新年




 年越しから五日間、里でも公的な休暇という事で女衆もゆっくりと過ごす期間にあたる。

 この期間中、アニタもトゥーラの元へと帰る事になった。

 クラースもアニタにとっては面白くないだろうと自重して自宅で過ごそうとしていたのだが、アニタがこれを拒んだ。


 ――「クラースが帰ったら私が邪魔したみたいじゃない! 堂々といなさいよ! わたしなら大丈夫よ! でもわたしだって母上に甘えたいからその時は邪魔しないで!」と、実に潔い物言いで。


 その結果、クラースとトゥーラ、それにアニタの三人での日々を過ごす事になったのだが、その間、リヒトは一度も顔を出そうとはしなかった。

 というのも、年越しの宴の最中にリクハルドと会話した内容が起因している訳ではなく、単純に採取してきた卵嚢を用いた術のテストや、余った分の研究で忙しく過ごしていたからだが。


 ともあれ、クラースとアニタ、そしてトゥーラという家族の形は存外上手くいっているらしく、そんな話を食事を運ぶついでにクラースから聞かされ、アニタからも僅かに「母上とクラースといると甘ったるいわ!」と愚痴られる形となったリヒトも、密かに胸を撫で下ろした。

 アニタの性格を考えると、クラースと衝突するか、あるいはマーリトの屋敷に住み込んで帰らなくなるぐらいはするだろうとリヒトも思っていたが、アニタも大人になりつつあるという証左であろう。


 ともあれ、新年の休暇も終わりを迎え、また日常が始まる。

 新年と言っても本格的な春の訪れまではまだ時間がかかるため、魔物の動きもそこまで活発化しているという訳ではなく、冬の穏やかな日々からあまり変わりない。例年であれば、この時期でも男衆だけはゆっくりと過ごせる冬を過ごせた頃だろう。


 もっとも、今年は違う。

 マーリトの支持のもと、『温泉』こと共有風呂の建築は早々に再開される事となったのだ。


 女衆と年寄衆の突き上げに、男衆が根負けする形となったのである。 




「――おぉい! いいぞー!」


「おーう! よし、下ろせ! ゆっくりとだ!」


 掛け声に合わせ、長細く、それでいてそれなりの深さで掘られた穴を跨いだ男たちが、それぞれに両手に持った紐で支えていた長い筒を下ろしていく。

 ゆっくりと直線を保つようにしながら下ろされていった筒が穴の底についたのを見届けて、里の鍛冶師である初老の男が広めに掘られた一角で穴の底へと降りて、予め設置していた同形状の筒と今しがた下ろした筒の口に金具を取り付け、金槌で叩いて接続させていった。


 その光景を見つめながら、リクハルドは真冬の寒空の下だというのに流れてきた汗を拭いつつ、小さく溜息を吐いた。


「ふぅ、やっと半分終わったのか……」


 小川から直接水を引くための水路は、氾濫のリスクの踏まえて溢れてしまわないように工夫を施す必要がある。そのためにマーリトと鍛冶師の男衆が考えたのが、地中に埋めた筒の中だけに水路を限定して運ぶというもの。

 今までは小川まで行って水汲みをするしかなかったものの、これによって里の中に水を通し、排水用の管を通して下流に水を流すという計画が進んでおり、今は小川から里までを繋いだ管の設置が完了したところだった。


 これに加えて里の内部に貯水池を作ろうという話も出ており、本格的に冬が忙しくなってしまったのだが、今後の利便性を考えれば否やはなく、男衆にしては珍しく、忙しい冬を過ごす事が決定している。

 例年ならば冬はゆっくりとした日々を過ごせるのに、と嘆く男衆の悲哀は女衆に黙殺され、年寄衆に一蹴された。


「おう、リクハルド」


 ずんずんと歩み寄ってきて声をかけてきたのはアルノルドであった。

 冬の寒空の下だというのに上半身を脱いでおり、熱気で湯気を放ちながらやってきたアルノルドにリクハルドは苦笑を浮かべた。


「寒くはなさそうだな」


「おうともよ。なかなか良い鍛錬になりそうだ」


 アルノルドが冬の間は鍛錬に明け暮れる性質である事は知っている。今回のこれは鍛錬とは全く違うだろう、とリクハルドは苦笑を浮かべつつ肩をすくめてみせた。


「それよりも、だ。ラディムのヤツはどこに行ったか知らんか?」


「なんだ、アイツ。またサボってるのか?」


「うむ、そのようだ」


「ふむ……。家にはいないのか?」


「俺も家で眠りこけているのかと向かってみたのだが、どうも誰もおらぬようでな」


「アイツの両親は引退組だったか。となると、両親でダンジョンに女衆を連れて行ってるはずだが……」


 この冬の間、雪が降らない快晴の日は朝から女衆を連れてダンジョンに向かうのが常となっている。

 元々、ダンジョンには若い男衆が付き添うという話であったのだが、この冬の一大事業の都合上人手をあまり割けないため、クラースが引退組と呼ばれるような、四十から五十代の男衆を連れてダンジョンに入り、引退組に『ことわりの系譜』を取得させ、戦えるようになった引退組が女衆の付き添いをするという流れができているのだ。


 もっとも、クラースに複数の妻を娶らせるという目的もあり、かつダンジョンの魔物が強い魔物である事からも、引退組はそれなりの人数で、かつゆっくりと進むという形になっており、クラースが一日に何度も出入りしていたりもするのだが、それはさて置き。


