなく佇む根っこ様の白く大きな姿が、筆のぼかしたような筆跡を用いながら陰鬱に描かれている。

 以前この村役場にきたときは、状況が状況だっただけに、不気味な油絵の存在など、気にもかけていなかった。しかし、この絵はきっと、以前からここにあったのだ。

 俺は、後藤がノートに描いてくれた根っこ様の姿を思い出す。あのときは、二人の人間がまったく同じ幻覚を見るなど、あり得ないことだと感じた。だが、事前にお互いが同じものを見たことがあるのなら、話は別だ。

 例えば音や匂い、そのときの状況など、なにかを連想させるトリガーがそこにあれば、複数の人間が同じタイミングで同じ幻覚を見ることはありえる。よくよく考えてみれば、あのとき、窓のそばの植え込みの枝が、風で窓をひっ掻いていた。その音が、俺たちの幻覚を引き起こしたのではないだろうか。

 俺も後藤も、一度この村役場の中に入っている。同じ絵画を見たことで、この見た目が無意識のうちに不気味な存在として刷り込まれてしまったのだとしたら。いままで信じ難かった超常的な様々な現象が、一気に「科学的に考えてあり得るもの」へと変化していく。

 俺は恐怖によるものとは違う胸の高鳴りを感じながら、急ぎ足で村役場を出た。


 暗い森の中の通り慣れた道を抜け、社務所に出る。

 すりガラスのはまった玄関の引き戸の奥からは、ほのかに灯りが漏れ出ていた。戸を開こうとして、中から聞こえてきた声に、俺は思わず手を止めた。玄関に近い、瀬戸の部屋に彼らはいるのだろう。耳を澄まさなくとも会話が聞き取れる。特に大きいのは冬夜の泣き声だ。様子からすれば、泣きじゃくる冬夜を優しい声で瀬戸が宥めている。

「何も迷うことなどない。お前の番が来たというだけのこと、すべきことをするだけだ。初めからわかっていたことだろう」

「でも……」

「春樹くんが死んだとき、どれほど悲しかったか身に染みているだろう。その悲しみを、父さんや千秋くん、夏久くんにもまたさせるのかい」

 また、冬夜の泣き声。

「お前を失ったら、父さんは生きていけない」

 会話に不穏なものに感じて、戸にかけていた手に力がこもってしまった。その力に押されて戸がカラカラと音を立てて開くと、泣き声が途切れる。

 瀬戸の部屋の木戸が開いていたため、視線を向けると部屋の中まで様子が見通せた。冬夜は畳の上に座り込み、涙に濡れた目元を手の甲で拭っている。瀬戸は立ち上がり、俺の視線を遮るようにしてこちらへと向かってくる。

「浅野さん、どうかなさったんですか」

「ちょっと部屋に忘れ物をしてしまって。お邪魔してすみません」

「何を言っているのですか。ここはもう浅野さんの家のようなものなのですから、謝る必要などありませんよ」

「なんだかタイミングが良くなかったみたいで……その、泣き声が聞こえてしまったのですが、冬夜くんは大丈夫ですか」

「後藤さんも亡くなってしまったことがショックだったみたいで、少しだけ不安定に。しかし、ご心配には及びませんよ」

 照明の光は、瀬戸の部屋に灯っているものだけだ。穏やかな声のトーンがわかるだけで、照明を背にしている瀬戸の顔には深い影が落ち、表情を読み取ることはできない。瀬戸からは、探るような眼差しが俺へ向けられているような気がしてならなかった。

「それは、俺もショックですからよくわかります。明日の葬儀を終えたら、冬夜くんの気持ちが少しでも晴れると良いなと思います」

「ありがとうございます。明日、私は朝から村役場に行きますので」

「はい、忘れ物を取ったら勝手にまた出ていきますので、お気遣いなく」

 極力不審がられないようにいつもどおりの声を出し、そそくさと自分の部屋へ戻る。後ろ手に木戸を閉めると、ようやく体に張り詰めた緊張がほぐれた。深く息を漏らしながらレインコートのフードを外し、ゆっくりと部屋の中を進む。

 中庭に面する障子と閉められていた雨戸を薄く開けると、中庭の中央にあるガジュマルが見える。その隙間から覗くようにしてその様子を確認し、確信する。後藤の写真に加工されている状態で写り込んでいたガジュマルの枝が、いまは根本から切断されて失われていた。

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