第9話 夜中失墜

 一室一室、私は界理が隠れていないか、何か手掛かりがないかを確認しながら回る。当然の如く界理が見つかることはなく、それらしい手掛かりは見当たらなかった。

 ただ玄関に一つだけ。界理の履いていた筈の靴が、その姿を消している。

 ドアや窓に異常がない以上、界理が自分の意思で出て行ったとしか考えられない。

 今の時刻は11時半前。ベッドに入ったのは7時くらいだったか。

 布団の温度から、界理はおそらく9時より前にベッドを出て、戻っていないだろう。


「わざわざ私が寝るのを待ったのは、私に引き止められないため……」


 何故……? そんな疑問。

 当然だ……。そんな納得。

 二つの思考が、私の中をぐるぐると渦巻く。

 『ずっと遥のそばにいる』と、界理は言っていた。その言葉からは嘘の気配は感じず、表情に出ていた感情は強い好意を示していた。だからこそ、何故界理が私のもとを離れようと思ったのかを、理解したくない。

 でも私が異常者であるが、そのまま理由になってしまう。刃物を持ち歩き、常に死に怯え、人に会えば殺す手段を考える。夢の中で言われた通り、私は狂っている。龍善みたいな気色悪い奴しか近づかないほどに、狂人だ。

 界理が私から離れることは、別に破綻した行動ではない。人間として正しい行動だとすら言える。

 それでも私は、界理が何も言わずに出ていくとは信じたくない。

 

「クソ……ああ! クソッ!!」


 私だって17年生きてきた。思考を飲み込んだり、隠したりすることには慣れている。

 二つの思考が回り流れを作る程度なら、自分を納得させたり諦めさせたりだってできる。


「なんなんだよっ! 何がどうなってんだよ私はッッッ!!」


 だけど私の身体を突き破りそうな感情の大波が、どう足掻いても制御できないッッ!!!

 怒りとか悲しいとかじゃ言い表せない。

 熱いッ! 冷たいッ! 重い苦しい辛い暗いッッ!

 体験したことがないほどの感情の濁流。

 私の頭が悲鳴を上げる。

 私の胸が弾けそうだ。

 私の肉が凍るように思える。

 私の血が焼けてるみたいだ。

 私は自分の体を抱きしめた。体と心が、引き裂かれそうなほどに暴れ回っている。


「納得しろよ! 界理が望んだことなんだよッ!」


 本当にそうなのか?

 わからない。だが状況が界理の意思を示している。

 それに反論の余地はないか?

 ここで出てきた反論なんて願望に過ぎない。

 

「クソッタレッッ!!!」


 クローゼットをぶち開き、所持する刃物を交換する。

 咄嗟に手で掴んだのは、プギオという短剣だった。西暦50年以降に作られた造形を再現した……なんてことはどうでもいいッ!


(界理界理界理っ!! お前が何で出て行ったのか知らない! だから私が納得するまで探してやる!)


 私は目についた着やすい服を無造作に身に着ける。

 薄手のパンツ、カッターシャツ、フード付きショート丈ジャケット。

 色も黒、白、青とバラバラ。コーディネートなんて知ったこっちゃない。

 玄関に出て、たまたまあったブーツに足を突っ込む。ダイヤル式で時間が掛からないのが救いだ。

 準備は整った。

 外界と繋がる扉を、私はなんの躊躇いもなく叩き開ける。

 夜の冷気と違う死の寒さも、「お前が死ね……!」と呟いて我慢する。体の震えも押し殺して耐えた。

 明かりの状態から、界理がエレベーターや廊下にいないのは把握できる。私も早く下に降りなければ。

 ここは四階、エレベーターは待つ時間が長い。かといって階段はさらに時間が掛かる。

 即座にエレベーターへと向かおうとした私の目が、塀の外に広がる虚空に吸い寄せられた。

 私の頭に浮かんだ降下方法は、アホらしいほどにイカれたものだった。

 考えただけでも、死のイメージが凄まじい量となる。墜落死、失血死、頭部破損、解放骨折——


「やってやるよクソッタレがよッ!!!!」


 逡巡の時間すら勿体無い。私は勢いをつけて塀を飛び越え、体は四階分の虚空へと投げ出された。

 “寒さ”が全身を刺し貫く。

 人間は恐怖で動きが鈍る。

 私は違う。寒さを感じるほどに、死から自分を遠ざけようとイメージ通りに肉体が動く。

 浮遊感に惑わされることなく、私の肉体は最善の動きを生み出した。

 四階の塀に手を掛けて勢いを殺し、すぐさま離す。

 自分の体重と勢いを手だけで支えるのだ。筋肉に力を入れるタイミングを間違えれば筋を痛め、最悪脱臼すらあり得る。そうなれば地面まで真っ逆さまに落ち、簡単に人体は破壊されるだろう。だが今の私は間違えない。死のイメージに繋がる要素は、本能のままに排除される。

 界理が待っている、こんなところで時間を食っている暇はない!

 三階の高さを感覚で測り、同じように塀に手を掛けて減速。それだけでは腕が耐えられないので、同時に足を壁に押し付けて勢いを殺す。

 二階も減速の方法は今までと同じ。だが手を離したときにくるりと体を回し、私は下を向いた。壁に対して垂直に立った私は——そのまま落下速度に合わせて壁を駆け降りる。

 界理がどれだけ離れた場所にいるのかわからない。今すぐにだって私は界理に会いたいんだ。そのためなら私は、重力さむさだって利用してやるさ!

 一階の廊下部分で、足場の壁がなくなる直前。すなわち地面との高さが約2メートルになった瞬間、私は壁を強く蹴った。

 地面と並行に飛んだ私の体は、重力の影響で地面に引き寄せられる。


(着地……!!)


 右手を地面に向くように伸ばし、体はブーメランのように弧を描いた状態をキープ。

 内臓を守る為に、肺に適量の空気を取り込む。

 右手側面が地面に触れる刹那、私は体を柔軟に丸める。特に顎は素早く引き、頭が地面に叩きつけられるのを防ぐ。

 指先から腕。腕から肩。肩から背中。背中から臀部と脚。ボールを地面に転がすように、身体の全てを使い衝撃を逃す。

 60センチの高さでも背中から落ちれば、人間は呼吸が困難なほどダメージを負う。落下の衝撃をまともに受ければ、骨折や内臓破裂が起こってもおかしくはない。

 私は界理を追わなくちゃならない。こんなところで無駄な怪我してたまるか!

 くるりと前方回転を一度しただけでは足りない。

 流れるように前転を二回繰り返したところで、やっと勢いが殺しきれた。


「ハッ……ハッ……ハッ……!!!!」


 フラフラと立ち上がった私は、荒い息を繰り返す

 心臓がうるさい。呼吸が乱れる。全身が震える。鮮明な死の気配が拭いきれない。

 アクション映画さながらの降下と、壁蹴り後、あり得ない高さからの前回り受け身。

 ぶっつけ本番でできたのが奇跡。普通なら何かを間違って、そのまま死んでいてもおかしくはない。私の行動はそれだけ意味不明なもので、自殺を疑われる狂ったものだった。


「界理を……探しに……」


 冷や汗を拭って、私は足を前に出す。

 全ては界理に早く追いつく、その一心での行動。


「待ってろよ、界理……ッ!」


 月のない夜。星々の大部分が雲と都市明かりに消された夜空の下で、私は走り出した。

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