第7話 銀色縄張暴発狼

「ん~?」



 気絶した風香くんを保健室のベッドに運び、トラくんと先生は僕を残して教室に戻ってしまった。

 そして今、風香くんが目を開け、ぼんやりとした顔で体を起こした。



 すかさず僕は足を畳んで座り込み、そのまま床に額を擦りつけた。



「本当にすみませんでしたぁ!」



「……一切迷いのない土下座だな」



 風香くんが鼻で笑いながら肩を竦めた。

 正直あんなことをしてしまったからビンタの一発でも覚悟したのだけれど、彼にその気はないのか、少し移動してベッドの縁に腰を下ろし、脚を外に出して上履きを履いて僕に体を向けてくれた。



「別に怒ってねえよ。まさかこんなもんつけられるとは思ってもいなかったけれどな」



「あぅ、は、外してくれても」



「外さないよ。俺が負けた証だしな」



 僕は首を傾げる。

 気のせいかもしれないけれど、風香くんが少しスッキリした顔をしているような気がする。



「で、俺係さん、お前は一体何をしてくれるんだ?」



「え~っと、まずは風香くん――神波見くんが円滑に会話できるようにサポートします」



「風香で良いよ。お前が間に入るだけでそれが出来るのか?」



「出来ますよ。だって風香くん、別におしゃべりが嫌いなわけじゃないでしょう?」



「……まあ、トラが言っていた通り、高校入ってからちょっと気を遣ってたかな」



「でしょ? なら大丈夫。そして次――風香くんが暴力を振るったとして」



「この拳を下ろすことは止めないぞ俺は」



「この2週間でいきなり止められないことは理解していますよ。だからまあ、そこは上手くやるよ、今日みたいにね」



 風香くんが小さく笑った。

 今日の出来事を思い出しているのか、どうにも楽しそうだ。



 すると笑うのを止めた風香くんが、ジッと僕を見つめてきた。

 おや、これはもしかして良い雰囲気というものだろうか?

 そういえば謝ることで頭がいっぱいだったけれど、学校の保健室で2人きり、これは急接近のチャンスなのでは?



 頭がくらくらしてくる。

 体の中で小さな僕が放火でも極めているのかというほどあちこちから火が上がっているような体の熱さを覚える。

 そうだった、僕はこの人が好きなんだった。

 忘れていたわけではないけれど、あまりにもいきなり近づいてしまったから心が追いついていなかった。



 そして今、僕はそれを自覚してしまった。



 僕の目はきっとグルグルと渦巻きになっているに違いない。

 そうして気持ちだけが先走っていると、風香くんが口を開いた。



「なあ月神、お前どうして俺を助けてくれた? 普段からチラチラと俺のこと見ていたが、何か言いたいことでもあったのか?」



 バレてる。

 これは最早、観念するしかないのだろうか。



 ほんのりと伝えるべきか、いやいやさりげなく好きだって――いやここはストレートにっ!



「あ、あのね」



「ん?」



「その……」



 ストレートに気持ちを伝える。簡単なことだ、一言、ただ一言口にすれば良い。

 でも、それがなかなかできない。



 駄目だ。今僕が伝えるべき言葉は気持ちではない。

 そもそも彼はどうして助けてくれたのか。の解を求めている。

 彼を好いているから。当然それもある。けれど何より、僕が風香くんを助けたかったのは、お礼を言いたかったから。



 僕は肩を竦ませると、力なく笑い、ポツリポツリと話し始める。



「風香くんは覚えていないかもだけれど、入試の時、一度お話したんだよ」



「俺と? スマン覚えがない」



「だと思うよ。だって大したこと話していないもの。でも、あの日僕はすっごく不安でね、お母さんも入院しちゃっていたし、代理の保護者は隣に住むここの卒業生だしでそりゃあもうしんどかったわけです」



