16話 男の子に泣かれた話

「――これで待てばいいのか」

「はい。ただしお鍋が吹きこぼれる可能性があるので、そこだけ注意してくださいね」

「分かった」


 今日も今日とて俺は葉月に料理を教わっていた。

 夏休みに入ってから時間にも余裕ができ、最近はほぼ毎日料理に明け暮れている。

 と言っても弥生との勉強があるので、一日中とまではいかないが。

 それでも葉月が献身的に教えてくれていることもあって、自分でも上達をひしひしと感じていた。


 ただ葉月との距離が縮まっているかというと、実はそうでもない。


 一応「料理作戦」ということで葉月に悩みを打ち明けてもらうために料理を教わっているのだが、初日以来何のアクションもなかった。

 葉月からの信頼は初日よりもあるとはいえ、まだその話題に踏み入るのも少し早いと感じている。

 俺がこの家に来てからまだ二週間程度しか経っていないから、それほど焦らなくてもいいのかもしれない。

 しかし、だからといってずっとこのままでいるわけにもいかなく、進展のない日々に少しもどかしく思っていた。


「……あの、お兄さん」


 鍋の様子を気にしながら考え事をしていると、不意に葉月が俺を呼んだ。


「どうした?」

「顔合わせの日に、私がお兄さんに聞いたことって覚えてますか?」

「顔合わせの日に聞いたこと?」

「はい」


 何かあっただろうか。

 リビングで初めて葉月の顔を見て、自分の部屋を見た後に葉月の料理を手伝って、夕食の時に料理を教わりたいと言って……。


「洗い物の時の話か?」

「そうです」


『小さい頃から激しい運動とかはできなかったんですか?』

 そう言って俺の答えを聞いた葉月の残念そうな顔がフラッシュバックする。


「本当にできなかったんですか?」

「あぁ、できなかったぞ」

「本当に?」

「本当だ」

「私が言ってる『運動』って、ただスポーツをするだけじゃないですよ? 例えば……ぼ、暴力をふるうことだって運動に入ります!」

「ぼ、暴力……?」

「そうです!」


 何やら切迫した表情で言葉を発す葉月。


 俺の知っている葉月なら運動のたとえに暴力なんて使わないはずだ。

 様子もおかしいし、いったいどうしてしまったのだろうか。


 そう思いつつ、『暴力』という単語で思い出した出来事が一つあった。


「……暴力でいうなら、小さい頃に一つあったかもしれない」

「何ですか?」

「お、落ち着け。いま話すから」


 真剣な表情ではあるものの少し興奮しているのか、葉月はずいっと顔を近づけてくる。

 その勢いに少し気圧されながらも彼女をなだめつつ、俺はしまい込んだ記憶をゆっくりと紐解くように喋り始めた。


「小学校に上がる前、だったかな? 俺よりも小さい一人の男の子が何人かに囲まれてたんだ。同い年だったのかはわからないけど、その子たちにいじめられてたみたいで……泣いてたんだ」


 なんで今まで忘れていたのだろうと疑問に思うほど、あの時の記憶が鮮明によみがえってくる。


 数人が囲む中心で苦しそうに涙を流していた男の子。

 当時の俺は『考える』ということを知らなかったから、無謀にも男の子を助けようと思い立ち、その輪の中に一人で突っ込んでいった。


 結果、返り討ち。


 一応応戦はしたものの多勢に無勢で全く歯が立たない。

 自分が過度に動けないことすら忘れていたものだから、ボコボコにされるわ心臓は痛いわで大変だった。


 それでも最終的に俺の母さんがその惨状を見つけ、いじめっ子を退けてくれたおかげでその男の子を助けることには成功した。


「だけど、その男の子はまた泣いたんだ」

「また?」

「俺にはその子が泣いた理由が分からなかった。でも当時の俺は怖がらせちゃったんだと思ったんだ。目の前で殴り合いのケンカをしたからな。怯えてるんだろうと思った。だから、頭から血を流して言ったよ。『怖がらせてごめん。でも、もう大丈夫だよ』って」


 結果的にその子は泣き止まず、そのままその子のお父さんが連れ帰ってしまったが。


 あれ以来、その子と会うことはなかった。


「……そうなんですか」

「運動って言っていいのかは分からないが、これが俺の唯一の運動だ。それ以外はマジで体を動かしたことがない」

「話してくれてありがとうございます」


 葉月がぺこりと頭を下げると同時に、セットしていたタイマーが鳴り響く。

 鍋のふたを開け、中身をかき混ぜて確認しながら俺はずっと気になっていたことを葉月に聞いてみた。


「どうしてそんな俺の過去を執拗に聞いてきたんだ?」

「執拗に聞いてました?」

「この前だって同じことを俺に聞いてきただろ。どんな答えにせよ、一回出たらそれで納得するものじゃないのか?」

「……なんとなく、気になっただけですよ」

「本当に?」

「本当です」

「ふーん」


 絶対何かあるような気がしてならないのだが……。

 まぁ、知られたくないことなのだろう。

 無理して聞き出すようなことでもないし、ここはいったん引くことにする。


 しかし、ある一点に関してはどうしても引くことができなかった。


「……怒ってる?」

「怒ってないです」

「声のトーンがさっきよりめっちゃ低くなってるんですけど」

「怒ってないです」

「さっきから表情が一つも変わらないんですけど」

「怒ってないです」

「葉月、怒ってないですbotやめて」


 これ、葉月絶対怒ってるよな?

 なんで?

 何か怒らせるようなこと言ったか?


 俺はただ自分の過去をしゃべってただけだし……えっ、本当に何もやって無くないか?


「……まぁ、今回だけは許してあげます」

「何を??」

「いいから、早く次の作業に進んでください。これ以上お鍋を待たせると美味しくなくなっちゃいますよ」

「えぇ……?」


 頑なに口を紡ぐ葉月。

 彼女の機嫌は、料理が出来上がるまで直ることはなかった。

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