「ラディムのヤツが御両親と一緒に動いているとは思えないな。あの一件・・・・以来、相当厳しくなったのは有名な話だ」


「甘やかし過ぎた、と後悔していたからな。しかし、そうなると何処にいるんだ? 一人で狩りでもしているのか……?」


「確かに若手の中では腕は立つが、ラディムではクラースやリヒトのように一人で対応しきれるとは言えない。いるとしても里の近くであろう」


「……まあ、そうだろうな。仕方ない、放っておくしかないだろう」


「む、若いヤツらに探しに行かせようと思っていたのだが……、いいのか?」


「あまり良くはないが、若い男衆数名をラディム一人の為に行かせる必要もないだろう。なんだかんだで要領のいい男だ、安全圏ぐらいは把握しているだろうしな。人手を割いてまで対応しなくちゃいけないような事でもないだろう」


 ただでさえ、里の人手にゆとりがあるとは言えない。

 現在女衆がダンジョンに行くようになったのも、人手が足りずに守りきれないような事態を想定した上で、戦う力のない女衆でも『ことわりの系譜』を通して魔法や術技スキルといったものを手にする事で自衛できるようにするためだ。


 そんな中、こういった作業に乗り気ではなく、いてもサボり気味であったラディムがいないからと連れ戻したところで大したプラスにはならない。

 むしろ人手を割くというだけでマイナスにしか働かないというのが現実的なところである。


 そこまで考えた上でラディムの捜索は諦め、放っておけとリクハルドが告げているのだという事は、しっかりとアルノルドにも伝わっていた。


「それより、さっさとこっちの作業を終わらせたい。このままじゃ満足に休めずに春を迎える事になるぞ」


「む……、それは良くないな。頑強な肉体を作るためには、しっかりと休みを取る事も必要になる。冬の早い段階で終わらせねば、健全な休みが取れぬ」










 ――そんな判断から、わざわざ自分を探すような真似をいちいちする事はないだろう。

 里から離れた森のその奥で、ラディムは己の推測は正しかったとほくそ笑んだ。


 反抗的な態度を取っている事も、それに対してわざわざ引きずってまで言う事を聞かせようとはしない事も、ラディムは経験上よくよく理解していた。

 先日、共有風呂建設の際にリクハルドに対して正面から文句を言って離れてみたが、結果としてアルノルドは強引に自分を止めようとしたものの、リクハルドがそれを制止した事にラディムは気が付いていたのだ。


 あれ以来、数十分、一時間、数時間と徐々に姿を晦ませる時間を延ばしながら様子を見てきたものの、いちいち追手がきたり、見つけようと探していたりといった事がない事も確認できている。


 それが「許されている」のと「放っておかれている」のとでは意味合いは大きく異なるが、しかし今のラディムにとってはその程度の違いなど、些細な事であった。


 盲目的に。或いは妄信的にとでも言うべきか。

 ラディムはそんな想いに駆られていて、己の価値を自ら貶めている事にさえ気が付けずに――否、気が付いていても目を背けているのだ。


 ――コレ・・さえ上手くいけば、全てが変わる。俺はトップになれる。


 全てがひっくり返ると、そう信じている。

 己がどれだけ下に見られようと、彼の考える計画・・さえ上手くいけば、全てが塗り替えられるようになる、と。


 ――気に食わなかった。

 イレーネという女が〝特別〟である自分を拒んだ事も、ベルティナがそれに乗じて〝特別〟な自分に失礼な態度を取った事も。


 ――気に食わなかった。

 自分よりも年下の子供が、自分以外の〝特別〟が存在する事も。

 そんな自分を〝特別〟にしない、歳上の男衆の態度も。


 だからこそ、ラディムは考えたのだ。

 どうすれば、己が最も〝特別〟であると証明する事ができるのか、と。

 町に下りるようになって以来、何か、自分に相応しい何かがないのかと探し回るようになった。


 そうして町を歩き回る内に、ラディムはとある連中とつるむようになった。


 町中をうろつくラディムという若造から金を巻き上げようとした悪漢連中。

 ラディムは里の戦士として才能があると評価されている男だ。当然、町中で腐っているだけの悪漢など相手にならず、あっさりと返り討ちにした。

 しかし追い払うだけならばともかく、ラディムは己が格下として見られた事に酷く腹を立て、残虐に痛めつけ、殴りつけ、踏みつけるといった行為に及んだのだ。


 その苛烈さ、その腕前を見込んで、メレディスの貧民街を根城にしている連中に声をかけられ、ラディムは町に下りる度にその者達とつるんで行動するようになったのだ。


 そんな中、ラディムが手に入れた代物。

 それは町では禁制品として扱われ、所有しているだけでも打首になるような危険過ぎる代物であった。


 それこそが、今回の計画・・の引き金となったのである。


 腰につけた袋からソレ・・を取り出して、ラディムはにたりと笑みを浮かべた。

 手のひら大の球体。その中央部には赤黒い光をゆっくりと明滅させる石のような何かが埋め込まれており、ラディムの手の中で妖しく光る。


 ラディムはゆっくりとそれを足元に掘った穴の中に置きながら、夢想する。

 己の成功への道がついに目の前に広がろうとしているのだと、そう信じて。


 込み上がってくる期待、あるいは願望、欲望が煮えたぎるように込み上がってきて、くつくつと笑いながら、そっとそれに土を被せるのであった。





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