倭人王 豊玉之男(とよたまのお) 秋津洲篇~千年の目覚め

秋津廣行(あきつひろゆき)

秋津洲(あきつしま)の危機

大歳の千年祭

第1話 千年の神子(みこ)

   「いよいよ、千年の神子みこが生れる。」


 高天原開闢たかまがはらかいびゃく大御神おおみかみ天常立神あめのとこたちのかみが、かつて、ヒカネと呼ばれた若き日のことである。


 千年前、北の国からやってきたヒカネは、浅間山麓あさまさんろくに渦巻くあめ族とつちのいさかいの中にあった。これを収めるためには、黄泉よみの国にみまかれた母神ははかみ香具姫かぐひめの力が必要であった。

 ところが、戦いの最中に現れた香具姫かぐひめ御魂みたまは、理不尽りふじんにも二人の息子を殺された怒りと呪いに荒れ狂ったままの荒魂(あらたま)であった。この時、ヒカネは母神の怒りを鎮め、浅間の戦いを収めるために、母神香具姫ははかみかぐひめから預かった守護剣「八束やつかの剣」に千年の鎮魂の約束をしたのであった。

 以後、ヒカネは、高天原を開き天常立神あめのとこたちのかみとなったが、その後、「八束の剣」は封印され、その証(あかし)として、十二年毎の大歳祭おおとしさいに「八束の剣」を奉じて祭祀を行うこととなった。

 

 大歳おおとしとは、天に輝く木星のことで、十二年に一度、元の位置に戻ってくる。当時、ヒカネは、黄泉の世界で荒神あらかみとなられた母神の怒りを収めずして、高天原の安寧はないことを悟り、大歳おおとしの祭祀に、縄目の壺をあめのみなかぬしの神に捧げることを誓った。そして、ヒカネが天之常立神あめのとこたちのかみとなった後、その子孫は、誓いの祭祀を子々孫々に繫いで守ってきた。


 その約束の日である九百九十六年目の大祭が、すぐそこに迫っていた。


 高天原の当主、金拆神かねさくのかみは、千年大祭の準備に忙しく立ち回っていた。折しも妃(きさき)である素乃木之姫神そのきのひめかみは、産み月を迎えていた。このまま行けば、新しいやや子はその記念すべき大歳の日に産まれ、新しきあめつちの御代が訪れるはずであった。


 千年ぶりの大祭である。祭主は、天常立神あめのとこたちのかみの子孫である金拆神(かねさくのかみ)なのだが、国常立神くにのとこたちかみの子孫である諏訪神(すわのかみ)宇麻志(うまし)ジンもまた浅間の姫神たちに声をかけてくれたので、天つ神と国つ神が揃って祝う賑々しき千年大祭となるはずであった。

 天空の変化を読み取るのは、天つ神である宇都志族うつしぞくの仕事である。宇都志うつしとは、名前の如くに、天の星々の姿を心の奥に映しだし、時の行く先々を占うのが太古からの重要な務めであり、今でもその務めに変わりはない。

 金拆神かねさくのかみは、星読みの司を集めると、近づく大歳星おおとしぼしの動きを正確に報告させた。司長つかさおさ阿津耳あつみみは、それぞれの報告が終わると、金拆神かねさくのかみに向かってこうべを垂れて申し上げた。


金拆神かねさくのかみに申し上げます。大歳星おおとしぼし、南中の刻は、明後日、新月が沈んだ直後にて御座います。すでに、千年祭の準備は整っておりますゆえに、素乃木姫神そのきのひめかみにも、心置きなくお過ごしいただくようにお伝え下さいませ。」


 千年祭を前にして、近頃は日没の後、西の空には太伯星たいはくぼし(金星)がひときわ輝いて先導役をつとめている。大歳星おおとしぼしは、太伯星たいはくぼしが沈んだ後、南の空で孤高の光を放ち、薄暮の輝きを増した。

