11話 今度は私が

 親父の大事な話を聞いてからというもの、俺の頭の中は常にそれでいっぱいだった。


 母さんの……最後の墓参り。


 親父が言うには、皐月さんと再婚したのにも関わらず母さんの墓参りに行くのは皐月さんに申し訳ないとのことだった。

 確かに親父の後ろめたい気持ちも分かるし、皐月さんにとってもいい気分でないのは十分わかっている。


 だけど……最後、か。


 寂しいというか何というか……消失感が大きいかもしれないな。


 普段は普通に人と接している俺だが、実はまだ本当の意味で母さんの死から立ち直っているわけではない。

 最後の墓参りというのも、本当は嫌だ。

 もっと母さんに会いに行きたいし、もっと母さんにいろんな話がしたい。


 でも親父にはもちろん、俺にだってもう新しい母さんがいる。

 いつまでも、引きずっているわけにもいかなかった。

 だから、これは母さんの死から立ち直るいい機会なのかもしれない。


 なのかもしれないけど……。


「朝陽君?」


 不意に声をかけられた衝撃に体を震わせながら振り返ると、そこには素っ頓狂な顔をした弥生がいた。


「……なんだ、弥生か」

「どうしたの、外なんか眺めちゃって。顔も暗いよ?」

「あ、あぁ」

「何か嫌なことでもあった?」

「ちょっと考え事をな。それよりも、何かあったか?」


 弥生が心配そうな表情をしたため、俺はさり気なく話題を切り替える。

 前の母さんのことで悩んでる、なんて言ったら弥生にとっても気まずいだろうからな。


「もう昼休みだし、一緒にお弁当食べないかなぁって。それとも、今日は一人で食べたい?」

「いや、一緒に食べる……」


「食べるよ」と言いかけた瞬間、何やら鋭い視線を感じた。

 どうせ弥生ガチ恋勢の奴が盗み聞きしているのだろうと思い見れば、案の定引き戸の影から何人かがこちらを睨んでいる。


 弥生も彼らの睨みを感じ取ったらしく、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「……今日もまたあの空き教室に行こう。後から追うから、先に行っててくれ」

