第4話

 週が明け、模擬戦まであと三日となった。昼休み、いつも通り一人で弁当を突く俺のスマホが振動すると、新着メッセージの受信を告げる。


『プリーズ カム トゥー イングリッシュ ディベート クラブ ルーム ディス アフタースクール』


 英語をカタカナ表記した謎メールの送り手は、もう一人の先輩。あの北川部長であった。

 俺は思わず教室の天井を仰ぎ見ると、嘆息混じりに呟いた。


「あ~、入る部活完全に間違えた」




 終礼後、部室を訪れると北川部長はまだ来ておらず、井出先輩だけが一人ちょこんと座っていた。

 この前のこともあって、一瞬気まずく感じたものの――先輩の様子を見た俺は、一気に脱力した気がした。

 と言うのも先輩は、何故かコマに興じていたのである。

 それも安い玩具ではない。日本の昔遊びで見るような、円錐コマを太い紐で巻いて投げるやつだ。


「――あ、吹原くん。ちょうどいいところに来たね」


 カツン!


 先輩の放ったコマが、リノリウムの堅い床に弾けると、見事なまでの姿勢で回転を始めた。反応に困る俺に向かって、先輩は長い指でコマ紐を弄びながら話し掛けた。


「これは僕の、日本人の祖父の形見なんだよ。コマというのは『独り楽しむ』と書いて『独楽』と読むんだけどね。ところでなんだが、吹原くん、君には……」 先輩はじっとコマを見つめながら、ふと俺にぽつりと尋ねた。「自分の『軸』があるかい?」

「あ、えっと……」


 俺の見つめる先、コマが不意にグラリと傾く。


「……無い、かもしれません」


 コテン、と倒れてしまったコマを、先輩は大事そうに抱え上げると俺を見た。


「実を言うと、僕もまだ答えを探している最中なんだ」

「……」


 その場に流れる沈黙。だがそれは既に、俺にとって居心地の悪いものではなかった。

 この静寂を破ったのは他でもない、この集会の主催者である。


「ドカーン! Hey you two, Good afterschool!」


 両腕いっぱいに謎の紙束を抱えつつ、戸を蹴り開けて入ってきたのは北川部長である。妙にハイテンションな彼女はその勢いのまま、部室中央の長机に紙束をぶちまけたのだ。


「ハイこれ! 私の調べた、日本の英語教育に関する賛否資料ね! 二人分書き写したから、模擬戦の参考にして!」


 現れた時と同様、長髪をなびかせながら彼女は颯爽と部室を飛び出していった。


「……オウ」


 井出先輩が、奇妙な表情で彼女を見送りながら呟く。


「......えっと、北川部長ってちょっと変わってます?」

「まぁそうだね。いや、かなり変わっているかも」


 井出先輩はやれやれと頭を振ると、机上の紙片をかき集め始めた。紙束は全て手書きであり、彼女が如何に本気でこの模擬戦に臨んでいるのかが見て取れた。

 俺も慌てて先輩を手伝っていると、ふと先輩が呟いた。


「……僕は北川女史を『努力できる馬鹿』だと思いますね」

「?」


 首を傾げる俺に、先輩は独り言だよと答える。

 だが俺の聞きたそうな様子を見ると、ぽつぽつと話を続けた。


「――あれでも北川女史は、一年次に入部した頃なんて英語が大の苦手だったんですよ? でも入部したての彼女は、他のどんな部員よりも努力していました。彼女はどんな欠点でも愚直な努力で埋められる、いやむしろ盛り上げることすら出来ていた。そして今や部長にまで上り詰めた、北川舜華(しゅんか)とはそういう人物です」


 先輩はふと視線を上げると、俺と視線を合わせた。


「欠点に対するアプローチはそれぞれですよ。僕はまだ、彼女みたいにゴールまで辿り着けてないですが。でも僕は、そんな北川女史のことを尊敬していますし……」


 そう言うと、先輩は悪戯っぽく微笑む。


「彼女のそういうところが、僕は好きですね」

「ねぇ井出、バッチリ聞こえてるわよ?」


 不意に響いた声に振り返ると、引き戸から北川部長が半身だけ体を覗かせていて。


「と、取り敢えず井出! 後で教室まで来なさい、シメるから!」

 頬に朱を刷いた彼女は、そう荒っぽく言い切ると、足音高くその場を去っていった。

 ふと振り返ると、井出先輩が先ほどの表情のまま見事に硬直していた。


 そんなこんなのがありつつも、模擬戦の日はやって来る。

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