 金拆神かねさくのかみは、満足げに静かに頷きながら、空を見上げると、大歳星おおとしぼしを眺めた。


 だが次の瞬間、金拆神は、目に映った大歳星おおとしぼしの輝きに目を疑った。自らの手で目を二度こすってしまった。それは、宇都志一族の族長として、ありえない光景であった。澄み切った満天の星空に、さらに一層の輝きを増すはずの大歳星がなんとしたことか、雲も出ていないのに、くぐもって光を失っているではないか。

 金拆神かねさくのかみの心の動揺を見た阿津耳あつみみは大きく息を吸って吐くと、おもむろに口を開いた。


「神の子、誕生のお知らせに御座います。すでに素乃木妃そのきひは、産屋うぶやにお入りになり、控えの巫女共々に、時の来たるをお待ちに御座います。」


 阿津耳あつみみの静かな語り口調に、金拆神はわれを取り戻した。

「おお、そうであったな。いにしえ千年の約束が、『間もなく果たされる。』と思えばつい力が入り、気がせいてしまった。」


「千年前に結ばれた、ヒカネの君と母神香具姫(ははかみかぐひめ)との約束を果たすこととは、最後の大歳の祈りを何事も無く終えることであります。心静かに、その時をお迎え頂きますように。」


 金拆神かねさくのかみは、改めて背筋を伸ばして襟を正したが、一方、冷静さを装っていた阿津耳あつみみは、表には出せない不安な気持ちに襲われていた。


 ― もしや、千年の祈りの前に、神子みこがお生まれることにでもなれば、如何いたそう。その神子は、宇都志うつし族千年の重荷が晴れないままに、この世の罪咎つみとがを背負わなければなるまい。


 阿津耳あつみみは、改めて、天空を仰ぎ、深々と大地にひれ伏して神々に祈りを捧げた。だが、非情にも阿津耳あつみみの予感は的中した。


 その夜の内に素乃木姫そのきひめは産気づき、明け方には世継ぎの神子みこが生れた。しかし、世継ぎを取り上げた巫女たちは、一斉に顔をそむけて正気を失ってしまった。

 世継ぎの神子の身体は、余りにも小さく未熟の子であった。産声もなく、手足の動きも弱々しかった。まるで死産であるかのごとくに、産屋は緊迫の空気に包まれた。

 巫女頭みこかしら采女とめの目は、異常に血走っていた。弱々しき赤子の身体をさすり懸命に祈った。何度も何度もあめつちの神に祈り、小さな命に息を吹き込んだ。

 その願いが届いたのであろうか、かすかに気道が開いたのであろう。采女とめにしか聞こえないほどの微かな「ひゅー」という声が上がった。采女とめは、神子みこを両手の掌に包んで、なおも、新しき命の緒をまさぐった。


 朝日が昇り始めた時であった。


「ぉぎゃぁ、ぉぎゃぁ・・・」


 元気とは言えないが、まさしく神子みこの産声であった。張り詰めた空気は、一気に緩んで和んだ。采女とめは小さな赤子を、あめつちの神々に捧げて感謝の気持ちを現した。


「新たな神子みこがお生まれになった。新たな世継ぎの命がお生まれになった。新たな御代の始まりであります。」


 采女とめは、四方を拝し、新しく昇る太陽を拝し、内なる魂の喜びに震えて、世継ぎの誕生を祝った。すぐに、金拆神かなさくのかみに知らせが届けられたのだが、金拆神かなさくのかみは、素直に喜ぶことが出来なかった。


「おめでとうございます。新たな神子の誕生に御座います。」


 側に仕えていた阿津耳あつみみは、金拆神の本心を思いながらも、司長つかさのおさとして、自らの心を抑えてそう言った。しかし金拆神かねさくのかみは、「新しき神子は、新しき御代に産まれるもの」とばかりに思っていたので、その落胆の想いを埋めることは出来なかった。大祭前、時満たぬままに産まれた子を、快く受け入れることは出来ず、産屋を見舞うこともなかった。

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