2 1479


「――2673! 前へっ!」



 風で舞った土埃が男たちの目を傷めつける。

 しかし誰一人として双眸そうぼうを閉じず、広場の中心の舞台を見上げていた。様々の色の瞳たちは己の「欲」のせいで頭上の昇る夏の太陽よりもぎらぎらと光っている。


 風は土埃とともに近くの家畜市から放たれる悪臭も運んでくるが、気に留める者はいない。

 風の音にドラゴンの子の悲鳴が混ざる。鎖で繋がれているだろう四肢を思いやる者なんて、一人もいやしない。


 熱い視線が注がれるステージの上に、まず従属商の男が上がる。あごから垂れさがるひげが風に揺れた。

 彼が手に握った綱に引っ張られ、よく肌の焼けた大男が姿を現す。着させられている粗末な服の首元がはためいた。太い鎖骨の下には、さらに濃い色で「2673」と刻まれている。


 沸き起こった歓声を浴びながら、2673は枯れた井戸のように虚ろな目を伏せた。目線の先には縄で自由を奪われた諸腕もろがいながある。


「おお、まだまだ若いし体躯も大きい」

「よく働きそうな従属じゃないか」


「――さあさあ、みなさん! 本日の目玉は東部育ちのこの大男でございます」


 商人が客たちに向かって声を張り上げる。商売人でありながら、彼は競売のオークショニアを立派につとめていた。


「御覧の通り大人しく従順、お察しの通り力持ち! それではさっそく、95から参りましょう!」


 商人が2673の価格を叫ぶと、入札希望者である男たちは次々にパドルを挙げていく。


「100、120、125、……おおっと! 160!」


 男たちが息を呑む。それより後に札を挙げる者はいなかった。


「160! よろしいですか! 160!」


 従属の落札者が決まり、商人がハンマー代わりのむちをステージに打つ。朽ちた木の柱がドラゴンの悲鳴に似た苦情を訴えた。


「まーたジハーウのとこの旦那に買われちまった」

「金持ちだが、あいつはいけ好かないやつだ。今度の従属はどのくらい保つかな。この後、賭けようじゃねえか」


 男たちがニタニタと笑い合っているうちに、落札された2673は手綱を引かれ舞台から下げられた。


 月に一度の大市で催される従属の競売はまだまだ終わらない。




 国王、または教皇を頂点とする三角形の底辺に位置づけられるのが、2673のような「従属」であった。


 魔力を自由に操ることができる国王や教皇、聖職者、貴族。または、自分の血液を犠牲にすれば、ある程度は使用できるようになる平民とも違い、従属たちは一切の魔力を持たない。

 「人」の形をしていながらも、彼らが人として扱われることは決してなかった。

 老若男女関係無く、朝から晩まで肉体労働を強制され、老いたり病気になったりして動けなくなったらゴミのように道端に捨てられる。

 

 彼らが働けなくなるまでに、雇用主が従属に飽きたり、養うだけの財力を無したりすることもある。

 そうなると従属商人に売られ、今まさに開催されているような競売に出品されるのだった。




「……次っ! 1479!」


 大男と入れ替わりで舞台に現れた従属に、今度は落胆の声が上がる。


「おいおい。なんだ、ありゃあ……」


 ふらつきながら舞台に上がりその姿を見せたのは、一人の女だった。


 女というよりは、少女と呼んだほうがいいのかもしれない。

 背は高くなく、あどけなさを残す顔は幽霊のように青ざめていた。長く茶色い髪にはゆるく癖がかかっているが、油が足らずつやは無い。

 髪と同じ茶色の目は、肩を落とす入札希望者たちをじっと見下ろしている。

 逃げようとしても逃げきれないだろうに、彼女の細い手首にも縄がきつく巻かれていた。


「誰が買うんだっ! こんな従属!」


 怒り出す客まで現れたが、商人は動じない。


「ええ、ええ。紳士の皆さん。がっかりされるのも無理は無い。見ての通りのこの身体つき。とてもとても、力仕事は任せられませぬ。しかし、……失神なさらないでくださいよ、実は、かつてはヴンサン家に仕える従属でございました!」

「ヴンサン家だと……!?」

「没落した、領主じゃないか!」


 男たちが騒ぎ出すが、商人が思惑通りと言うふうににやつき始める。彼はもったいぶって、自分の顎髭あごひげを撫で始めた。


「考え方はご自由ですよ。やはり名家に仕えていただけあって、多少の教養はあります。ですから子どもたちの遊び相手をさせるもよし。ただの従属だったとしても許せないというなら石を投げて痛めつけるもよし。価格もお安くしておきます。60からです! さあ、どなたか!」


 1479の最低落札価格が告げられる。


「ふん。誰があんなものに60も出すか」

「ああ。猫のほうがまだ役に立つ」


 白けた男たちの間からぬっと上がったのは、パドルではなく小さな手だった。

 黒いレースの手袋をはめている。


「65」


 広場の中央に設けられた野外会場から、幼い声が凛と響く。


 パドルを持たない入札者が紛れ込んだらしい。

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