十七話 騒動


「…………」


 俺は船室の丸い窓から夜の暗い海を眺めていた。ここはマウス島へ向かう船の中だ。


 大陸を出航してからというもの、もう三日も経った。あと四日ほどで、俺たちを乗せたこの船はマウス島に到着する予定だそうだ。


 なんだか妙に空しくなって何もする気が起きず、何度も眠りに就こうと思ったものの、ついつい色々と考え事をしてしまって眠れない。


 こういうときこそ、気分転換に【迷宮】スキルでも使えばいいのかもしれないが、やはりそういう気分には到底なれなかった。実際、俺は新しく発見した【異次元の森】へは未だに行っていない。


 どうしても、このスキルについて考えるとのことを思い出してしまうんだ。それはもちろん、伯爵令嬢のリリアンのことだ。


 リリアンが別れ際に見せたあの姿も相俟って、俺は若干トラウマ気味になっていた。まだ気持ちの整理がついてないっていうのが正解かもしれない。


 これが永遠の別れになるわけじゃなく、一年後にまた会えるじゃないかって思ったが、この世界では何が起きるかわからないしな。リリアンはアリエス学園に入るんだろうか?


 父さんが言うには、アリエス学園っていうのはいつ心や体が死んでもおかしくないほど厳しい環境なんだそうだ。父さんの友人が自死するくらいだから相当なんだろう。イレイドの誘いを拒み続けたリリアンならそれでも上手くやっていけると思うが、それでも不安が全然ないわけじゃない。


 ん……? なんか船内が異様に騒がしいな。海賊船が現れたとか船内で殺傷沙汰があったとか、何か事件が起きたかもしれないと思って部屋を出ると、怒号や悲鳴が飛び交っていた。


「あの、何があったんですか?」


 俺は槍を持った体格のいい警備兵に尋ねる。


「それがな、船のどこかにモンスターが出たようだ」


「え、モンスター⁉」


 身に覚えのある俺はビクッとなってしまった。


「ああ。蛙のモンスターが出たらしい。私たちがなんとかするから、一般人の君は部屋でじっとしていたほうがいい」


 警備兵のおじさんはそう言い残し、足早に立ち去っていった。


 なんだ、蛙のモンスターか。それなら違うな。


 俺の【迷宮】スキルの一つ、【異次元の洞窟】が無意識に発動して、そこからモンスターが這い出てきたんじゃないかって心配したが杞憂だった。


 自分のスキルのせいで無関係の人たちに被害が出るなんて想像すらしたくないしな。


【異次元の森】のことも一瞬頭をよぎったが、リリアンの涙を思い出したくなくて使うことを露骨に避けている状態だからさすがに違うだろう。


 それにしても、なんとも奇妙だ。蛙のモンスターが出た割りに、船内は荒らされた形跡がほとんどなかった。


 ただ、これだけ騒ぎになってる以上、出鱈目とも思えない。


 俺は何か裏があると感じて蛙のモンスターを探しに行くことにした。余計なことを考えなくて済みそうだしな。警備兵たちに呼び止められる心配はあるが、今はモンスターが出現してるってことで俺に構うどころじゃないだろう。


 誰かが持ち込んだペットの巨大な蛙が逃げ出したのか、あるいは蛙のモンスターが船内に偶然出現したのか、それともそのどちらでもない別の何かなのか……。


 なんにせよ、船が沈んでしまうような最悪の事態じゃなくてよかった。油断は禁物だが、モンスター相手ならそこまで不安はない。


 仮に窮地に陥ったとしても俺には切り札の【無明剣】がある。前回使ってからかなり間が開いてるし、今回は使っても大丈夫なはずだ。


「――いないな……」


 思わずそんな声が出るくらい、蛙のモンスターとやらは見当たらなかった。船の中がやたらと広いっていうのもあるが、どこを探しても見当たらないんだ。


 というか、躍起になって探してるのは俺だけじゃないんだよな。これだけ多くの人間が船内を捜索しても一向に見つからないってことは、見間違いでもしたか、あるいは悪戯目的のデマか。


 ほかにも可能性はありそうだが、とりあえず俺も自分の部屋へ戻ろうか。こんな状況だからとはいえ、動き回ったせいか眠くなってきた。


 警備兵や船員たちもモンスターがいないと判断したのか、次第に落ち着きを取り戻し始めている様子だった。


「…………」


 その途中、俺は違和感を覚えて立ち止まった。


 船員でも警備兵でもない、見るからに一般客っぽい二人組がいて、何やら気まずそうに周囲を見渡しながら俺の近くを通っていったんだ。


 やたらと挙動不審だし、これは絶対に何かあるなと思い、俺はそいつらのあとをこっそり追ってみることに。気づかれる心配ならまったくない。


 俺は【無明剣】を発見する際に、力みをなくす重要性を思い知った。力みをなくすことは気配を小さくすることでもあった。


 気配を小さくするってことは、周りの息吹や異変を感じやすくなるということ。相手の気配や障害物の在処なんかもわかるようになる。


 お、いたいた。部屋の前まで来て安心したのか、あれだけ落ち着きがなかったのに大分リラックスした様子。俺はなるべく気配を削ぎ落してやつらの様子を探ることに。


 大きなリボンを後頭部につけた少女と、ちょっとぽっちゃりした感じの人が好さそうな少年だ。


「あのなー、エミル。僕が起きたときに部屋にいないと思って探したらこれだよ。なんであんなことしたんだよ……」


「しょ、しょうがないもん。だって、夜だし船の中は退屈だし、ちょっと開放的になって、部屋を出てカエルに変身しただけだもん。こんな騒ぎになるとか思わなくって……ぐすっ……」


「おいおいー、そりゃ、人間並みの大きなカエルなんだから、人がいるときに使ったら騒ぎにもなるって!」


「そ、そんなにけちけちしないでよ、お兄ちゃん。もうこんなことしないから。ね?」


「けちけちって、お前なー。絶対反省してないだろ。ウソ泣きだろ……」


「うんっ!」


「はあー……」


「…………」


 なるほど。あのエミルっていう少女が開放的な気分になってスキルでカエルになり、それで船内が大騒ぎになったってわけか。


「――そこまでだ」


「「えっ⁉」」


 あいつらが自分たちの部屋に入ろうとしたので、俺はそうはさせてたまるかと立ち塞がることに。


「話は聞かせてもらった」


「あぁ、もうダメだ。見つかっちゃった……」


「ちょっと⁉ お兄ちゃん、私を守ってくれないの? それでも男⁉」


 あっさり観念した様子の少年と、心底呆れた様子の少女。


「勘違いしないでくれ。あんたたちを警備兵に突き出そうなんて思ってないから」


「「えっ?」」


「ただ……」


「さ……さては、体が目的なの? で、でも、初めてだからお願い。優しくして……」


「おい、エミル、こんなところで脱ぐなってのー!」


「どうせやられるんだから、どこでも同じだもん!」


「だからー、はしたないだろー!」


「いや、そうじゃなくて……ちょっと会話したいだけだ」


「「え?」」


「一人じゃ心細かったから」


「「……」」


 二人とも唖然としていた。


 正直、騒ぎを起こしたから制裁を与えようとか、そういうつもりはまったくなかった。


 ただ、誰かと会話するきっかけが欲しかっただけなんだ。孤独が好きだった前世とは違って、温かい家族に慣れたっていうのもあるんだろうか……。

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