 僕は風香くんの隣に腰を下ろすと、脚をパタパタとさせて当時のことに想いを馳せる。



「この学校に居場所が出来るかな。お母さんは大丈夫かな? 夜恵ちゃんお願いだからことあるごとに防犯ブザー鳴らさないで。そんなことばっかり考えてたんだ」



「……そういやぁずっと何か鳴っていたな」



 面接が上手くいくか本当に不安だった僕は、お手洗いに行くと言って少しだけ校舎を歩いた。

 その時に、僕は風香くんと出会った。



「僕が気を紛らわすために1人であちこち見て回っていた時にね、1階の渡り廊下に差し掛かった時、僕の真横を生徒が吹っ飛んでいったの」



 物凄い勢いで飛んできたその生徒は、僕を通り抜けて入ってきた扉に激突してぐったりしていた。

 渡り廊下の中ほど、数人の生徒が倒れているその中心で――。



 狼が咆哮を上げていた。



 ビリビリと大気が震え、空気すら恐怖しているかのように凪いでいた。

 けれど一陣……彼を中心に吹くその風だけはなによりも熱く、僕の心を打った。孤独だった心を繋ぎ止めてくれた。



「とんでもない光景だったから、緊張も忘れてしまいました」



「あ~、そういやぁ入試の時に数人に襲われたな。その時に何かちっこいのがいた気がする」



「ちっこくないです」



 風香くんがスマンスマンと喉を鳴らして笑っている。

 けれどそれは1つ目――あの時僕は確かに目を奪われて、心を攫われた。でも、何よりも彼に心惹かれたのはその後、入試からさらに2か月後、つまり僕の初登校の日。



「入試の時に風香くんのことを知って、勝手ながら緊張を解いてくれたあなたにお礼を言おうと思っていたんです。でも……」



 クラスに僕の居場所はなかった。

 何故だかわからないけれど、クラス中から無視され、誰に話しかけても言葉も返ってこない。



「もう困惑通り越してパニックですよね。何をした記憶もないのに用意されているはずの居場所がない。空気がね、もう僕を拒絶していた」



「……ああ、あの時か」



 風香くんも思い出してくれたのか、頭を掻いている。

 押し潰されそうになっていた。壊れそうだった。



 けれどまた、僕の頬を風が撫でた。



「あれ、大した意味はなかったぞ」



「そうかもね。でも僕には――僕は、嬉しかったんです」



 泣き出しそうだった僕があの日顔を上げられた。

 本当に些細な出来事、陰鬱な空気を払うようにまた狼が声を上げた。



 辛気くせぇ! たったそれだけの言葉が、僕にのしかかっていた空気を払拭した。

 僕に纏わりつくはずだった空気が一瞬で消え去り、誰も彼もが風香くんに意識を向けていた。

 体が、心が軽くなった気がした。



 あの日、風が押し退けたほんの少しの隙間、そこが僕の居場所になった。

 狼さんが開けてくれた本当に小さな隙間――僕はそこに入り込むことが出来た。



 だから僕は……風香くんの目を見つめる。



「入試の時も、初登校の時も、僕はあなたに居場所を作ってもらえました。ずっとお礼が言いたかったんです、本当にありがとう」



「……」



 やっと言えた。

 気持ちを伝えたいとか、好きだって言いたいとか、その前に果たさなければならない筋。

 多分、ここからじゃないと始められない。



「月神、お前――」



 いきなりこんなこと言われても困るかな? でも今の僕の正直な気持ち。届いたかな、伝わったかな? あなたに向けるほんの一欠けら、心の隅に出も残ってくれたかな。



「わかったよ月神」



 ベッドから腰を上げて立ち上がった風香くんが何か決意を抱いた瞳をしていた。



 想像以上に伝わってしまったのだろうかと僕がどぎまぎしていると、その獣が口を開いた。



「俺も今日のことは嬉しかったよ、だから何か返さないとと思っていた。でも何を返したらいいのか、それがわからなかったんだが、これではっきりした」



「ほえ? えっと」



 もしかしてデートとかしてくれるのかな。たくさん甘やかしてくれたり、頭とか撫でてもらったり――。



「月神、いや陽愛って名前だったか? 陽愛は俺を倒した、群れのボスに相応しい」



「う~ん?」



「任せろよ陽愛、俺はお前にどこにだって居場所を作ってやる。どんな奴からだって奪ってやる! お前が求めるものは――」



 風香くんが大きく息を吸い、ために溜めて言葉を吐き出した。



なわばり・・・・だな!」



「ん~~~?」



 僕はネット上に出現する宇宙を背景にしたネコみたいな顔になった。



「正直、恋高の猛者どもに興味はなかったが、陽愛が望むのならそいつらを千切ってなわばりを広げるのも悪くはない」



 風香くんが腕を伸ばして拳を僕に向けてきたから、ついのその拳に僕も拳を当てた。



「この恋高をなわばりに、天辺とってやろうぜ陽愛!」



「ん~~~」



 今まで見たこともないほど生き生きとしている風香くんを止めるほどの言葉を僕は持ち合わせていなかった。



 どこで間違えた? 僕いつの間に群れのボスになったの? あれ、というか居場所というワードだけに反応していませんかこのケダモノ。




 楽しそうにしている風香くんをよそに、僕はただ呆然とするしかなかった。



 こうして、どういうわけか僕は風香くんのボスに、そしてこれから恋ヶ浜高校でなわばりを広げる活動をすることになった。



 一体どうしてこんなことになったのか、どうして……考えてもらちが明かず、僕は想い人が嬉しそうにしているという記憶だけを頭に焼き付けることを決めたのだった。

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