第2話 幼なじみからの求婚

***




 ジゼルは結婚式までの数日間から既に辺境伯の館で生活することになっていた。

 しかし、瀟洒な館の客間へと案内されたが、どうにも落ち着かない。


(それにしても、人間ってこんなに変わるものなの……?)


 ソファーの座り心地のよさ以上に、向かいに座るアーサーの優雅さが記憶と結びつかないのだ。

 伏し目がちに紅茶へ口をつけるアーサー。その長いまつげすらジゼルの記憶にない。

 冷静になればなるほど違和感でむずがゆい。

 ジゼルの凝視に気づいたアーサーは顔を上げた。


「どうした?」

「会わないうちに、ずいぶんと変わったなと思って」

「十五年もあれば、赤子だって大人とさほど変わらないくらいになる。それをいうならジゼル、君だって大人の女性になった。戦場を翔ける赤い蝶だと聞いていたが、目の前の君には戦場よりダンスホールの方が似合いそうだ」


 アーサーは顎に手をやった。そして、ジゼルを見つめ返すその瞳は潤んでいるように見えた。


(待って待って。だから、アーサーってそんな歯の浮くような台詞を吐くような性格だった!?)


「……すまない。ようやく再会できて、思っていた以上に浮かれているみたいだ」

「そうですわよ、お兄様。ジゼル様が驚いていらっしゃいます」


 客間に現れたのは、アーサーと同じ髪、同じ瞳の色をした女性だった。

 ジゼルに向かって優雅なカーテシーを行う。

 慌ててジゼルは立ち上がった。


「お久しぶりです、ジゼル様」

「もしかして、イネス?」

「えぇ、イネスでございます。こうして再会できたこと、心から嬉しく思いますわ」


 イネス。アーサーの妹である。年齢はアーサーの三歳下、二十五歳。

 ふわりと微笑む様は、まさしく令嬢らしい仕草だ。

 しかし、イネスは数年前に領内一の商家に嫁いでいる。


 わざわざ会いに来てくれたのかとジゼルが尋ねようとしたとき、アーサーが先に口を開いた。


「イネスにはしばらく、ジゼルの家庭教師となってもらうつもりだ。私の妻となるために必要な事柄を習得するため、しばらくは窮屈な思いをさせるが、これも辺境伯夫人の務めの一環だということを理解してほしい」

「宜しくお願いいたします。覚えることも身につけることも多岐に渡りますが、ジゼル様なら、きっと大丈夫です」


 ジゼルはすぐに頷くことができず、ぽかんと口を開けかけて、慌てて首肯に切り替えた。


「お、お手柔らかに……ははは……」


(分かってはいたものの、わたしにできるだろうか。いや、やるしかない。そう決めて帰ってきたんだから)


 ジゼルの了承を得たと考えたようで、アーサーは、安堵の表情を見せた。


「疲れているところ申し訳ないが、君を連れて行きたいところがあるんだ。いいかな?」

「大丈夫。すごく快適な旅だったし、全然疲れてないよ」

「ならばすぐに発つとしよう」


 館から歩いてすぐの場所だから、とアーサーは付け加えた。




***




 アーサーの言葉通り、目的地は館の裏手にあった。

 切妻屋根で木造の平屋住宅は、辺境領によくある造りだ。


 ジゼルは大きく目を見開いた。


「連れて行きたい場所って、まさか」

「そう。君の生家だ」


 両親はジゼルが幼い頃に病気で亡くなった。その後、ジゼルはすぐに王都へ発った。

 主を失った家。本来ならば朽ちていてもおかしくなかった。

 十五年留守にしていた生家が、記憶となんら違わぬ姿で残っていたのだ。驚かない理由がない。


「定期的に手入れしているから、中に入っても問題ない」

「えっ……? なんで」

「君が戦いに疲れて、いつ帰ってきてもいいようにと考えていたから」


 ジゼルはアーサーを見上げた。

 アーサーが小さく頷く。


 恐る恐る、ジゼルは足を踏み入れた。

 室内は埃っぽさもなく掃除が行き届いているようだった。

 ジゼルが旅立ったときのまま、時間が止まっている。


「まさか、自分で?」

「当然だ。他人にやらせてどうする」


(昔はともかく、辺境伯になってからはそんな時間なんてないはずなのに)