「うん、分かった」


 あいつらに気づかれないよう耳打ちし、教室を出ていく弥生を見送ると、俺は再び窓越しに青空を見つめる。


 本当、うざったいったらありゃしない。

 最近はずっとこんな調子だ。

 弥生と接するときはいつも人目を気にしないといけない。


 もう昼休みだというのに、どうしてあいつらは飯も食わずに弥生を監視しているのだろう。

 そんなことをしたら弥生に余計嫌われるのが分からないのだろうか。


 ……どうして、俺までこんな目に合わなくちゃいけないんだ。


 一通り心の中で愚痴を吐けば、大きくため息をつく。

 ある程度時間も経ったし、あいつらの警戒も薄れている。

 そろそろ動き出してもいいだろう。


 廊下に出て手を洗った俺は、弥生が使ったであろう階段とは別の階段を使って空き教室を目指すのだった。



         ◆



 空き教室に着いた俺は弁当を食べるため、弥生と一緒に隅に固めてあった机を引っ張り出していた。


「ごめんね、毎回こんなことに付き合わせちゃって」

「弥生のせいじゃないから謝らなくていい。でもこの空き教室がなかったら、今頃大変なことになってただろうな」

「本当だよね」


 学校の隅にある、今では何のためにあったのか分からなくなってしまったこの教室。

 人通りの少ない廊下に面していることもあって、絶好の隠れ場所だった。


 以前弥生と一緒に逃亡した際に見つけていなければ、彼女と昼食を共にする習慣もなかったかもしれない。

 自教室からも遠いため、あいつらも流石にここまで追ってくる気力はないようだった。


「あっ見て、今日はオムライスだよ!」


 弥生の嬉しそうな声を聞きながら、俺も弁当の風呂敷を広げる。

 すると彼女の言う通り、弁当の蓋から卵の綺麗な黄色とケチャップの赤色が顔を覗かせていた。


「弁当にオムライスとか……すごいな。葉月のことだし、きっとこれが初めてじゃないんだよな?」

「うん、前にも何回か作ってくれたよ」

「すごいな……」


 俺たちが家を出るのも決して遅い時間じゃないのに、それでもこういう手の凝った料理を作ってくれる葉月は本当にすごかった。

 行動力に関して言えば不登校とは思えないくらいだ。


 手を合わせ、弥生とともに弁当を食べ進めていく。

 付け合わせのサラダもあっさりしていてとても食べやすく、よりオムライスが進んだ。

 最近はいろいろ不幸が重なっているため、疲れた体に葉月の料理がとても沁みた。


 それでも……拭うことは出来なかった。


 弥生との会話が途絶えると、どうしても母さんのことが頭をよぎる。


 母さんが死んだ時のこと。

 その時の苦しみ、悲しみ。

 耐えられず不登校になって、復帰したあとの勉強に酷く苦労したこと。


 伝染するようにいろいろなことを思い出してしまい、とても昼食を食べられるような精神状態じゃなくなってしまった。


 思わず、スプーンを置いてしまう。


「……大丈夫?」


 不安気な声に顔を上げると、弥生が心配そうに俺のことを見つめていた。


「あ、あぁ。大丈夫」


 咄嗟に元気を取り繕おうと口角を上げてみても、それは鉛のように重くすぐに下がってしまう。

 これでは弥生に申し訳ないと思う一方で、やっぱり何か行動を起こす気力がなくその場で落ち込んでいると。


「ねぇ、朝陽君のお弁当とスプーン貸して?」

「えっ?」


 弥生は半ば強引に俺のオムライスが入った弁当箱とスプーンをひったくった。

 何がしたいのだろうと特に何も言わずに見守っていると、彼女はオムライスをスプーンで掬い、それを俺に向けてくる。


 ……何をしているんだろう。


 数秒後、彼女の意図に気づいた俺は目を見開く。

 思わず席を立ち、後ずさってしまった。


「な、何をしてるんだ?」

「朝陽君が落ち込んでるから、今度は私が朝陽君を元気づけてあげようと思って」

「それがどうして食べさせることに繋がるんだ?」

「ラブコメとかって、よくヒロインが主人公に『あーん』するじゃない? それをすれば、朝陽君も元気出るかなぁって思って」


 いたって真面目な表情の弥生。

 ふざけているわけではなさそうなのが余計に俺を困らせた。


 どうしてそこまで真顔になれる?

 なぜよりにもよって『あーん』で元気づけようとした?


 というか、そもそも弥生は恥ずかしくないのだろうか?


「いいから、とにかく口を開けて。ほら、あーん」

「ち、ちょっと待ってくれ。まだ心の準備が—―」


 制止をかけているのにも関わらず、弥生は立ち上がって強引にオムライスを俺の口の中に入れてくる。

 ここまで来るともう受け入れることしか出来ないかった。


 静かにオムライスを咀嚼し味わっていると、俺はある違和感に気づいた。


「どう、美味しい?」

「……美味しい」

「まぁ、そりゃあそうだよね。なんていったって葉月が作ってくれたんだもん」

「いや……」


 それだけじゃない。


 さっきよりも、気持ち少しだけ美味しくなってるような気がする。


 どうしてだろう。


「なぁ、弥生」

「どうしたの?」

「もう一回だけ、俺に食べさせてくれないか?」

「も、もういっかい……?」

「あぁ、頼む」


 もう一回食べさせてもらえれば、何かがわかるような気がする。

 そう思い頼んだのだが、なぜか弥生の頬があかく染まった。


「……わかった。も、もう一回、だもんね。……もういっかい」


 何やらぶつぶつとつぶやきながらも弥生はもう一度オムライスを掬い、俺に差し出してくれる。

 どうしてそんなに動きがぎこちないのか気になるが、今はオムライスが急に美味しくなった謎の方が気になってしょうがなかった。


「あ、あーん」

「あー」


 今度は素直にオムライスを受け入れた俺は、再びそれを味わう。


 ……うん、やっぱりさっきよりも美味しくなってる。


 だが、いかんせんどうして美味しくなったのかが分からなかった。


「なぁ、弥生」

「な、何?」

「もう一回俺に食べさせてくれないか?」

「も、もういっかい!?」

「ど、どうした?」


 いきなり大声を上げた弥生に驚いて身じろぎしてしまう。

 彼女はその後浮ついた様子で口をパクパクとさせると、俺に弁当箱とスプーンを押し付けてきた。


「も、もう無理! あとは自分で食べて!」

「えっ、どうしてだよ?」

「無理なものは無理なの!」


 ――こうして、俺はオムライスがいきなり美味しくなった謎を解明できずに終わった。


 どうして急に美味しくなったのだろう?

 どうして弥生は急に食べさせてくれなくなったのだろう?


 そんな疑問が頭を駆け巡っている間に、いつしか暗い思い出は頭の中から消え去っていた。

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