 代替わりして、アーサーが辺境伯となったのは二年前のこと。

 ジゼルもジゼルで魔王討伐の旅が佳境に差し掛かった頃だ。


 鼻の奥が熱くなるのを感じて、ジゼルは鼻をすすった。

 アーサーに背を向けたまま、本棚にそっと手を置く。


「覚えてる? アーサーが、先代と一緒に我が家へ遊びに来てくれた日のこと」

「君がクッキーを焼いて待ってくれていたときの話かい」

「そうそう。母がとっておきのレシピを教えてくれたのよ」


 棚から抜いた一冊の本は、イラスト付きのレシピ本だ。

 ぱらぱらとめくるとすぐに該当のページに辿り着く。

 口元に笑みを浮かべて本を戻すと、ジゼルは振り返ってアーサーを見上げた。


「木登りを教えたときのことは?」

「全然できなくって大変だった。今と比べたら、体力も瞬発力も劣っていた」

「途中で泣いちゃったもんね」

「そんなこともあったな」


 アーサーは口元を手で覆った。


(恥ずかしいときの癖。やっぱり、この人はアーサーだ)


 分かってはいるのに、理解できずにいた記憶が一致するようだった。

 かつての感情が蘇りジゼルは口元を綻ばせた。

 

「……あのときからは考えられないくらい、アーサーは大人になったね」

「それは、君もだろう。救国の勇者」


 視線が合い、ふたりはそのまま見つめ合う。


「この十五年の間にあったことを、ゆっくり聞かせてほしい。私の話も、聞いてほしい。少しずつ、時間の溝を埋めていきたいと考えている」

「うん、わたしも」


 幼なじみなのに、まるで知らない人のように感じてしまうのは、会わなかった時間が長かったから。

 違和感はこれから解消していけばいい。


(だって、この人はわたしのことを大事にしてくれる)


 それは幼い頃から間違いない事実なのだから。

 ジゼルは決意を新たにする。


 一方でアーサーは片膝をついて、ジゼルの手を取った。


「ジゼル。改めて言う。私と結婚してほしい。私の人生には、君が必要なんだ」


 そして、手の甲に落とされるのは恭しい口づけ。


「君が喜ぶことを最優先に、悲しむことを敵として。一生をかけて、君を守る」

「!」


(ひぃい! さっきから、どうしちゃったの? 十五年前からは想像もつかない方向に成長してるんだけど!?)


 ジゼルは耳まで真っ赤になりながらも、なんとか返した。


「よ、喜んで、お受けしましゅ」


 ただ、これからこの日のことを振り返る度に、噛んだことを後悔するだろうと思いながら。




***




 ジゼルはアーサーから『正式な婚姻までは客室を使ってくれ』と言われて、部屋をあてがわれていた。

 清掃の行き届いた立派な空間だ。足りないものがあれば用意するとも言われている。

 

「……ふぅ」


 ベッドに腰かけると、そのままジゼルは上半身をベッドに沈めた。両腕を最大限伸ばしてみてもベッドの両端に届かない。

 視界に映る天井のシャンデリアは小ぶりながらも華やか。


 甲冑よりドレスは軽い。右腕を天井へと伸ばすと、袖がひらりと下がり、肌があらわになる。

 鍛え続けてきた立派な筋肉。うっすらと残る傷痕。


(本当に、アーサーと結婚するんだ……)


 少しの間ジゼルは己の右腕をぼんやりと眺めていたが、廊下の外から慌ただしい音が聴こえてきたので上体を起こした。

 扉を開けて廊下へ顔を出すと、ちょうどアーサーが小走りでやって来るところだった。

 日中の装いとは打って変わって、剣を佩いている。


「何かあったの?」

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